宮崎アニメの暗号 (新潮新書)

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  • 新潮社
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感想 : 75
  • Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106100796

作品紹介・あらすじ

スペイン映画『ミツバチのささやき』、漫画『護法童子』、ゴヤの『巨人』、宮沢賢治、世界各地の神話、太古の洞窟壁画、陰陽五行思想-。宮崎駿のアニメ作品には、さまざまな「仕掛け」が巧みに隠されている。表層のエンターテインメント性に惑わされることなく、暗号を一つ一つ解読していくと、宮崎駿が見つめている深く広い世界が見えてくる。単なるアニメ論を超え、多くの日本人が忘れかけた「真情」を呼び覚ます注目の論考。

感想・レビュー・書評

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  • おそらく出版経緯としては「千と千尋」の便乗本。
    とはいえよくある「謎解き本」とは一線を画し、論として成立している。
    トトロとナウシカを導入にして2割、もののけ姫論が6割、本のまとめとして千と千尋2割。
    かなり読み応えのある作家論・作品論。

    ■序章……面白かったんだけど……とわだかまり。「通俗作品は、軽薄であっても真情あふれていなければいけない」。気づかれづらい「仕掛け」が真情を生み出す。
    ■第1章 『ミツバチのささやき』と『となりのトトロ』……父母姉妹、都会から越してきた一家、研究者の父、母の不在。妹の失踪。オマージュとジェラシーで換骨奪胎。自然……季節と風土は正反対。キリスト教化以前のケルト文化。大地への信頼。地下空間。木々の少なさに、ローマ帝国による森林伐採の痕を幻視。昭和30年頃の日本の風土は、ローマによって伐採される以前のスペイン。
     1 都会から越してきた姉妹と母の不在
     2 フランケンシュタインとトトロの近似
     3 「すごい映画」へのオマージュ
     4 正反対の風土に秘められた意図
     5 神近き子供たちの夢想
     6 地下空間で転換する物語
     7 存在しない風景の再現
     8 宮崎曼荼羅
    ■第2章 欧州史の地層という「隠し絵」……スペイン、堀田善衛の影響。腐海はケルトの聖なる森。ケルト人もローマ人に森の人と呼ばれていた。文明と自然の対立。ヨーロッパ中世は、森の海の中に散在した無数の島。植物の波濤に飲み込まれそうな。大開墾運動、産業文明を経て、森に聖性を感じるセンスを失った。ナウシカは魔女。ジャンヌ・ダルク。実はキキや湯婆婆は幻想の魔女。現実の魔女はナウシカやサン。サツキとメイもお化けを見ることができる幻視者=少女。そしてドルイド。
     1 教会の下に眠るスペイン史
     2 ケルトの森と腐海の森を繋ぐもの
     3 腐海の森はなぜ増大するのか
     4 もはや森を畏怖できなくなった人間
     5 ナウシカの魔女的資質
     6 ジャンヌ・ダルクの面影
     7 ドルイドとしてのナウシカ
    ■第3章 ファンタジーに「真情」を吹き込む中国思想……アリストテレスの四大元素、土、水、風、火。しかし宮崎にとって大事な「木」がない。そこで陰陽五行思想。火・水・木・金・土。色との対応も。トトロのバス停の色や、ナウシカの金や青や。もののけ姫において、産業文明は火。人は金属を使って大地=土を痛める。人類はそもそも自然に祟られている。石火矢は相克の縮図のような兵器。ボディは木、推進力は火、銃弾は金属。土地にカミが宿ることと、アニメに真情が宿ることは相似形。
     1 失われた「カミ」
     2 王蟲を呼び起こした色
     3 「青き衣」と「金色の野」に潜む意味
     4 シシ神の森を包む五行思想
     5 人間が避けられないタタリ
     6 相剋の縮図がもたらす大地の死
     7 “モノの気”に存在感を生む理由
    ■第4章 『もののけ姫』と宮沢賢治……土神の住む湿地は、山砂鉄をとった跡。かつて土神は、産鉄の神として人間に信奉されることで環境破壊を容認していたが、鉄資源枯渇とともに人間はいなくなった、だから樺の木は土神を恐れる。エボシ御前は、金屋子神の生まれ変わり。ケルトのブリギットという女神は、鍛冶や火を司ると同時に、医術の神でもある。こういうイメージの重ね合わせ。もののけ姫で思想は極まった。
     1 『土神ときつね』から何を読み取るか
     2 タタラ場の創世神話
     3 土神・金屋子神の生まれ変わり
     4 エボシ御前はなぜ美女に描かれたのか
     5 『もののけ姫』で頂点に達した思想
     6 五行思想を用いる理由
    ■第5章 シシ神に投影される神々……文明と自然の座標軸。エボシとシシ神、の線上に他のキャラは配置される。ではシシ神とは。中国の麒麟。宇治拾遺物語の五色鹿事。それを花輪和一が漫画化した「護法童子」は絵的元ネタ。木霊の元ネタでもある。そしてゴヤの「巨人」。宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」。キリスト教化以前の有角神。ケルトではケルヌンノス。インドではパシュパティ。メソポタミア「ギルガメシュ叙事詩」ではフンババ。すべて金属以前のカミ。フンババは金属製の桶に入れられる。
     1 大地の中心から生まれた幻獣
     2 重なり合う神話や物語
     3 花輪和一『護法童子』
     4 ディダラボッチとゴヤの『巨人』
     5 人間の手によるものとの対比
     6 生と死を司るケルトの神
     7 破壊と再生を体現するインドの神
     8 最古の文学の中のシシ神
    ■第6章 シシ神の森の真実……以上。シシ神=動物の王は、大陸の東端から西端へと横断する汎ユーラシア的動物の王の連続。時代で並べれば、中世から古代、鉄器、青銅器へと遡る。数万キロと数千年をカバーする神話的時空が、シシ神の背後に存在する。さらに遡れば文字以前、トロワ・フレール洞窟の壁画「呪術師」。もののけ姫は一見中世日本が舞台に見えるが、その舞台上で演じられたのは、特定の地域や時代や史実に寄りかからない、動物の王神話とでもいうべきグローバルな象徴劇であった。人と森、人と動物を仲立ちする存在。を繋ぐ糸の結び目は、森に寄ったときには半神半獣として、人に寄ったときにはシャーマンとして生まれる。そもそもそこに差はなかったが、現代人が囚われる視座のせいで差異が生まれる。もののけ姫には地底行は一見描かれないが、クレタ島ミノス王がダイダロスに命じて作らせた迷宮(ラビュリントス)、その深奥に閉じ込められた牛頭人身のミノタウロスを、英雄テセウスが退治するが、ここで本作は地底行の代わりに迷宮行が描かれる。駿はピレネー山脈の洞窟を根こそぎ引っこ抜いて、日本的風土の上に展開させた。洞窟の迷宮性は失われず、木々に作られた迷宮が地表に広がる。意識、技術、言葉が、我々と人間以外の全てのものとの間に懸隔を作り、阻害している。
     1 神話的時空を超えて
     2 それは洞窟の奥で眠っていた
     3 シシ神は「呪術師」である
     4 解き放たれた太古の動物たち
     5 人と森の生命を繁ぐシャーマン
     6 原始の森という迷宮
     7 殺神劇
     8 そして大地は崩壊した
    ■第7章 水の物語『千と千尋の神隠し』……ピーター・ウィアー「ピクニック・アット・ハンギングロック」。卓上台地。女校長と湯婆婆は似ている。「ノスタルジア」の地下聖堂に、千尋親子が入った異界の入り口は似ている。そしてどこまで行っても水浸しの世界。それまでは母なる大地→千と千尋では母なる水。駿作品すべてキャラとしては母は存在感が薄い。子宮。
     1 崩壊した現実の先に広がる世界
     2 タルコフスキーとの共通項
     3 母の不在を埋める原初的「母性」
     4 無化された「仕掛け」
    ■終章 宮崎アニメの深層……筋の底に神話や思想を沈め、真情を確保。もののけ姫では仕掛けは物語より優先された。本書冒頭の「真情あふれていなければいけない」、実は「あふれて」+「いなければ」。あふれる場所は「うつろ・空ろ・虚ろ」。カオナシも。我々と「生」の間に広がる裂けめに、うつろは滲みだしてくる。それが現代人。そういう社会にした原因への呪詛。唯一神と科学への怒り。自然と人との非対称性こそが生きづらさ、原罪。宮沢賢治はあらゆるものと共振できた。
     1 「真情」に壊されるエンターテインメント性
     2 「あふれていなければならない」
     3 子どもたちが失ったもの
     4 二つの「神」に対する態度
     5 「非対称性」への異議
     6 宮沢賢治との共振
     7 『春と修羅』の意味
     8 森と共に生きる

     主要参考文献
     図版出典
     索引

  • よく書けている一冊(というとエラそうだけど)。 宮崎駿本人、ジブリ側に確認したわけでもなく、著者の思い入れ、片思いな考察なのが残念ではあるが(いずれ対談とかインタビューして確認してほしい。宮崎駿が応えるかどうか分からないけど)、宮崎駿の作品に込められた「真情」(作品の意図、込められた思いを本書では、こう記す)が、自然との一体感というか、五行説に代表される東洋的な思想に根差しているというのは、ジブリ作品のファンとしても嬉しい考察。手塚治虫の作品にも通じるものがある。
     でも、その「真情」が作品の裏にこっそり隠されているなら、こうして解説されて理解するのもいかがなものかという気もする。美しい自然の景色や、生き物のありのままの姿を見たとき、ただただ感動することがあるが、ジブリ作品もそうして“感じる”ものでいいんじゃないかな。そうして、何気なく見てるうちに、知らず知らずのうちに何かを受け取り、人として成長していれば、それが宮崎駿が作品の理想形とする“入口は広く低く、出口は高く浄化されていなければならない”を体験できたことになるのだと思う。
     作品の構図、モチーフにいろんな隠し絵的な意図が含まれていると紐解くけど(過去の作品へのオマージュだったり、絵画のモチーフを取り入れる等)、それは宮崎駿に限らず、古今東西いろんな映画監督もやってきたことなので、それを“暗号”として詳らかに拾ってくところはちょいと余計だったかな。薀蓄としては面白いけど。
     ともかく好きな映画を通して、いろんなことへ興味を持って、自分の知識や思考を広げていっている著者の姿勢は素晴らしと思う。彼自身が宮崎作品の広く低い入口から入って、高く浄化された好例なのかもしれない(人として、どれだけ成長してるのかは見えないけど)。
    旅の道中、軽くさっと読むには良い本でした@電子書籍

  • この本が会社務めの傍らに書かれたということにまず驚く。次いでは著者の関心領域の広さと統合力に。内容的には「深読み」とする感想が多いようだが、私は全面的にではないまでも、ほぼ著者の解釈に賛同する。特に評判の悪い五行説にしてもだ。宮崎駿自身の意図がどうあれ、その根底にある「自然」観は本質的には「自然」との合一をを指向する東洋的なものだ。「非対称」の原罪をも覚悟しつつ。そして、そうした論理からすれば『もののけ姫』を宮崎アニメの思想的な頂点とするのも当然だ。また、宮崎作品における「母性の不在」の指摘も新鮮である。

  • 宮崎アニメと、他のアニメその他のエンターテイメントの違いはなにか。それは宮崎作品の面白さのなかに隠されたとくべつの「仕掛け」にあると、著者はいう。それは作品のなかに自然に違和感なく溶け込んでいるため、ちょっと見には「暗号」のようだが、作品の血となり肉となって、宮崎作品のかぎりない魅力と豊かさとなっている。その豊かな背景とメッセージ性を明らかにしようというのが本書の意図だ。読んでなるほどと納得したり、そこまで深い背景が、と驚いたり、そのメッセージに共感したりすることが多かった。

    まず冒頭で、『となりのトトロ』の背景に1972年のスペイン映画『ミツバチのささやき』があったという事実が語られる。エリセのこの作品には、キリスト教に抑圧される以前の自然崇拝の古い世界観がもり込まれている。『となりのトトロ』は、この映画から影響を受け、似たようなシーンが見られるし、同様の世界観を表現している。ヨーロッパならローマ帝国以前のケルト人の森の文化、日本なら縄文時代やそれ以前の文化への敬愛が二つの映画の底流をなしている。

    『となりのトトロ』にかぎらず、キリスト教や産業文明以前の、自然と人間が一体となった世界への共感は、宮崎アニメのいたるところに見られる。森や森の生き物に共感し、生き物と交流できたり、森から異界への入り込む森の人。キリスト教は、そのような能力をもった人々を魔女として迫害した。宮崎アニメには、そういう魔女的な一面をもった登場人物へのあたたかいまなざしがある。ナウシカにも魔女を思わせる不思議な力があった。狼少女サンにも同じような一面がある。サツキやメイはお化けを見たし、千尋は異界への通路をひらいた等。

    この本の中心にあるのは、『もののけ姫』の背後にある五行思想の「暗号」を解くことである。中国生まれの五行思想は、万物を木(生命の象徴)、火、土(大地の象徴)、金、水の五つの原素に分類する。木は燃えて火を生じ、火は灰を生んで土を生じ、土は金を含み、金は水を付着させ、水は木を育てる。逆に木は土から養分を吸い上げ、土は水をせき止める。水は火を消し、火は金属を溶かし、そして金属を斧は木を倒す。

    この五行思想を宮崎は作品で駆使しているが、『もののけ姫』にはそれが地下水脈のように張り巡らされているという。たとえば、ひずめが大地に着くたびにそこから草が成長し、一瞬に枯れてしまうシシ神は、大地(土気)の象徴であろう。銃弾を受けたアシタカは、シシ神によって救われる。逆にタタリ神になった乙事主(猪)の生命は、シシ神によって吸い取られた。大地(土)は、木(生命)に命を与え、そして再び大地に返すのだから、アシタカも乙事主も木気を表しているといえるだろう。森の生き物たちは、シシ神(土気)の恵を受けてのみ、命を育むことができる。シシ神は森の秩序であるゆえ、あらゆる生き物がシシ神を畏れ、敬う。

    ところがシシ神(土気)の怒りを買う産業文明(火気)が、森にやってくる。人は森から採取した鉄をタタラという炉で、火を使って銃弾に変える。そして生き物の命を奪う。それだけでなく森そのもの(木気)を奪う。『ミツバチのささやき』で荒れ果てたスペインの荒野が舞台となるが、それは人が深き森を伐採した結果なのだ。森の伐採はひとつの文明を滅ぼすさえある。それが宮崎のいう「祟り」の本質ではないか。宮崎の視野は、文明そのものがもつ「祟り」にまで及んでいるのだ。

    『もののけ姫』の底流をなす五行思想をごくかんたんに見た。これだけだとこじつけのように感じられるかもしれないが、実際にはもっと詳しく周到に論じられており、読んで説得力がある。

    またシシ神は、木気(大地)の象徴であるだけでなく、神話から洞穴絵画にいたるまで人類の何重もの歴史的なイメージを合わせ持つ存在として造形されている。それを説明するくだりも、興味尽きない。旧石器時代以来、欧州では「有角神」が信仰されていたが、キリスト教の興隆後は悪魔とされた。ケルトの有角神は、ケルヌンメスといわれ、動物の王でありながら、他の生物とともにあった。ここにシシ神の原型があるかもしれない。シシ神は、破壊と再生を一身に体現するという意味でモヘンジョダロのパシュパティのいう有角神にも連なる。さらに『ギルガメッシュ叙事詩』、最後には、旧石器時代の洞穴絵画のひとつ「トロワ・フレールの呪術師」という図像にこそ、始原のシシ神が見いだされる。

    通読して、宮崎アニメがその上質のエンターテイメントのなかに、これほど遠くまで遡る歴史的視野と、文明の根源までを見据える深い批判精神を隠していたということに驚き、再度宮崎アニメを見直したいという思いに駆られた。

  • 宮崎アニメの作品に歴史的、神話的な内容をリンクさせて書いているこの作品。
    確かに読んでいて内容に感心する場面が多々あります。

    また、宮崎さんに宮沢賢治や司馬遼太郎が思想的に作品に影響を与えているのかということが分かり、ただただ感心するばかりです。
    作品としては「もののけ姫」を中心に「ルパン3世カリオストロの城」、「となりのトトロ」、「風の谷のナウシカ」などを分析しています。

    宮崎さんは今の自然の大切さを訴えるだけではなくて、文明の発達によって
    何年もかけて失われつつある自然との調和を今一度呼びかけているようでもある。

    僕がこの本で一番心に残ったキーワードは「対象性ー非対称性」。
    カミと人・人と動物・動物とカミ、この3者の関係が大きく変わったということ。
    ヒトは動物であり、また動物をカミと見立てたり重なり合わせたりしていた関係から
    3者は平等であったのに対し、科学や産業の発達により平等な関係が崩れ自然や動物に対して一方的な関係になっている。
    そのことを憂いてのメッセージ性もあるようだ。

    ただ必ずしも僕は宮崎さんが科学や産業など文明の発達を全否定しているとは考えられない。のちに出てくる「ハウルー」などでも機械はやはり存在するが絶対的悪として描かれていないと感じたからである。

    これはひとつの見方を示しているが、あくまでも著者による宮崎駿の発言から推論する想像であると感じました。

  • 778-A
    閲覧新書

  • オマージュ作品は返歌、変奏曲
    P71中国の五行思想によれば「赤色」は大地の精霊を呼び起こす色である。また、狐は大地の精霊の「遣わしめ」であり、それが登場するとき大地に大きな動きの兆しが見える。

  • はやおが大好きすぎて買った
    都市伝説とか大好物だからこの類はとても好き

  •  タイトルの感じから、もう少し気軽に読める本だと思ったのですが、意外に内容が深かったのでビックリしました。

     中国の五行思想なんて、私は全然知らなかったので、これを機会に少し触れてみたいです。

     残念なのは、『もののけ姫』に関する記述が多いこと。他の作品にも触れてはいるものの、もう少し他の作品での分析も聞いてみたいです。

  • パーツパーツで読むと面白いのだけど、著者が訴えたい事を全体的に整理するとなると‥‥❓難しい。宮崎アニメとキリスト教以前の土着信仰との関係、また中国の陰陽五行説との関係など興味深く読めた。

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