- Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106101427
感想・レビュー・書評
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ぼんやりとですがずーっと、
「第二次世界大戦、日中戦争、十五年戦争、ノモンハン事件、インパールなどなど...あのあたりの事って言うのは、どうして起ったんだろう。誰がそうしたくて、誰が儲かったんだろう。それから、どうして戦後に出来た自民党さんっていうのは、具体的な理由がまったく無いのに憲法を変えたがるんだろう」
という興味があります。
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2005年に出た新書。
大変に短い、読みやすい本。ブックレットのような。
中国近現代史についてなんとなく読みたい、という気持ちと、「岸信介」という人についての本があればこれまた読みたいな、という気持ちがあって、衝動買い。
タイトルの通り満州国という、実質「関東軍と日本の官僚が作って運営した国家」についてのお話。
そして、満州国を仕切った人々が自民党政権下でも多く活躍した、という内容。
短い新書なので仕方ないですが、あまり深さとか歯ごたえは感じない。
ただ、いくつかの「ああ、そうかあ、知らなかったというか、そういう視点がなかったなあ」という事柄はありました。
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満州国、というのは、関東軍がでっちあげたような国。
なのだけど、そこの善悪の判断と無関係に、実は当時のアジアでもっともヨーロッパが近い国だった。というのは、簡単に言うと、鉄道でヨーロッパに行けてしまうのだから。
と、言う地理的な条件。
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事の発端の善悪はともかくとして、日本から大量の官僚が送り込まれ、
それぞれに日本国内ではまだ実権を握れないような中堅若手が、満州では実権を握れていた。
つまりはフロンティアであり、ゼロからクリエイトできる開拓領土だった訳だから、そこには(繰り返し言うけれどもモラル上の善悪はともあれ)若い官僚たちからすると物凄くロマンがあった訳ですね。
言ってみれば、「若い俺たちが国作りをできる」という恍惚。
だからそこで切磋琢磨した中堅若手の人々の間の共通体験っていうか絆みたいなものは強かっただろうなあ、と。
そして、全員が年代的にまだ若かった。なので、戦後、丁度1952年サンフランシスコ条約以降の高度成長へと向かう時代に、各部で実権を握る世代になった。政治家では岸信介であった。
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1917年がロシア革命。
満州国建国前後の若きインテリたちにとって、好むか憎むかはともかく
「マルクス・レーニン主義」というのは、無視できない思想だった、ということ。
岸信介さんが若き日に、「私有財産制を疑ってかかった」というのは興味深かった。
その頃すでに、資本主義と、特定の政党が事実上支配する制度としての民主主義、とが、格差とストレスを拡大していく、という問題点は認識されていたんだな、ということ。
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満州国のもとになったのは「満鉄=南満州鉄道株式会社」。
簡単に言うとほぼ日本の国営だった訳ですが。
ここで、初期の頃に「調査部」という部局があって、
「当時の最先端のシンクタンクだった」ということ。
つまり、巨額の予算を与えられて人材を抱えていた。
ゾルゲ事件の尾崎秀実なども所属していた。
日中戦争の行く先についてかなり深い洞察をしている。
その後、徐々に満鉄とともに衰退していく。
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日産というグループはまずは満州における御用商人として出てきたんだなあ、ということ。
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などなどは、面白かったです。
「満州生まれです」という世代の日本人がぼちぼちいなくなる頃。
確かに、ある時代の、意外と今は知られていない空気感が分かりました。
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でも一方で、
「満州国の経営政府と財源としてのアヘン、その暴利を得ていた日本国内政治家」
という、恐らく最近無視できない要素とか。
満州国の成立から滅亡までの、中国の側から見た位置づけ。
とか、そういう視点論点はまったく感じません。
総じて言うと、岸信介さんのご身内の人が読んで、まったく不愉快にならない、むしろ喜ぶようなソフトな内容だけの本になっていますね。
つまりは、「そこに若き日本人の創意工夫とロマンがあった」みたいな、プロジェクトX風味の物語味付けがされているわけです。
そこのあたりは不満が残りました。 -
私流に理解すると戦後日本を高度経済成長に導いた55年体制を作った岸信介。その原点は満州国と満州人脈にあったというお話である。写真を観ると岸信介には凄みを感じるがその孫のなんとひ弱な事であろうかと思った。
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満鉄とくに満鉄調査部の研究で知られる小林英夫の著作。
満州国における統制経済を指導した「ニキ三スケ」特に岸信介に焦点をあて、岸をとりまく椎名悦三郎など旧商工省や財閥の人脈の戦前戦後を描いている。
原彬久の『岸信介』を読んだ後だと、物足りなさを感じるが、サクっと読むにはこちらでもいいかも。
個人的には、1950年に千葉に高炉を建設した川崎製鉄の技術者のなかに、もともと満州の昭和製鋼所で勤務していた人々が数多く含まれていたというのが興味深かった。