日本辺境論 (新潮新書)

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  • 新潮社
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レビュー : 611
  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106103360

作品紹介・あらすじ

日本人とは辺境人である-「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。

感想・レビュー・書評

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  • 日本人の性、日本人らしさの嫌なとこ(私には)が溝さらいされてて、感心させられた。
    生き残る為なら、なんだってやる。
    国民性でもあるわけか・・
    意識改革すれば、どうにかなると思ってたけど、根深い風土というか、土着性に起因するのかもと、呪いをかけそうになったわ(^.^)

  • ・君が代の起源・日の丸の起源について。
    ・日本という国を語るとき、他国との比較で語ってしまうのはよくない。
    ・人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときが多い。・・・なるほど。

  • 内田樹が、世に知られることになった一冊。
    2019年、泥沼のような安部晋三政権を変えようという参議院選挙
    前に、「美しい国」の嘘っぽさ、背後の「日本会議」の危うさを見つめ直すために、
    10年ぶりに再読しようと思う。

  • 「日本辺境論」内田樹著、新潮新書、2009.11.20
    255p ¥777 C0233 (2019.05.19読了)(2019.05.16拝借)(2010.08.10/20刷)

    【目次】
    はじめに
    1 日本人は辺境人である
    「大きな物語」が消えてしまった
    日本人はきょろきょろする
    ほか
    2 辺境人の「学び」は効率がいい
    「アメリカの司馬遼太郎」
    君が代と日の丸の根拠
    ほか
    3 「機」の思想
    どこか遠くにあるはずの叡智
    極楽でも地獄でもよい
    ほか
    4 辺境人は日本語と共に
    「ぼく」がなぜこの本を書けなかったのか
    「もしもし」が伝わること
    ほか
    終わりに


    (「BOOK」データベースより)amazon
    日本人とは辺境人である―「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。

  • なんか伊丹十三に似てるなぁ~ 
    有名どころの日本人論を網羅してる
    有名な日本人論をあらためて読みたくなる本

  • 日本は世界の辺境にあり、日本人は辺境人である、という視点に立ったとき、改めて日本の現状が見えてくるという皮肉ながらも本質をついた論述。起源から遅れている中で、ゲームの理論は分からないながらも、生き延びるためにとにかくやるしかないと突き進んできた日本人。
    アメリカとの建国の対比、第二次大戦への参戦、日本国憲法の生い立ち、日本という国名のそもそもの意味合い、など日本人として改めて日本人について考えさせられた。

  • 「地政学的辺境性が日本人の思考と行動を規定している」ことを論じた本。2009年11月発行。

    著者は、「辺境人の最大の欠点は「私は辺境人であるがゆえに未熟であり、無知であり、それゆえ正しく導かれなければならない」という論理形式を手放せない点にあ」るという。他国にキャッチアップする際には、「無知」を装った「狡知」ともいえるスタンスで貪欲に学び成長するが、追いついた途端にあたかも「諸国の範となるような国」になってしまったら日本が日本でなくなるかのごとく思考停止に陥るのだという。「つい場の空気に流され、自前の宇宙論を持たず、辺境の狡知だけを達者に駆使する日本人の国民的性格」とも言っている。

    いちいち頷けることだが、著者もいうようにこれらの特質は辺境に住む我々の体に染み付いていて修正しようのないものなのだろう。この特質のいいところを大いに使って賢く生きていくしかないんだろうなあ。

    面白かったのは、漢字(表意文字)とひらがな・カタカナ(表音文字)の併用(=脳内の二箇所を並行使用するハイブリッド言語)、「真名」(公用語、男性語)と「仮名」(コロキアルな土着語、女性語)、漢語とやまとことば、文語と口語、建前と本音、男性語と女性語などの、二項対立を形づくる日本語の特殊性が日本人の思考と行動を規定している、という指摘。

    武道の極意に繋がる「機」の話の部分、「後即先、受動即能動、祖述即創造」などが何だかよく分からなくて、残念。

  • 第一章でタイムアップ。また予約せねば。

  • 社会

  •  日本人は日本文化論は「決定版」をあたえず、たえず同一の主題に繰り返し回帰する。
     その基本は本当の知はどこかよそで作られていて、我々は何となく劣っていると思っている(「外部に上位文化がある」)。

     己の思想と行動の一貫性よりも、場の親密さを優先させる態度。
     とりあえず今ここで強い権力を発揮しているものとの空間的な遠近によって自分が何者であるかが決まり、何をすべきかが決まる。⇒「辺境人」のメンタリティ

     「辺境」とは「中華」の対概念。
     世界の中心に「中華皇帝」が存在し、その「王化」の光が同心円状に広がり、中央であれば強く、辺境は弱まる、というコスモロジー。

     しかし、その華夷秩序における「東夷」というポジションを受け容れることでかえって、列島住民は政治的・文化的なフリーハンドを獲得した、という風に考えられる。

     日本は後発者の立場から効率よく専攻の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するけれども、先行者の立場から他国を領導することが問題になると思考停止に陥る。
     他国の範になることは日本人がしてはならない、というように。

     辺境人の学びは効率がいい。
     自らを未熟と定義づけることで、学ぶモチベーションが非常に高い。
     努力と報酬の間の相関を予見しないこと(つまり、これを学ぶと何かいいことあるんですか?と聞かないこと)。

     「学ぶ」構えは知性のパフォーマンスを向上させるためには劇薬的に聞きます。そのため使い方が難しい。そのため、それを集団の統合原理の基礎にしているような社会集団はほとんど存在しない(日本とユダヤ)。

     私たち日本人は学ぶことについて世界で最も効率のいい装置を開発した国民
    ⇒「機」と「道」

     「外部に上位文化があ」り、そこから学ばなければいけない、とする哲学と、「私を絶対的に超越した外部」があり十分な強化の光がまだ届いていないとする宗教観は相性がよく、そこから導き出される最良の美質は「宗教的寛容」、逆は未熟への安住。
     
     日本人はなんでも「道」にする。
     外部に絶対的な境地があり、それを目指すという構えで学び始める。
     何かを達成したと思いあがるとすぐに不調になる。この特性を勘定に入れて様々な人間的資質の開発プログラムを奔放では「道」として体系化している。
     「道」は優れたプログラムではなるけど、それは誰も見たことのない「目的地」を絶対化するあまり、己の未熟、未完成を正当化もしている。しかし、それと引き換えに切迫感は失われる。


     武道的な「天下無敵」。「私の敵は私」。
    「標準的でない私」を敵視すると、敵は無限に作り出せれる。
     じゃあ、敵を作らないためには?
     主体の概念規定を変えるしかない(「私」として規定するもの)。
     時間を細かく割ることで、主観的な時間の流れをコントロールする。
     
     私たちが引っ掛かっていた問題をもう一度確認します。辺境人は「遅れてゲームに参加した」という歴史的なハンディを逆手にとって、「遅れている」という自覚を持つことは、「道」を極めるうえでも、師に使えるうえでも、宗教的成熟を果たすためにも「善いこと」なのであるという独特のローカルルールを採用しました。これは辺境人の生存戦略として極めて効果的なソリューションですし、現にそこから十分なベネフィットを私たちは引き出してきました。
     問題はその手が使えない局面があることとです。(略)私たちは常に「呼びかけられるもの」として世界に出現し、「呼びかけるもの」として、「場を主宰する主体」として、私は何をするのかという問いが意識に前景化することはけしてありません。すでになされた事実にどう対応するか、それだけが問題てあって、自分が事実を創出する側に立って考えるということができない。(略)武家と禅家が思いついたのは、つねに「期限に遅れる」という宿命を負わされたものが、それにもかかわらず「今ここで一気に」必要な霊的深度に達するためには、主体概念を改鋳し、それによって時間をたわめてみせるという大技
    を繰り出すソリューションでした。(それが西洋哲学には理解できない「機」。)

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著者プロフィール

うちだ・たつる 1950年東京生まれ。武道家(合気道7段)。道場兼能舞台兼私塾「凱風館」館長。神戸女学院大学名誉教授。翻訳家。専門はフランス現代思想史。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。ブログ『内田樹の研究室』。



「2019年 『そのうちなんとかなるだろう』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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