「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

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  • 新潮社
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本棚登録 : 368
レビュー : 57
  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106102486

作品紹介・あらすじ

「私」とは何か?「世界」とは何か?人生の終末期を迎え、痴呆状態にある老人たちを通して見えてくる、正常と異常のあいだ。そこに介在する文化と倫理の根源的差異をとらえ、人間がどのように現実を仮構しているのかを、医学・哲学の両義からあざやかに解き明かす。「つながり」から「自立」へ-、生物として生存戦略の一大転換期におかれた現代日本人の危うさを浮き彫りにする画期的論考。

感想・レビュー・書評

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  • この本に救われた。

    大好きな祖父がボケ始めたのは、私のせいだ。
    14年前、私のつくったストレス状態が、脳梗塞を招いたのだ。
    退院した祖父は痴呆症状を徐々に悪化させていった。
    しばらく伯母の家にいたのだが、
    手に負えなくなり、施設に入ることになった。
    会いに行くと、祖父が帰りたいと言って涙を流すので、
    母は祖父に会いたがらない。
    私が実家に帰っても、
    祖父に会う時間は数日間のうち1時間もなかった。
    最期の10年間、一緒にいた時間は半日もない。
    そのほとんどが、祖父が死んだ病院に入院してからの時間だ。

    祖父は、私のことを覚えていなかった。
    他人というより、祖父の姿をした宇宙人のような気がした。
    私のことを思い出して欲しいなんて
    贅沢なことは思わなかったけど、
    一度でいいから通じ合いたいと思っていた。


    祖父が亡くなってから、この本を知った。
    いわゆる痴呆老人は、なぜ徘徊するのか。
    なぜおかしなことを言うのか。
    なぜ妄想にとりつかれているのか。
    たくさんの「なぜ」が丁寧に紐解かれていった。
    これまで読んだ本にはない新しい視点だった。


    祖父は宇宙人ではなく、
    最後まで祖父だったんだとわかった時、
    心がスッと楽になった。

    たくさん謝りたいことはあるけど、
    祖父なら許してくれるはずだ。
    祖父は私のことが好きだったのだし、
    最後まで祖父は祖父だったのだから。

  • ただの認知症解説の本ではありません。痴呆を入口として自己のあり方、日本文化へと広がっていきますので読み手は後半考えさせられますね。第5章あたりから。終末期医療で無力感を感じるときに。噂には聞いてたけどこの著者はスゴイ方です。

  • 人は必ず老いていく。

  • 新書やビジネス書を読むときは、面白いと思った箇所に
    付箋を貼ったりするのだけれど、これほどたくさんの付箋
    を貼った新書はこれまでになかったと思う。気づきを与えて
    くれた点や、思わず唸って納得したりする点が随所にあって、
    得るものが多かった一冊。

    この本の内容をタイトルだけで推測するのは早計。なぜなら、
    扱う範囲は「痴呆老人」にとどまらなくて、「認知能力の低下
    に対する怖れ」という事象をキーワードに、現在の日本と
    日本人が抱えている問題にまで及んでいるのだから。
    アプローチは、医学的見地をベースに、哲学や宗教の考え方
    を絶妙にブレンドしたもの。哲学や宗教の部分は少し難しい
    けれど、このブレンドのおかげで説得力が増しているのは
    間違いない。

    第一章 わたしと認知症
    第二章 「痴呆」と文化差
    第三章 コミュニケーションという方法論
    第四章 環境と認識をめぐって
    第五章 「私」とは何か
    第六章 「私」の人格
    第七章 現代の社会と生存戦略
    最終章 日本人の「私」

    付箋を貼った箇所の中でいちばん印象に残ったのは、第七章
    で「ひきこもり」について触れた部分。

    元々、日本の育児法は伝統的に他者とのつながりを重視
    するものだったけれど、20世紀後半になってこの国は「自立」
    した人間を育てるという方針に舵をきった。そこで何が起きたか
    というと、疑問を解くため、あるいは判断をするための判断
    基準を求める子どもに対して、親や教師は回答を与えずに
    「自分で考えなさい」と返すようになった。まだ自己決定に
    必要な能力を育んでいない子どもはそこで悶々として、
    自己決定をしなければいけない場面から意識的に遠ざかる
    ようになってしまった。これが「ひきこもり」の始まりだ、
    というのが筆者の指摘。
    そして、こんな事態を防ぐには、「判断基準というものが
    どこにあるのかを子どもに教え込む作業が、前もって、
    または同時進行的に行われなければならない」と説く。

    この作業をきちんと行う重い責任が大人たちにはある。

  • 考えさせられるテーマ

  • 数量的に把握  悪い人間関係だとボケ老人 アフリカンアメリカン 心理的・文化的エートス 胃ろう アメリカ 自立的尊重 ラテン語 コミュニカレ 古義 ともに楽しむ 飢餓への慢性的な恐怖 情動を揺さぶる 情報 虚構を再現
    最小苦痛の原則 深入りしない    客我 士農工商 幸せな閉鎖空間には 森林がいる。

  • 第7章現代の社会と生存戦略
    うん、納得。
    ・現代の日本社会が求めるアトム的自己に切り替えることが難しいつながりの自己の者。
    ・「どのように判断し、行動すべきか判らない状況で生ずる不安が、すぐに「キレる」という行動に転化してしまう」
    ・ひきこもりの鍵は「自立強迫的な子育てと、その影響下に置かれた子どもの、自立することへのこだわり」
    ・自己判断、自己決定は必要だが、その判断基準も同時に教える教育的配慮が必要。

    ひきこもりだけでなく、メンタルを病む社会人が多いのもそういう面があるのではないかと考えさせられた。

  • 痴呆だけにとどまらず、様々な面で示唆にとんだ内容に新たに購入しなおしました。

  • 今は認知症だが用語を変えたところで「異質で厭わしい」という認識が変わらなければ単なるラベルの張り替えに過ぎないとSソンタグも言う。社会から見た痴呆とその本質を深くえぐっている。誰でも年取りボケるのだ。
    ブログに感想文をば→http://zazamusi.blog103.fc2.com/blog-entry-84.html

  • 「認知症とはこれこれこういう病気です」ということを記載するアプローチではなく、多重人格者や引きこもりなど、うまく社会とつながれない人との対比から記載されていたので、とても興味深く最後まで読み進めることができました。

     認知症を病気と捉えるか否か。家族の中で、老人が尊敬される歴史を持ち、その存在がしっかり根付いていれば、認知症は老化現象の一形態として自然と受け入れられるものなのだなと思いました。現代ではなかなかそこまで出来ないとしても、アメリカのように認知症を自立性が失われた状態として適切なケアが受けられないケースを考えると、日本は温かく丁寧な対応してくれる施設が多くあり、まだ救いがある状態なのかなとも。

     認知症の人が穏やかに過ごすためには快の回路をたくさん残してあげること、最重要だなとやはり感じた(家族仲がうまくいっていない?家族が面会に来たり、自宅に一時帰宅したりした後で、患者が不安定になるという事例を読んで)。ただ、5分おきに同じことを何度も問い返されたり、文句ばかり延々と言われたりという相手に快の回路を作る対応をするのは難しいとも感じる。最後の章に記載されていた「神の自由な世界に一歩近づいた存在」として対峙できればきっと良い対応ができるのだろう。ただ、ゆったりした時間の流れが許される社会でないと厳しいなと思う。

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著者プロフィール

東京大学名誉教授。
1973年生まれ。名古屋大学大学院生命農学研究科博士課程終了。農学博士。
著書に、『終末期医療』(弘文堂)、『「痴呆老人」は何を見ているか』『人間の往生』『呆けたカントに「理性」はあるか』(新潮社)『老年という海をゆく』(みすず書房)ほか。

「2019年 『さよならのじゅんび』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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