迷える者の禅修行: ドイツ人住職が見た日本仏教 (新潮新書 404)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106104046

作品紹介・あらすじ

「お坊さんになって悟りたい!」-。悩めるドイツ人青年の危機を救ったのは、祖国で出会った坐禅だった。出家の覚悟を決めて来日するも、そこで見たものは、この国の仏教のトホホな姿。算盤を弾くばかりの住職、軍隊のような禅堂、仏教に無関心な世間…。失望と流転の末、ようやく辿り着いた理想の修行は、小さな山寺での自給自足・坐禅三昧の生活だった。日本人が忘れた「一瞬を生きる意味」を問う、修行奮闘記。

感想・レビュー・書評

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  • 筆者は1968年生まれのドイツ人。ふとしたことから、仏教・禅の修行のために来日して、そのまま日本に住むこととなる。本書が書かれた時点では、兵庫県の安泰寺というお寺の住職をされている。本書は、筆者の日本での修行体験を語ったもの。
    私の妻はタイ人。私はタイで約5年間勤務していた経験があり、その時に知り合って結婚した。タイ人には仏教徒が多く、国民の約95%以上が仏教徒だと聞いたことがある。タイでは、生活に仏教が根付いているな、と思ったことが結構あった。
    私が勤務していたのはメーカーで、オフィスがバンコクにあると同時に、工場がバンコクから200km程度離れた海沿いの工業地帯にあった。タイには、宗教的な年間行事がいくつかあるが、工場の周囲のお寺で社員が大勢集まり、行事を就業時間内に行ったりする。また、出家のための休暇制度があったりして、仏教の習慣が比較的身近にあるように感じた。
    本書の筆者は、日本では、仏教が生活に根付いており、お寺では修行が出来ると思って来日したわけであるが、日本では、そこまでお寺が人々の生活に入り込んでいるわけではないことに気づかされ、がっかりする経験を持っている。

    タイで、妻のアパートに初めて泊まった時のこと。
    エアコンもないアパートは非常に寝苦しく、朝方、まだ薄暗い中、眠れないまま、当時はまだ嗜んでいたタバコを吸いに外に出た。すると、黄色っぽい衣装を身につけたお坊さんが何人か托鉢に歩いていた。とある家の前で、その家の方たちが喜捨をされているのを見た時、あぁ、これがタイの習慣なのだなと思ったし、遠くに来たのだな、とあらためて感じたことを思い出した。

  • ドイツ人にもかかわらず、日本の禅寺で住職を務めている方の、手記になります。
    意外にも、欧米では「禅」が文化の一つとして周知されているそうで。

    一貫しているのは「人の生きる意味」についての深い思索、でしょうか。
    かといって悟りきっているわけでもなく、折々で懊悩されています。

     「自分だけがまともな修行をしていると思い込んで壁を作り、皆を見下していた」

    また、純粋に宗教として見た場合、その理念と現実の乖離には、、
    日本の仏教界もかなりドロドロしているなぁ、とも。

    といっても、ビジネスとて捉えればそれもある意味道理の一つでもあり、
    これはローマ法王などから見るキリスト教も同質の病巣?はあるかな、と。

     「「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っている」

    ちょうどこの書と入れ違いに読み始めた『知の逆転』で、
    「人生は無意味」なんてフレーズが出ていたのとシンクロしました。

    それぞれのスタンスも専門も、全く異なっていながらも、
    本質として同じことを言わんとしているのは、非常に興味深く落ちてきました。

    こういうことがあるから「読書は刺激的」なのだと、思います。

     「人生こそが問いを出し私たちに問いを提起している」

    けだし真理であると、実感してしまいました、、
    ん、人は常に問われている、その在り様を、なんて。

  • ドイツ人の禅僧である「ネルケ無方」さんの著書です。
    外国人での禅を支持する方は多いですが、出家得度し禅僧となり、しかも禅寺である安泰寺の住職も務めているという突出した経験をお持ちです。

    本人が仏道を志し、日本に渡り現在に至るまでの紆余曲折の経緯を時系列に書かれています。

    私自身、禅僧の方が書いた本を何冊も読んでいるのですが、禅僧の方は常人離れした達観の域に達していると思っていましたが、この本を読んでイメージが変わりました。

    普通に人間関係で揉めたり、悩んで凹んだり、逃げ出したりと、俗人とあまり変わらないですね。
    まぁ、考えてみれば同じ人間なので煩悩も同じようにあるのが当たり前ですが。
    ただ、それらに正面から向き合うという姿勢と覚悟が違うということでしょうか。それこそ座禅(修行)ということのようです。

    著書自信が悩みつつ会得した内容なので、リアリティがあり、読んでいて非常に面白かったです。

    この本でも何度か出てきますが、「離してみてこそわかる」という内容が印象に残りました。
    私も離すことで変わるものを沢山掴んだままにしています。

  • 著者はドイツから本当の禅を求めてやってきたお坊さん。理想と現実の間で仏教に突き進む姿がすごいなと思った。仏教は葬式の儀礼だけじゃなく、迷える人に寄り添い生きるヒントを教えてくれるものでいてほしい。

  • シンプルで分かりやすい。日本仏教以外の仏教のことはどう考えているのだろう。

  • ひょんなことから体験した禅。
    実際に修行する人はどんな生活をしているのかが分かる本。日本社会が求める”お坊さん”の役割とその修業の目的が結びついているから、本当の仏教修行と呼べるのかという問題提起が興味深かった。
    日本人はこんな内部事情を赤裸々に書けなさそう。

  • 雲水が自給自足をしているお寺、安泰寺の現住職の自伝的な本。ミーハーな話ですが、映画にしたら面白そう。
    落ち着いていて中立的な視点で書かれているのに、とても身近に感じられました。

    頭でっかちと言われていた著者が、理不尽に厳しい修行(要するにいじめ…)も含め、たくさんの経験を積み重ね変化していくのが素敵です。生きることって楽しい。

  • 2011年1月20日、初、並、帯無
    2015年6月9日、名張BF

  • ドイツ出身の禅僧の著作。

    仏教・禅の解説は既知のものだったが、寺の内部描写の方に関心を持った。
    そして読んだ結果、臨済宗が「パない」ことは分かった。

  • ドイツ出身の禅僧、ネルケ無方さんの出家のお話。ヨガの先生がブログで紹介されていて以前から気になっていた本。とっても興味深く読めた。

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著者プロフィール

1968年、旧西ドイツ・ベルリン生まれ。7歳で母と死別し、人生に悩む。16歳で坐禅と出合い、禅僧になる夢を抱く。1990年、京都大学の留学生として来日。その秋から初めて曹洞宗・安泰寺に上山し、半年間の禅修行に参加する。1993年に安泰寺で出家得度。8年間の雲水生活を経て嗣法。2001年から大阪城公園で「ホームレス雲水」として毎朝の坐禅会を開く。2002年に師匠の訃報に接し、安泰寺第9世の堂頭(住職)となる。国内外からの参禅者・雲水の指導にあたって坐禅三昧の生活を送っている。著書に『迷える者の禅修行――ドイツ人住職が見た日本仏教(新潮新書)、『裸の坊様』(サンガ新書)、『禅が教える「大人」になるための8つの修行』(祥伝社新書)、『ドイツ人住職が伝える 禅の教え 生きるヒント33』(朝日新書)、『迷いながら生きる』(大和書房)、『日本人に「宗教」は要らない』(ベスト新書)、『読むだけ禅修行』(朝日新聞出版)、『迷いは悟りの第一歩』(新潮新書)、『ありのままでいい、ありのままでなくてもいい』(KKベストセラーズ)、『ドイツ人禅僧の心に響く仏教の金言100』(宝島社)がある。

「2015年 『安泰寺禅僧対談』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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