バカの壁 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 1242
  • Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106100031

作品紹介・あらすじ

イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人は、なぜ互いに話が通じないのか。そこに「バカの壁」が立ちはだかっているからである。いつの間にか私たちは様々な「壁」に囲まれている。それを知ることで気が楽になる。世界の見方が分かってくる。人生でぶつかる諸問題について、「共同体」「無意識」「身体」「個性」「脳」など、多様な角度から考えるためのヒントを提示する。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    自分の頭の中に入ることしか理解できないor理解しない、自分の考えと違うことにはそれを「無かったもの」「間違ったもの」として存在を拒むという態度は、令和の時代にも数多く見られる。

    本書が書かれたのは平成15年だが、当時と今では時代が違う。情報の量が圧倒的に増えた。
    情報の絶対量が増えれば、その質を見極めるための鑑識眼が必要になる。この能力がなければ、自分に都合のいい情報だけを選り好んで取捨選択するようになる。知識や情報に誰しもが簡単にアクセスできるようになった現代では、脳内に「バカの壁」を築く人が多くなっているのは間違いないだろう。

    ただ、情報を見極めるというのは難易度が高い。何を信じるかによって情報の濾過の仕方も変わってくる。
    本書では情報と個性の関係性について論じており、情報は「不変なもの」、個性はその情報を取り入れながら「流転していくもの」だと定義している。大切なのは「揺るぎないファクト」であり、一次情報に対してどれだけ柔軟に価値観を変えられるかによって、その人の賢さが見えてくる。バカの壁の中に籠ることなく、ダメな情報と良い情報を切り分けながら、自らのフィルターを高機能にさせていくことが求められている。

    「日本には、何かを『わかっている』のと『雑多な知識が沢山ある』というのを別のものだということがわからない人が多すぎる。常識を雑学の一種だと思ってしまっている」
    「そこまで自分たちが物を知らない、ということを疑う人がどんどんいなくなってしまった。皆が漫然と『自分たちは現実世界について大概のことを知っている』または『知ろうと思えば知ることが出来るのだ』と勘違いしている」
    令和の時代においては、この言葉に一層耳を傾けながら「理解すること」を深めていかなければならないと思う。知識は文字や動画として吸収するだけで足りるのか、それともアクションを起こし身体に浸透させてこそ完成するのか。言わずもがな後者であり、私も頭でっかちにならないように気を張って行動していきたい。

    ―――――――――――――――――――――――――――――――
    以上、本書の中から現代に通ずるものをピックアップしてみたが、これは本書の中でもごく一部分であり、全体としては、価値観が古く読むに堪えうるものではない。書かれたのが約20年前なので致し方ない部分もあるが、そもそも内容自体が筆者の観測範囲の中のごく狭い箇所を切り取ったエピソードトークに終始していること、主張の大部分に科学的根拠がないこと、主張がセンテンスごとにぶつ切りになっており本全体として何が言いたいのか分からない&言いっ放しになっていることなど、2003年当時としてもだいぶ怪しい。一つひとつのトピックを抜き出せば納得のいく主張はあるが、さすがに20年も経っていると手垢がつきまくっており、目新しい記述はない。平成で一番売れた新書というが、令和では参考程度にとどめておくのがよいと思う。
    ―――――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 知識は常識ではない
    結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない。つまり学問が最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。それを「バカの壁」と呼ぶ。また、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている。これも一種の「バカの壁」である。

    知識と常識は違う。知識を知っていても、本当は何も知らないこと、経験していないことはたくさんあるはずなのに、それを見ずに「分かっている」と言ってしまう。
    日本には、何かを「わかっている」のと「雑多な知識が沢山ある」というのを別のものだということがわからない人が多すぎる。常識を雑学の一種だと思ってしまっているのだ。
    現代においては、そこまで自分たちが物を知らない、ということを疑う人がどんどんいなくなってしまった。皆が漫然と「自分たちは現実世界について大概のことを知っている」または「知ろうと思えば知ることが出来るのだ」と勘違いしているのだ。


    2 個性
    人間の脳というのは、出来るだけ多くの人に共通の了解事項を広げていくことで進歩を続けてきた。本来、意識というのは共通性を徹底的に追求するものであり、その共通性を徹底的に確保するために、言語の論理と文化、伝統がある。

    今の若い人を見ていて、つくづく可哀想だなと思うのは、がんじがらめの「共通了解」を求められつつも、意味不明の「個性」を求められるという矛盾した境遇にあるところだ。「求められる個性」を発揮しろという矛盾した要求が出されているが、組織が期待するパターンの「個性」しか必要無いというのは随分おかしな話である。

    一般的には個性=揺るぎない自己、というイメージがあるが、それは違う。不変なのは情報のほうであり、人間は流転していく。
    知るということは、自分がガラッと変わることだ。それが昨日までと殆ど同じ世界でも、世界の見え方が全く変わってしまう。
    だから、若い人には「個性的であれ」なんていうふうに言わないで、人の気持ちが分かるようになれというべきだ。 むしろ、放っておいたって個性的なんだということが大事であり、みんなと画一化することを気にしなくてもいいのだ。


    3 学習とは身体的アウトプットを伴う行動
    身体を動かすことと学習とは密接な関係がある。脳の中では入力と出力がセットになっていて、入力した情報から出力をすることが次の出力の変化につながっている。「学習」というとどうしても、単に本を読むということのようなイメージがあるが、そうではない。出力を伴ってこそ学習になる。それは必ずしも身体そのものを動かさなくて、脳の中で入出力を繰り返してもよい。
    ところが、往々にして入力ばかりを意識して出力を忘れやすい。赤ん坊は、ハイハイや手で触って、自然と身体を使った学習を積んでいく。学生も様々な新しい経験を積んでいく。しかし、ある程度の大人になると、入力はもちろんだが、出力も限定されてしまう。これは非常に不健康な状態である。


    4 脳と賢さの関係性
    脳の形状とか機能で特に個人差があるわけではない。
    では、利口とバカを何で測るかといえば、結局、言語能力の高さといった社会的適応性でしか測れない。すると、一般の社会で「あの人は頭がいい」と言われている人について、科学的にどの部分がどう賢いのかを算出しようとしても無理なことだ。
    賢さについては、このように脳から判別していくのは非常に難しいのだが、他方、昨今問題になっている「キレる」という現象については、実はかなり実験でわかってきている。結論から言えば、脳の前頭葉機能が低下していて、それによって行動の抑制が効かなくなっている、ということである。


    5 教育
    若い人をまともに教育するのなら、まず人のことがわかるようにするべきだ。
    学問というのは、生きているもの、万物流転するものをいかに情報という変わらないものに換えるかという作業である。そこの能力が、最近の学生は非常に弱い。 逆に、いったん情報化されたものを上手に処理するのは大変にうまい。これはコンピュータの中だけで物事を動かしているようなものであり、すでにいったん情報化されたものがコンピュータに入っているのだから、コンピュータに何をどうやって入れるかということには長けている。

    情報ではなく、自然を学ばなければいけない。人間そのものが自然だからだ。ところが、それが欠落している学生が多い。どういうものであるかというのを自分で体験してみようという考えをもった学生が、どんどん少なくなっている。


    6 バカの壁の中に籠もる
    バカの壁というのは、ある種、一元論に起因する。
    バカにとっては壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう側が存在しているということすらわかっていなかったりする。今の一元論の根本には、「自分は変わらない」という根拠の無い思い込みがある。その前提に立たないと一元論には立てない。なぜなら、自分自身が違う人になってしまうかもしれないと思ったら、絶対的な原理主義は主張できるはずがないからだ。

    安易に「わかる」、「話せばわかる」、「絶対の真実がある」などと思ってしまう姿勢、そこから一元論に落ちていくのはすぐだ。一元論にはまれば、強固な壁の中に住むことになる。それは一見、楽なことだ。しかし向こう側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなり、話は通じなくなるのだ。

  • 古書店のワゴンにあったのを見つけ、今更ながら買って読んでみました。
    7年前の新書なので、当時と今の社会状況などの差からすんなり納得できない部分もありました。
    しかし、多くの部分で興味深く読むことができたと思います。
    インパクトのあるタイトルや、オビタタキなどから先入観を持たれがちですが、反して内容はしっかりしており、全部が全部納得できないまでも養老孟司氏の思考・問題提起には感じるものが確かにありました。
    結局、この本に共感できなかったとしても、それはこの本でいう「バカの壁」を実感できたということでいいんじゃないでしょうか。

    この著者のような老人が知り合いにいたら、面倒くさそうな気もしますが、こういう歳のとり方には、正直少し憧れてしまう面もありますね。


    「結局われわれは、自分の脳に入ることしか理解できない。つまり学問が最終的に突き当たる壁は、自分の脳だ。」

  • ❖ ざっくりこんな本
    われわれは自分の脳に入ることしか理解できない。情報の伝達が突き当たる壁を、著者は「バカの壁」と表現する。知りたくないことは遮断し、耳を貸さないのもその一種。そうした延長線上に民族間の紛争やテロがあるという。現代人はいつの間にか、自分の周りにさまざまな「壁」を作ってしまった。情報は刻々と変化し、自分という人間は変わらないという思い込み。個性や独創性を礼賛する風潮。安易に「わかる」と思い込むことで、強固な「壁」の中に住むことになると著者は戒める。

    ❖ こんな人にオススメ
    正直に言って、「養老孟司ってどんな人だろう?」という人には、この本はオススメできない。「村上春樹ってどんな小説だろう?」と思って『ノルウェイの森』を読んだ人の、はたして何人が彼の他の作品を読むだろう? これ一冊で養老孟司という人物を理解しようと考えるのは危険すぎる。

    ❖ レビュー
    多くの人が、「バカの壁」という言葉の意味を勘違いしている気がする。つまり、相手がバカだから話が通じない。そう思っているのではないだろうか。
    「バカの壁」に〝頭が悪い〟といった侮蔑的な意味合いはほとんどない。認識を妨げたり、理解を阻んだりするものを象徴的に表現している。そのくらいに捉えるべきだろうと思う。
    この本のいちばん最初に出てくるエピソードだが、学生にお産のビデオを見せて、その後でレポートを書かせる。すると、女子学生は「大変勉強になった。新しい発見がたくさんあった」と書いたのに対し、男子学生は「保健の授業で習ったようなことばかりだ」と、まったく反対の感想を書いたのである。
    男子はバカだからだろうか。そうかもしれない。しかし、男は自分が出産を経験することはない。だから、男子学生はどこかで「自分には関係ない」と思って見ていたのではないか。
    人間は「自分には関係ない」と思うと、無意識のうちに壁を作ってしまう。それが「バカの壁」だ。他にも、思い込みや偏見、こうあって欲しいという願望が壁を作ることもある。壁を作っているのは、相手の方じゃなくて、お前さんかもしれないよ。養老先生はそう言いたかったんじゃないだろうか。
    不思議なことに、この本の帯には「話せばわかるなんて大ウソ」と書かれているのだが、私はそうは思わなかった。わかってもらおうとすれば壁にぶつかる。わかろうとすれば壁は崩れる。私はそう感じている。

  • もう少ししたら再読したい。一度では拾いきれない。ただ、新書はやっぱり鮮度も大切だなと思った。自分が生まれたころの新書を読んでもつまらない。サッカーの中田さんって誰。。。

  • 「自分はもうわかっている」あるいは「自分には関係ない」と思っているひとの頭のなかには壁が生まれている。それは、理解を拒む壁だ。壁のせいで理解できなかったり、わかり合えなかったりする、ということらしい。
    なるほどなるほど養老さんさすがだなあ、と思う部分と同じくらいに、それは話を飛躍させ過ぎているんじゃないの、と感じるところもあった。

    竹原ピストルさんはこう歌っている。
    ”よー、そこの若いの 俺の言うことを聞いてくれ 「俺を含め、誰の言うことも聞くなよ。」”
    矛盾しているようで矛盾していない、素晴らしい歌詞だ。

    養老さんの考え方は素晴らしいと思うけど、鵜呑みはしない。
    他者の素晴らしい思考を知ったうえで、自分はどう考えるのか。いつだって自分の頭で考えられるひとでありたい。

    竹原ピストル『よー、そこの若いの』
    https://www.youtube.com/watch?v=G9YgNxMB9Uo

  • 「「平成」をふりかえる」という企画展示に関連して、平成の30年間のベストセラーをいろいろ読み始めようと思い、手に取りました。

    発売当初から各方面から注目された話題書であったこと、また養老孟司のキレのある筆致で社会に漂う閉塞感や「いきづらさ」の文責がなされていること(執筆されたのは15年以上前になりますが)など、まさに「平成」を代表する1冊であるように思います。

    「個性」を尊重する風潮に対する批判は、いわゆる「自己責任論」などにもみられる共同体の崩壊とも関連する部分があるように思いましたし、冒頭の「第1章 「バカの壁」とはなにか」は現在の中学高校生にもぜひ読んで欲しい本です(もちろん、その後の議論も難しい内容ではないので、最後まで読んで欲しいところではありますが)。

    議論の展開として、過激な部分や極端な部分もあり、作品の全部分についてもろ手を挙げて賛同する、とまではいきませんでしたが、平成の後に来る時代を生きてゆくうえでもヒントとなると思います。

    また、個人的には「文武両道」という言葉についての記述も強く印象に残りました。

    P.94~
    江戸時代は、脳中心の都市社会という点で非常に現在に似ています。江戸時代には、朱子学の後、陽明学が主流となった。陽明学というのは何かといえば、「知行合一」。すなわち、知ることと行うことが一致すべきだ、という考え方です。▼しかしこれは、「知ったことが出力されないと意味がない」という意味だと思います。これが「文武両道」の本当の意味ではないか。文と武という別のものが並列していて、両方に習熟すべし、ということではない。両方がグルグル回らなくては意味がない、学んだことと行動とが互いに影響しあわなくてはいけない、ということだと思います。

    何はともあれ、「自分が正しい」と思いこんだり、「自分なりの”個性”を出さなくては」としゃかりきになったりすることなく、様々なものに目を向け、「知る」ということ、実物を見て考えるということを大切にする必要がある、という話なのだと思います。

  • 普段何となくそうだろうなーと思っていることが書いてあった。でも、私の考えは漠然としているものだったが、それを論理的だったり、著者の豊富な経験から考察してあって読むのが楽しかった。

    著者の言っている「バカ」を考えながら読むと楽しいかもしれません。

  • #読了 2019.4.27

    先日読んだ「天地明察/冲方丁」の解説を養老孟司さんが書いていて、そういえば長年積読に混ざっていたなと引っ張り出した次第。
    出てくる話は2003年当時の感覚のものが多いので、当時を知らない人には正しくニュアンスや温度感が伝わらない箇所もあるかと思う。

    たとえ自分の中でそれが真実でも、相手の中での真実が別に存在することもあって、それがお互いの正義となってぶつかることがあると思う。それはそれでしゃーなしで。
    ただ。相手を否定しなければ自分が肯定されないってわけじゃないから。自己肯定のために相手を攻撃するのではく、むしろ他人に対してもう少し我慢したり、許容したり、ときに無関心になってもいいんじゃないかなぁ。

    2003年発売のこの本、私は当時大学二年生。確かにそういう時代だったなぁと思い返しながら読んだ。
    高校入学に合わせて、周りの子達はPHSを買ってもらう時代だった。うちは厳しかったので私は大学一年生のときにバイトをして初めて自分の携帯電話を持った。そういう時代。
    携帯電話が1人1台になり始め、大学でもパソコンの授業が始まり、いつでもネットに触れる環境になりつつも、それでもネットやパソコンに詳しい人はオタク扱いされ、それをオープンに自負できるような空気ではまだまだ無い頃。
    辞書を引くより、ネット検索することが多くなり、メールが頻繁になり、コミュニケーションの仕方も大幅に変わっていった、そしてゆとり世代前の勉強詰め込み世代であり、且つバブルを知らない世代。自分で言うのもなんだが、上の世代から見れば、社会で戦う馬力は弱いが勉強だけは頑張る、養老孟司さんが言う通り、すぐ正解を知りたがる世代、だったかもしれない。(その後にもっと馬力の弱い世代が来るのだがそれは置いといて)

    大卒が当たり前になり、特別なステータスではなくなった。大卒でもフリーターになることを世間に黙認され始めた頃、不景気と言われながらもリーマンショック前の景気あたりは契約社員や派遣社員などの非正規雇用社員を増やした頃だとも思う。

    そんな時代背景もあってか、当時は確かに「個性」とか「手に職」とかよく言われていたように思う。
    そこに疑問を投げかける点など、とても養老孟司さん節!という感じがした。

    この本の要点は、つまり一元論は危険だと言うこと。これは当時まだ記憶に新しい95年地下鉄サリン事件、97年京都議定書、2001年アメリカ同時多発テロ事件、などの時代背景を根拠に話が進められていくが、2019年この時代においても当てはまることだなぁと思う。
    2003年当時のメインSNSはmixiだったと思うが、その後Twitter、アメブロ、Facebook、Instagram、LINE、TikTokなど様々なコミュニケーションツールで情報収集すると同時に、自ら情報を発信し、まわりがそれに反応するというコミュニケーションを取るようになっていった。その多くが本名を隠してコミュニケーションが取れるわけだ。
    それはこの本がバカ売れした2003年当時よりも一元論者(自覚、無自覚ともかく)が増える環境であると思う。"炎上"などは正しい反応もあるけど、おおかた一元論者ばかりが反応する現象だなぁと思ったりする。(それが商法として成り立ってしまってはなんとも言えないが。)

    元々、私は多分自分の意志が他の人より強くて声も大きいタイプだと思うから、普段から一元論者にならないよう気をつけようと心がけてはいる(つもり)ので、作者の主張には基本的に共感する部分が多かった。
    今後も自分の意志を持ちつつも盲目的にならずに広い視野でいろんなものや人と関わっていきたいなぁと思う。

    あとは、そうだな。
    養老孟司さん独特の強めの言い回しが、一元論に聞こえるような部分がある気がして。
    まぁ、そこは「雪が溶けたら何になる?=春になる」と答えるような文系頭の私にはド理系の強さにあてられただけかな?(笑)

    普段、小説ばかり読んでいて久々にこの手のを読んだ。頭使うね(笑)
    ほら、小説って作者自ら「どういう風に受け取るかはあなた(読者)次第ですよ…うふふ」みたいな空気あるけど、この手のは「私はこう思っているのだ!それが伝わるよう最大限努力して綴った文章だ!どうだい?伝わったかい?」ってかんじじゃない?(違う?w)
    正しく読み取ろう!って部分に関しては普段甘えて読書してたなぁって気付いた。
    まぁ。だから小説が好きなんだろうなぁ。相手の気持ちを正しく読み取ろう!なんてパワーの使い方は、普段の人間関係(ネット含む)の中だけで充分です(笑)
    自分が受け取ったままに受け取っていい小説がひとつの癒しです。
    と言いつつ、この手のもたまには読んでいきたいなぁ。

    ◆内容(BOOK データベースより)
    イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人は、なぜ互いに話が通じないのか。そこに「バカの壁」が立ちはだかっているからである。いつの間にか私たちは様々な「壁」に囲まれている。それを知ることで気が楽になる。世界の見方が分かってくる。人生でぶつかる諸問題について、「共同体」「無意識」「身体」「個性」「脳」など、多様な角度から考えるためのヒントを提示する。

  • バカにならないために、もっと多様な見方ができる人になりたい。

  • 養老先生が語ってきたことを編集者がまとめた形の著者のため、話が散乱している印象だけど、何とか読み解ける部分もある。

    そもそも「バカの壁」とは何なのか。
    それは「こうに違いない」「唯一の正解はこうだ」とする「一元論」にはまり込んでしまった人に立ちはだかる、強固な「フィルター」であり「楔」だ。
    その向こう側にいる人のことが全く見えなくなる。そしてひょんな事で向こう側の人と対峙すると、相手を「おかしい」「危険だ」とみなしてしまう。

    一元論にはまりがちな人は、自分を絶対視する。「揺るぎない自己」を信じて、「個性」を過剰に重んじる。
    本当は個性なんて生まれながらに備わっている身体そのもの。共通理解、言語を用いた論理性を身につける過程で自ずと与えられているものに気付くものだ。
    「個性を伸ばせ」より、「人の気持ちが分かるようになれ」と、教育し、与えられているものを自他ともに発見することが大切。

    「頭が良い」「利口だ」とは、相手の気持ちが分かり、相手が納得するような「共通理解」作り出す、論理性、言語力があることだ。それでしか測れない。とさ。

    もひとつ、「無意識」を意識し、「身体」を思うように動かせるようになることの重要性。
    現代は脳化社会で考える時間が長く、例えば農作業だの工場作業だの肉体労働をし考えるより手を動かす、なんてことが減った。結果、体の取り扱い方が分からなくなる。ヨガだの瞑想がもてはやされるのはその反動か。
    考えていることと行動が一致するためには、「意識」も「無意識」も自分の一部だと分かっておき、どちらも大切にすること。

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著者プロフィール

1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。幼少時代から親しむ昆虫採集と解剖学者としての視点から、自然環境から文明批評まで幅広く論じる。東大医学部教授時代に発表した『ヒトの見方-形態学の目から』(筑摩書房)で89年、サントリー学芸賞。2003年刊行の『バカの壁』(新潮新書)は450万部を超える大ベストセラーとなった。

「2021年 『まる ありがとう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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