死の壁 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
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レビュー : 231
  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106100611

感想・レビュー・書評

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  • 人を殺すのがなぜいけないかというと、
    復活させることだできないからだという。
    人間というシステムを壊すことは非常にいけないことなのである。
    壊すことは簡単にできるのだが、治すことはとても難しい。

    今はまだピンとこないが来るときもあるのであろう。
    また、自分の死体を見ることはできないのであるから、実質死というものは経験できないとのこと。
    なかなか考えさせられる本書であった。

  • <年末読みかけ一掃運動>

    「バカの壁」に続き2冊目の養老本。正直「バカの壁」の方が面白かったかも。

    養老さんは「暴論」と言うけど、相変わらずの「極論」っぷりだと私は思いました。話が飛んでおさまったと思うと、また出てきて…少し読みにくかったです。

    養老さんがしゃべったことを編集者が本にしたと、あとがきに書かれていたけど、話が整理されていなくて前後するのは仕方がないことなんだと思いました。もっとテーマを絞り込んで深く掘り下げたら面白いはずなんだけど…。幅広く浅すぎて残念。

    けど当たらずといえども遠からず感覚で、読むと面白いところがまた不思議。次は「自分の壁」を読みます。

  • 解剖学者の養老先生は、死体漬けだったろう。
    ゆえに、体が実体であると考える。
    個性的な発想をしている人は少ない。本当に個性的な人とは話が通じないはずである。話が通じている時点で、さほど個性的ではない。では、個性はどこにあるかというと、体である。マツコデラックスの発言は個性的ではない。体が個性的なのだ。
    しかし、現代人は体が実体だとは考えない。意識が実体であると考える。では、「寝ているときは無意識だから実体はないのか」と聞けば「実体はある」と答えるはずである。「どこにあるか」と聞けば「体だ」と答えるはずである。
    しかし、脳=意識が実体であるという勘違いを矯正するのは難しい。意識は「同じ」ことを基本にするから、「自分は変わらない」という勘違いも起きる。
    すなわち、老いない、死なないという勘違いが蔓延する。現代は、死を忘れた文明である。
    死なないという思い込みが本書のタイトルである「死の壁」である。つまり、「死なないという思い込みの壁」である。
    死体を解剖しながら、死体すなわち死についてたくさんのことを考えてきた養老先生である。「死」というテーマでこれだけのことを関連づけられる氏の洞察はさすがだ。

  • 『バカの壁』から続いて。
    生れたからには致死率は100%。どういふわけかさういふことになつてゐる。ところが、生きてゐる人間しか暮らしてゐない。死んだ人間など誰もゐない。死に直面できるのは、他でもない死体を目の前にした時だけなのだ。
    しかし、この死体といふものも一概に死体とは言い切れない。九相図が示すやうに、死体といふものは長い時間をかけて別々に死んでゆく。
    かうして、死といふものは、よくわからないものとして常に生きてゐるものの傍にあるはずなのだ。そもそも、死に対するあれこれ、「死」といふことばさへ、生きてゐる者の営みである以外の何ものでもない。ここに死の壁が存在する。
    生きてゐるものたちがどうにかして、「これは死だ」と’みなす’ことがある意味人間社会の発展であるとも言へる。死の基準なんてものは、生きてゐる人間たちで’みなす’ものなのだから、時代や環境、文化が異なれば当然その基準も変はつていくものである。
    総じて、死といふものは遠ざけられるやうにできてゐる。死といふものに神聖さや特別性を見いだしてゐたところから、恐怖や汚れの対象として隔離され、つひには死体はその形がわからないくらい隠されるやうになつてきた。まるで死体など存在しないかのやうだ。
    だが、どんなに隠さうと、どんなに死体を残さないやうにしても、死そのものがなくなるわけではない。わからぬものなのだから、恐れやうのないものだ。しかし、確かにそこに在る。

  • 「バカの壁」に続く書。2004年発行。

    解剖学者ならではの視点で「死」を語っている。テーマが絞られていて、「バカの壁」より良かった。

    生命は精巧・高度なシステムであり、壊してしまったら二度と元には戻せない。だからこそ生き物は尊い存在だというのが、著者流の人を殺してはいけない理由。

    また、西欧近代化、都市化は、カラダに関することをどんどん遠ざけ、消していく傾向を持つ。人の死しかり、トイレ、服装しかり(古代ギリシャでは、オリンピックは全裸、ギムナジウムでも全裸だった。ただし女性は冷え性のため全裸ではなかったとのこと)。だから、現代人は死を身近なものとして実感できなくなってしまっている、という。

    死生観については、あっさりと、自分の死(一人称の死)については考えるだけ無駄。敢えて言えば、毎晩経験しているような、眠るようなものだと思うしかないと言い切っている。むしろ考えるべきは、「二人称の死」「三人称の死」。すなわち、周囲の死をどう受け止めるか、ということだという。

  • 読んでいて印象に残ったのは
    分からないのが面白い。正解がないという事に気づくことが重要であるとしている。
    近代化すると
    人間は戸籍を持ちずっと一緒であると考えるようになる。
    そこは中世の意識とは違う。
    中世は人間は移り変わるものと考えられていた。

    死体の人称についての考察は面白いと感じた。
    日々ニュースでよく聞く死は
    三人称の死でどこか他人事のようである。
    しかし身内の死は二人称の死である。
    この死は私の中でひいおばあさんの死でしか経験はない。
    しかし小さい時のことだったのでそこまで実感はないかもしれない。
    安楽死は被害者、遺族の感情中心になりがちで加害者の事を意識した内容になっていてハッとする場面もあった。
    明文化すること、意識化することそれ自体が人間のためである進歩であると考える。
    しかし、そこには一体どの程度まで意識化することが人間のためになるのかという観点が抜けている。
    そこが分からないこともあっていい。
    正解がない事に気づくべきという
    著者の考えに繋がるのかなと感じた。

  • 哲学に興味を持った時、図書館で見つけた。
    「バカの壁」より先に読んだ。
    死を失う事だけだと思っていたが、
    観点が3つぐらい増えた。

  • 普段は考えない、生死の境目。
    変わらないと思っていたものが常に変化しているなど、固定観念にとらわれてはいけないと、つくづく考えさせられた。

  • 蔵書⇢処分

  • 自分の中ではイマイチ

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著者プロフィール

解剖学者。1937年、神奈川県生まれ。著書に『バカの壁』『遺言。』(ともに新潮社)など。

「2018年 『「農業を株式会社化する」という無理 これからの農業論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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