文明の災禍 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 137
レビュー : 17
  • Amazon.co.jp ・本 (186ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106104374

作品紹介・あらすじ

産業革命以来、「発展」のため進歩させてきた末の技術が、いま暴走している。その意味で、原発災害を原発だけの問題としてとらえてはいけない。これは「文明の災禍」なのである。私たちが暮らしたかったのは、システムをコントロールできない恐ろしい社会ではない。「新しい時代」は、二百年余り続いた歴史の敗北を認めるところから始めることができるのである。時代の転換点を哲学者が大きな視点でとらえた、渾身の論考。

感想・レビュー・書評

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  • 原発事故を原発だけの問題としてとらえるのではなく、それは文明の災禍であり、戦後、求心力をもったあるイメージの崩壊でもある。
    また、戦後思想の見直しが必要であること、私たちが暮らしたかったのは、システムをコントロールできない恐ろしい社会ではないと言う内山氏の言葉にただ頷くばかり。


    何冊か原発に関する本を読みましたが、哲学者の方が書かれたこともあるのでしょうが、生き方と言う言葉で表現してしまっていいのか分かりませんが、そういったことをもっと深い次元で考えさせられました。

    私たちの奥底に巣くっていた、指摘されなければ気がつかない、無意識に支配されていた思想を指摘され、私には本当に目からウロコでした。

    原発事故によって文明、思想というものが大きくゆらいでいる今、これから人々はどの道を行くのか、今は本当に大切な分岐点にいるのに、それを、単に経済成長がどうのこうのという面だけで考えていては、再び同じような過ちをおかしてしまいかねない。

    この本を本当に多くの人に読んでもらいたいと思います。
    お薦めの一冊。

    http://glorytogod.blog136.fc2.com/blog-entry-1063.html

  • 某所読書会の課題図書.気になる言葉が頻出.供養(p15),大量の情報を受け取ると,不思議なことに私たちの判断能力を弱体化させる(p62),確かなもの,確かな実体は私たちにはとらえられないものとして存在しているのだろうか(p83),人間の営みが未来の時間を破壊した(p101),創造なき破壊(102),専門性という名の下におこなわれる暴力(p113),働く人たちの生活を犠牲にした経済発展だけを考えるような体制(p136),伝統社会から継承してきた現代文明とは異なる文明を私たちは基層的文明として持ち続けてきた(p159).最後の方に出てくる 利他と自利は重要な視点だと感じた.

  • 3

  • 先行きの不透明感を、率直に表現しつつも、原発事故で気付かされた現代社会の脆さを、冷静に素直に真摯に反芻する。大震災の半年後という時点で著された本で、まだ、ポジションを意識した泥沼論は少なかったのだろうか、落ち着いて当時の心境を振り返ることができる

  • 市井の哲学者 内山節が、東日本大震災を通して日本社会の姿を浮かび上がらせる。深い論考であるが、平易な表現で分かりやすい。
    著者の文章は、大学入試の国語の論述文で、よく使用されるとのこと。受験生である息子からの情報。受験は追い込みの時期。よくがんばっている。

  • 科学という文明がもたらした災禍が原発事故によって明らかになった。
    自然災害に科学の力、人間の力が及ばないということの他に、そこから起こった情報の錯綜。正しい情報を得ることができない科学の専門性の深さと世の中に流れる情報の多さ。
    そうではなく、地に足の着いた生活の範囲内、情報の範囲内で生きてはどうかというもの。

  • あまり印象に残らなかった。以前読んだ「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」に比べて、内容の広がりや実証が少ない上に、著者の体験に基づいた記述が少ないからだと思う。

    「情報を受け取りすぎて、適切な判断ができなくなる」
    「専門家の暴走」
    あたりは共感した。


    ただ、どーにも著者の「ソーシャルビジネス」や「コミュニティ回帰」あたりの主張も、分かるようでわからない。

    正直、書きたくて書いたような感じがあまり感じられなかった。

    時代は著者のような考え方を持つ人を必要としているとは思うし、だからこそ手にとって読んだんだけど、やっぱり彼は哲学者であって運動家や思想家ではないんだなぁと。

    次もきっと読むだろうけど、私は内山節のもっともっと自由に書かれたものが読みたい。

  • 現代文明の限界と敗北。原発事故を目の当たりにして、それにやっと気付いた。いや、みんなうすうす気づいていたけど、見て見ぬフリをしていたんだと思う。これからどんな社会を作るのか?一つ言えるのは、このままではダメだということ。私はどんなアクションを起こしていくのだろうか、少しづつ、変えていこう。

  • それほどおもしろい内容ではなかった。
    p.68にあるような情報の価値基準についての筆者の考え方こそが、p.110で述べるような、いわゆる「専門家」を作ったのではないか。現代では、情報はブラックボックス化しがちである。それは悪意ある隠蔽であるかもしれないが、たんに市民の怠慢であることも往々にしてあるだろう。「専門家」からの「暴力」に対抗するには、「餅は餅屋」という考え方を改める必要があるのだろう。
    本書の称賛すべき点は、「放射性物質に関しては、論理的に『風評被害』は存在しないと考えた方がよいと私は思っている。」(p.55)と震災数ヵ月後に表明したことではないかと思う。

  • 震災以降、なんとなく不安に感じていたことに対する答えがここには書かれているような、ずばり言い当てられたような、そんな感じがする。
    ここにも書かれているように、原発事故は「未来の時間を破壊する」ものであることが、その不安のひとつでもある。

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著者プロフィール

1950年、東京生まれ。東京都立新宿高等学校卒業。哲学者。1970年代から東京と群馬県上野村を往復しながら暮らす。むら人の暮らしの考察をとおして、自然と人間との関係、仕事と労働、時間や共同体などをめぐって、独自の思想を構築する。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授(2010年4月~2015年3月)などを歴任。NPO法人・森づくりフォーラム代表理事。『かがり火』編集人。主な著書は『内山節著作集』(全15巻、農文協)に収録されている。最近の著書として『日本人はなぜキツネにだまされなくなったか』(講談社現代新書)、『いのちの場所』(岩波書店)、『修験道という生き方』(共著、新潮選書)などがある。

「2019年 『内山節と読む 世界と日本の古典50冊』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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