日本語教室 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 922
感想 : 112
  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106104107

作品紹介・あらすじ

井上ひさしが生涯考え続けた、日本と日本語のこと。母語と脳の関係、カタカナ語の弊害、東北弁標準語説、やまとことばの強み、駄洒落の快感…溢れる知識が、縦横無尽に語られる。「日本語とは精神そのもの。一人一人の日本語を磨くことでしか、未来は開かれない」-母校・上智大学で行われた伝説の連続講義を完全再現。日本語を生きるこれからの私たちへ、"やさしく、ふかく、おもしろい"最後の言葉。

感想・レビュー・書評

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  • 「日本語」というものに常に向き合ってきた人の言葉がここにはあります。
    講義録だからほんとに井上ひさしさんの話を聞いているみたいです。
    専門知識ももちろんあります。第4講に出てくる、助詞の「は」と「が」の違いなんかの話はすごく面白かった。

    だけど、この本の魅力はそれとは別のところにあるのかなって思います。
    それは、この講義の中に井上ひさしさんの「日本語」や「日本人」や「人間」に対する思いがあふれていることだと思います。
    こんな人がいてくれる。
    危機感を持って話をしてくれる。
    そしてそれは、やさしくてあったかい。
    名講義だなって思います。
    直接聞きたかったな。

  • 序盤などは、茶髪にふれて、「ちょっと頭が固いおじさんだな」という印象を持ちましたし、他にもそういうところがちらほら見受けられました。でも、一冊まるまる読むと、そういったところはちょっとした心のニキビのようなものだったりもして、井上さんの根っこのところは、もう少し寛容でおおらかだよなぁと感じられる。

    本書は、僕やあなたの母語である(そうじゃない方もいるかもしれませんが)日本語について、その「今」「なりたち」「特徴」「ルール」などをかいつまみながらも、井上さんの視点からとらえた彼なりの要点というものを軸に、しっかりと説明してくれます。といっても、180pくらいの新書ですから、網羅的かつ専門的に論じている本ではないわけです。本ではないというか、もともとが上智大学での4回の講義をテキスト化したものなので、研究のさわりや彼の推論を楽しむような講座なのです。おまけに、笑いに満ちていたりします。

  • 井上ひさしの人柄がよくでてる一冊。暖かな気持ちで読めるし、日本語の面白さを再認識する。井上ひさしは本当は学者なんじゃないかと錯覚するほど鋭い考察と、暖かい語り口が必見。

  • 井上ひさし氏が日本語について行った講演を本にまとめた一冊。

    日本語の、多言語との比較、音節、母音・子音、方言等学術的な分析もさることながら、言葉に対する真摯な態度とやさしさがにじみ出ていて読んでいてとても好感を抱いた。

    昨今の風潮である、やたら横文字を使う日本人に苦言を呈しつつも、決して否定だけに終わらない柔軟な姿勢こそ最も必要ではないのか。

    「わかっているつもりでも本当のところはわかっていない言葉を使って考えるのは非常に危険だから乱発しない」

    言われてみれば当然と思われるが、現実はむやみやたらに横文字が横行しているという事実を忘れていはいけない。

  • こんなにも深く語感を考えてたらそりゃあ遅いよなあと思う。そのかわりすばらしく楽しい舞台に出会えたわけだ。
    母音を重ねる日本語の響き、意識してみよう。結構仕事でもネーミングに悩むし。

  • こういうのは好きです。井上ひさしさんはいい本を残してくれました。ベトナム語をかじったり旅で英語を使ったりすると、日本語ってなんで今みたいな形になったんだろうって考えることがあります。「デフレの正体」とおんなじぐらいおすすめです。みんなで日本語を守ろう!

  • 内容は難しくてさっぱり頭に残っていないけど、井上ひさしの講演は面白いだろうなって思う。聞いてみたかった。

  • 2021年8月23日(月)に清風堂書店で購入し、25日(水)に読み始め、同日読了。

  • 日本語教室

    著者:井上ひさし
    発行:2011年3月20日
       新潮新書

    2001年、当時、最も正しい日本語を使う作家とされていた井上ひさしが、母校の上智大学で4回にわたって日本語について講演したものを書き起こしてまとめた新書。軽いタッチで非常に充実した、しかも誰しもが興味津々となる内容でした。

    著者が手書きで思いつくままにまとめた現在の日本語成立過程の図は圧巻でした。仙台一高出身の著者、縄文時代の標準語は東北弁だった、と主張。

    主格を示す格助詞「は」と「が」の使い分けについても、我々が教えられた常識とは違うことで結論づけていて、誠に勉強になりました。

    外来語の問題点
    再生、改良、仕立て直し、改築、増築、改装。日本語にはたくさんの意味があるのに一言で「リフォーム」と言ってしまうことが問題。

    「イエスかノーか」はだめ
    デジタル思考にすぎない。本当はイエスとノーとの間に大事な領域がある。国連の公用語に戦勝国の言葉だけでなく、なぜスペイン語が含まれるか。それはスペインがどちらの立場の国に対しても間に入って大きな貢献をしたから.

    理想に一番近い文章を書く人
    丸谷才一か、大江健三郎か(でも少し漢字が多い)

    言葉の長さ
    英語やフランス語で2時間の芝居を日本語に訳すと4,5時間かかる。言葉が母音で終わり、音節の種類が少ないから。

    濁る、濁らないの区分け
    茶畑の畑は「ばたけ」と濁るが、田畑の畑は「はた」と濁らない。前者は畑がメインだから。つまり、茶の畑だから。田畑は田と畑で同等。「弾きがたり」と「弾きかたる」は、用言と用言が重なるから濁り、用言と体言だと濁らない。

    そばの数詞
    ざる蕎麦は、更科系が「枚」で、天竜系が「杯」。

    「は」と「が」の使い分け
    格助詞の「は」について、以前は区別の「は」と言われていたが、大野晋が研究を重ねて結論を出した。
    例えば、「おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」
    これは区別の「は」ではなくて、既知の旧情報は「は」、未知の新情報を受ける場合は「が」を使っているに過ぎない。未知の情報、おじいさんとおばあさんのことは「が」であり、すでにそれが出てきた既知の旧情報だから柴刈りや洗濯は「は」となる。

    日本語の成立
    ①原縄文語

    ②前期九州縄文語→琉球縄文語→琉球諸方言
                →表日本縄文語→山陽・東海方言
                →裏日本縄文語→東北方言

    後期九州縄文語            ↓
    ↓                     ↓
    ③原弥生語=後期九州縄文語+裏日本縄文語+渡来語

    弥生語

    関西方言
    ↓(+漢語やラテン語、ポルトガル語など)
    官制日本語

    現・日本語
    ↓(+英語)
    ?語
    *つまり、昔は東北弁が標準語だった、その一部が今も出雲地方に残る
     後、大野晋「タミール語源説」通りに渡来語が入り、弥生系、関西方言になり、それが広まった

    日本語をあてた際の罪
    例えば、「ライト」を日本語に訳した時、仏教でいう力ずくで得る利益の意味の「権利」をあててしまったのが過ちだった。西洋では当然の「ライト」が日本ではやましいニュアンスもある「権利」となった。権利を主張するなら義務を果たせ、という風潮が出来てしまった。

    標準語とは
    東京の山の手言葉だけとは限らない。
    例えば、おまわりさんの官制標準語は常陸(ひたち)弁。「○○であります」は山口の言葉。

    日本はよい国か?
    ボストン大学の社会学者メリー・ホワイトの言葉。
    「アメリカはよい国か。イエス。ただし、奴隷制や、先住民族抑圧や、日系人の強制収容や、無差別爆撃や、原子爆弾の投下や、ベトナム戦争がなければの話だが。日本はよい国か。イエス。素晴らしい国である。ただし、台湾・朝鮮の植民地化、満州国のでっち上げ、それからオキナワとアイヌに対する差別、被差別部落、それから在日韓国・朝鮮人に対する抑圧、それから従軍慰安婦問題、そして南京虐殺を除けばだが」

    山梨県の奈良田という村、名古屋弁
    戸数が50戸ぐらい。「つ」という音が巻き舌になって「トゥ」になる。月見はトゥキミ、狐はキトゥネ。名古屋弁は「え」が「ええー」、「お」が「おおー」になる。だから、「エエービフリャー」となる。

  • 山形県出身の小説家で、NHKテレビの人形劇『ひょっこりひょうたん島』(1964)を始め劇作家としても長く活躍した井上ひさし氏が、母校の上智大学で行った日本語に関する講演をまとめた一冊。古来から日本固有の「大和言葉」、中国から伝わった「漢語」、カタカナで表記される「外来語」の3つを無意識的に織り交ぜる日本語を「日本精神そのもの」と絶賛し、言葉のグローバリゼーション(世界化) が日本に与える悪影響を懸念する。西洋の文化を積極的に取り入れた明治の時代に、スピーチを「演説」、フリーダムを「自由」、エコノミーを「経済」と訳して日本に定着させた福澤諭吉のセンス(←感覚 ?)に感服する一方で、その素晴らしい日本語の劣化が近年著しいと嘆いている。日本の化粧品メーカーのFANCLが「ファンケル」と読ませる現状を「横暴」と言い切って日本語の危機を覚える感性は、次項で紹介する言語学者の井上史雄や鈴木孝夫に通じるものがある。

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著者プロフィール

井上ひさし

一九三四年生まれ。上智大学仏語科卒。「ひょっこりひょうたん島」など放送作家として活躍後、戯曲・小説などの執筆活動に入る。小説では『手鎖心中』で直木賞、『吉里吉里人』で日本SF大賞および読売文学賞、『腹鼓記』『不忠臣蔵』で吉川英治文学賞、『東京セブンローズ』で菊池寛賞、戯曲では「道元の冒険」で岸田戯曲賞、「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」で紀伊國屋演劇賞および読売文学賞、「シャンハイムーン」で谷崎潤一郎賞、「太鼓たたいて笛ふいて」で毎日芸術賞および鶴屋南北戯曲賞など、受賞多数。二〇一〇年四月死去。

「2021年 『さそりたち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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