- Amazon.co.jp ・本 (189ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106103070
感想・レビュー・書評
-
私には難しい本だった。そもそも「クオリア」という言葉の意味もよく分からなくて‥。Wikipediaによると、”
心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のこと”。やっぱり分からない。
でも科学者と仏教者の対話という観点ではとても面白かったです。 -
-
近づきたいけど近づけない世界観
-
09/4刊 新潮社 新刊案内
-
脳科学者の茂木健一郎と、禅僧の南直哉が、3回にわたっておこなった対談を収録しています。
南の語る内容は、彼のこれまでの著作と同様、彼自身の解する仏教の立場からまっすぐに届けられてきますが、これにたいする茂木の発言は、脳科学者の立場からなされているものとはいいがたいように感じます。ある意味では、南のことばをうまく引き出す役割を果たしているといえるかと思うのですが、「脳科学者と禅僧の問答」というサブタイトルを裏切ってしまっています。
あるいは、もはや科学者ではない、一人の人間としての茂木の姿を見ることができるところにおもしろさを感じる読者もいるかもしれません。 -
恐山に行ってみたくなった。
人生を質入れしない。 -
茂木さんは,もう脳科学者の看板を下ろして,ちゃんとフリーライターとして自由にすればいいと思う.面白いけど,胡散臭く感じる.フリーライターがその人となりで南さんの思いをうまく引き出している.面白かった.
-
「無記」という言葉に出会えただけでも、自分にとっては価値があった。この境地というか「悟り」ははるか彼方の感覚なんであろうけれど、問い続けていった先に、これ以上先は問わないとできる気持ちの持ちようって何なんだろう。この本を入口に、仏教について学びたいと純粋に思った。常に目の届く範囲においておこうと思う。
茂木さんはそれを、クオリアと呼んだ。概念とか、本質とか、なんと表現してもいいですが、いま、感じた(感じている)その感覚が「その...
茂木さんはそれを、クオリアと呼んだ。概念とか、本質とか、なんと表現してもいいですが、いま、感じた(感じている)その感覚が「そのもの」です。
もやっとしていたら、わかりかけている証拠だと思いますので、他の「なにか」で練習してみると、この感覚が研ぎ澄まされるのではないですか?
クオリアを、違うと知りつつ、分かり合うことが、禅問答にもつながってきませんか?
ありがとうございました。