日本語教室 (新潮新書 410)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (182ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106104107

作品紹介・あらすじ

井上ひさしが生涯考え続けた、日本と日本語のこと。母語と脳の関係、カタカナ語の弊害、東北弁標準語説、やまとことばの強み、駄洒落の快感…溢れる知識が、縦横無尽に語られる。「日本語とは精神そのもの。一人一人の日本語を磨くことでしか、未来は開かれない」-母校・上智大学で行われた伝説の連続講義を完全再現。日本語を生きるこれからの私たちへ、"やさしく、ふかく、おもしろい"最後の言葉。

感想・レビュー・書評

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  • 本書は、日本語そのものを学ぼうというのではありません。
    井上ひさしが考える、日本語の現状をさらっと把握して、「日本語とはどういう言語か」ということを考える書です。

    気になったことは以下です。

    ・15歳を過ぎるとどんな言葉も覚えることができない
    ・母語は道具ではない、精神そのものである
    ・日本は、いつもそうです。世界で一番強い文明を勉強します。中国そして、欧州、戦後はアメリカです。
    ・日本には、自分の住んでいるところは大したことなくて、優れたものは他にあるという、そういう精神構造はいまだにあります。
    ・たいへん便利で、大きな文明が入ってくると、そこにもとからあったものはなくなっていって、大きな文明に吸収されていく、言葉も然り
    ・言葉が自然に消えていくということはありません、必ず何かの、社会的、経済的、政治的圧迫で消えていくのです

    ・日本語の文法はどこから来たのか。ウラル・アルタイ語族、つまり、トルコ語と、日本語がよく似通っていることから、どうやらウラル山脈あたりから、シベリアを通ってやってきたのではないかということになっています。
    ・ほんとうに日本語はたいへんですよね。やまとことば、漢語と、外来語の3つを覚えなければなりません。
    ・日本語の音韻体系は簡単で完結で、非常な合理性をもっています。五十音図を思い出してください。あれで日本語の音全部を云いつくしているわけですからすごい
    ・近代国家にとって必要なものは、少なくとも3つある。貨幣制度、軍隊制度、そして、言葉の統一です
    ・いずれにせよ、明治国家は言語を統一しようとして、標準語をつくろうとしました
    ・逆にいうと、まだまだ日本語は完成されていないのです、また、そもそも日本語というものがあること自体おかしいともいえます

    ・日本語では音節が子音で終わることはありません、かならず母音で終わります

    ・日本人にはもう文法は必要ない
    ・一般に「口語文法」というときの「文法」というのは、だれか整理し組織立てたものなのか、わからない。これはつまり、私たちひとりひとりそれぞれの文法があるということです
    ・私たちは日本語の文法を勉強する必要はないのです、無意識のうちにいつのまにか文法を身につけていますから。

    目次

    はじめに
    第1講 日本語はいまどうなっているのか
    第2講 日本語はどうつくられたのか
    第3講 日本語はどのように話されるのか
    第4講 日本語はどのように表現されるのか
    井上ひさし著書・単行本目録(抄)

    ISBN:9784106104107
    出版社:新潮社
    判型:新書
    ページ数:192ページ
    定価:720円(本体)
    発売日:2012年04月10日 14刷

  • 「日本語」というものに常に向き合ってきた人の言葉がここにはあります。
    講義録だからほんとに井上ひさしさんの話を聞いているみたいです。
    専門知識ももちろんあります。第4講に出てくる、助詞の「は」と「が」の違いなんかの話はすごく面白かった。

    だけど、この本の魅力はそれとは別のところにあるのかなって思います。
    それは、この講義の中に井上ひさしさんの「日本語」や「日本人」や「人間」に対する思いがあふれていることだと思います。
    こんな人がいてくれる。
    危機感を持って話をしてくれる。
    そしてそれは、やさしくてあったかい。
    名講義だなって思います。
    直接聞きたかったな。

  • 本書は上智大学のOB会「ソフィア会」主催の「日本語講座」を書籍化したものである。この講座の聴講料は留学生の奨学金に充てるとのこと。
    2015年に本書を購入し一読したが、今回改めて読み直した。
    著者の井上ひさしはものを書き始めると、悪鬼のようになり、妻に暴力を振るった。それは、文章を書くことにナーバスであったからに違いない。
    例えば本書の冒頭に、
    「母語は道具ではない。精神そのものである」
    「小学校で英語を教えようということになったときに、僕は本当に危ないと思いました。すべて、そうやって、言葉は消えていくのです。」
    とあり、日本語に対して思索を重ねてきたことが感じ取れる。
    さらに読み進めていくと、仕事柄、膨大な研鑽を重ねてきたことが分かる。著者の独自の視点で研究してきたこともよく分かる。
    しかしそれは、学問のための研究ではない。自分の作品を書くための道具としての日本語の研究である。道具としての言葉をここまで研究してきたのかと驚嘆する。
    そしてそれを、ジョークに包んで言葉にできるところに井上ひさしという作家の狂気を見たような気がした。

  • 序盤などは、茶髪にふれて、「ちょっと頭が固いおじさんだな」という印象を持ちましたし、他にもそういうところがちらほら見受けられました。でも、一冊まるまる読むと、そういったところはちょっとした心のニキビのようなものだったりもして、井上さんの根っこのところは、もう少し寛容でおおらかだよなぁと感じられる。

    本書は、僕やあなたの母語である(そうじゃない方もいるかもしれませんが)日本語について、その「今」「なりたち」「特徴」「ルール」などをかいつまみながらも、井上さんの視点からとらえた彼なりの要点というものを軸に、しっかりと説明してくれます。といっても、180pくらいの新書ですから、網羅的かつ専門的に論じている本ではないわけです。本ではないというか、もともとが上智大学での4回の講義をテキスト化したものなので、研究のさわりや彼の推論を楽しむような講座なのです。おまけに、笑いに満ちていたりします。

  • 井上ひさしの人柄がよくでてる一冊。暖かな気持ちで読めるし、日本語の面白さを再認識する。井上ひさしは本当は学者なんじゃないかと錯覚するほど鋭い考察と、暖かい語り口が必見。

  • 井上ひさし氏が日本語について行った講演を本にまとめた一冊。

    日本語の、多言語との比較、音節、母音・子音、方言等学術的な分析もさることながら、言葉に対する真摯な態度とやさしさがにじみ出ていて読んでいてとても好感を抱いた。

    昨今の風潮である、やたら横文字を使う日本人に苦言を呈しつつも、決して否定だけに終わらない柔軟な姿勢こそ最も必要ではないのか。

    「わかっているつもりでも本当のところはわかっていない言葉を使って考えるのは非常に危険だから乱発しない」

    言われてみれば当然と思われるが、現実はむやみやたらに横文字が横行しているという事実を忘れていはいけない。

  • こんなにも深く語感を考えてたらそりゃあ遅いよなあと思う。そのかわりすばらしく楽しい舞台に出会えたわけだ。
    母音を重ねる日本語の響き、意識してみよう。結構仕事でもネーミングに悩むし。

  • こういうのは好きです。井上ひさしさんはいい本を残してくれました。ベトナム語をかじったり旅で英語を使ったりすると、日本語ってなんで今みたいな形になったんだろうって考えることがあります。「デフレの正体」とおんなじぐらいおすすめです。みんなで日本語を守ろう!

  • 内容は難しくてさっぱり頭に残っていないけど、井上ひさしの講演は面白いだろうなって思う。聞いてみたかった。

  • 2021年8月23日(月)に清風堂書店で購入し、25日(水)に読み始め、同日読了。

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著者プロフィール

(いのうえ・ひさし)
一九三四年山形県東置賜郡小松町(現・川西町)に生まれる。一九六四年、NHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』の台本を執筆(共作)。六九年、劇団テアトル・エコーに書き下ろした『日本人のへそ』で演劇界デビュー。翌七〇年、長編書き下ろし『ブンとフン』で小説家デビュー。以後、芝居と小説の両輪で数々の傑作を生み出した。小説に『手鎖心中』、『吉里吉里人』、主な戯曲に『藪原検校』、『化粧』、『頭痛肩こり樋口一葉』、『父と暮せば』、『ムサシ』、〈東京裁判三部作〉(『夢の裂け目』、『夢の泪』、『夢の痴』)など。二〇一〇年四月九日、七五歳で死去。

「2023年 『芝居の面白さ、教えます 日本編』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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