- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106100109
感想・レビュー・書評
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ミーハー本読みには、ハードルが高い作品ばかり。
とはいえ、読んでみたいと思わされる新書が盛り沢山。
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p.2003/4/10
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この「高級感のなさ」が信頼できる、と思った。もちろん坪内祐三の超人的な眼力から生まれる「シブい」達成はぼくが逆立ちしたってかなわないものだが、それがエリーティズムのハッタリに満ちたものではなく、かといってありがちな不良気取りでもなく(どっちにしても「箔」「オーラ」を匂わせるものでもなく)あくまで庶民派の匂いを感じさせつつ、しかしその地に足の着いたポジションからこそ語りうる真実を語っているところ。そこが「真似できない」とこちらを唸らせる。批評の域を逸脱した軽やかなエッセイ的文章の中に充分凄さは感じ取れるはず
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評論家・文化史家による新書100冊。
結構、古いのもある。 -
【ノート】
・引き続き読書ガイドだが、実はこういう「必読書◯◯選」みたいなものが昔から好きだ。中学の頃、OUTというサブカル雑誌に高千穂遙というSF作家が書いていたSFガイドが自分にとってのSF読みの始まりだった。そこで取り上げられていた本を読み進め、また、「初心者を卒業したらハヤカワ海外SFノベルズ」という一文が、高価なハードカーバー本に対する強烈な憧れをインプリントしたものだった。これは今でも拭い去ることができなくて、ハヤカワSFは文庫よりハードカバーこそが「通の証」という思い込みから逃れることができない。
・「新書365冊」に比べると本書は出版時期が2003年ということで3年早い。本書も「365」と同様、新書レーベルの創刊時の1冊。著者が自覚している通り「新書本のガイドブックのような体裁をとりながら、品切れ本や絶版本ばかりを紹介(P220)」しているので、実用性という点では「365」の方に軍配が上がる。しかし、本書では、思春期を中心とした著者の読書遍歴が、当時の状況や心境、興味の広がり方と共に語られており、しかもそれがとても正直で素直なので、好感と共感を持って読み進めていける。読書ガイドでありながら、読書をテーマにしたエッセイでもあり「365」とは少し趣旨が違う読書本だと言える、ちなみに「365」には本書が取り上げられており、「こんな本を書きたいと思っていた」と述べられている。なお、本書では人文、それも文学系統に対する比重が高く、それが今の自分の興味とは少し合わなかったのが少し残念。しかし、いつか重宝する時がくるだろう。
・清水幾多郎の「本はどう読むか」からの引用が特に印象深い。いわく、気になった本は、その時に読まなくても積ん読用に買っておくこと。また、読み方にはスピードが大事で、蕎麦と同じで一気に読んだほうがよい。「のどごしが大事」ということか。 -
プレゼント本:茂樹さん
キャッチ:あぜやん
町田の本の雑誌関係のイベントに
行けなかったが、この本をゲットできて、
さらに貴重な冊子(椎名誠オススメ本40冊)が
入っていて、町田に行った気分になっている。
感謝。感謝。 -
本・古本・神保町好きで有名な評論家・エッセイストの坪内祐三が、自らの半生とそのときどきに読んできた新書百冊を重ねて振り返った“読書半生記”である。
本書では、吉川幸次郎/三好達治『新唐詩選』、渡部昇一『知的生活の方法』、丸山真男『日本の思想』、E.H.カー『歴史とは何か』、加藤周一『羊の歌』のようなロングセラーも紹介されてはいるが、絶版となっているもの、当時でこそ読む価値の大きかった(であろう)ものも少なくなく、間違っても新書本のブックガイドとしてではなく、坪内氏がこれらの新書にどのように出会い、どのように読んだのかを、当時の世相とともに振り返るものとして読まれ得るものである。
私は坪内氏より少々若い世代ながら、同じように御茶ノ水で浪人生活を送ったが、「私が通っていた御茶ノ水の駿台予備校は、当時、単なる受験合格のテクニックではなく、もっと本質的な「学問」を教えてくれた。特に英文解釈の奥井潔先生の授業はいつも心待ちにした。教壇で奥井先生は例えばT.S.エリオットやポール・ヴァレリーの文学的意味について語ってくれた」というくだりは、なんとも懐かく読んだ。(今にして思えば、当時の私が、奥井先生の意図するところがどこまで理解できていたのかわからないのだが、学生時代のテキストの中で唯一、奥井先生の授業で使った「CHOICE EXERCISES」だけは30年以上経った今も手元に残っている)
また、山口昌男と中村雄二郎の共著の『知の旅への誘い』に関する、「私がもっとも繰り返し読んだ新書本の一つである。といっても、共著者の中村雄二郎には申しわけないのだが、私が繰り返し読んだのは、二部構成のこの新書本の、山口昌男が執筆している第II部「知の冒険」である」という部分なども、同書を読んだ、その“ぞくぞくするような感覚”には大いに共感するのである。
坪内氏と同様、神保町すずらん通り(特に東京堂書店)を訪れるのが習慣となっている私としては、こうした本・書籍の文化が変わらずに続いていくことを願うのである。
(2005年9月了) -
70年代ニューアカ時代の空気が感じられて面白かった。
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自叙伝。
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およそ十年前の本.新書を通して著者の読書遍歴を語った本とでも言えば良いか.再読.
私も新書を読んでいる方だと思うが,紹介されている100冊のうち私が読んだことがあるのは五冊ほど.しかも著者が面白がっていることがまったくピンとこない.
私と著者が年が一回り近く離れていること,著者の読書が,私の興味の少ない社会学,哲学分野に偏っていることが原因だろう.
ニューアカデミズムの登場や岩波新書の黄版の全盛期の記憶は私にもあって懐かしかったが,今並べて見せられても残念ながら読みたいと思う本はあまりなかった.