西田幾多郎 無私の思想と日本人 (新潮新書 589)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106105890

作品紹介・あらすじ

日本的精神の核心を衝く! 知的興奮あふれる13章!世の不条理、生きる悲哀やさだめを考え抜き、無類の思想を生んだ稀代の哲人。自分であって自分でなくする「無私」とは? 日本一“難解”な哲学を碩学が柔かく読み解く。

感想・レビュー・書評

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  • 西田哲学の解説ではあるが著者の主張(反グローバリズム)が強く反映されている向きがあり,西田の著書の注釈以外の部分はその辺りを汲んで読む必要がある.
    そもそも元が難解ということもあって,丁寧に説明されてもなかなか理解が進まないところが多かったが,さしあたり雑把な要点としては,自己や他のものを無に帰することにより,それそのものが持つ性質が自ずと見え,特に自己についてはそうして見出した性質に対しての評価や批判を捨てて「物となって行う」ことが,我々の本来あるべき姿である,といったところのようである.

  • む、難しい〜
    かなり噛み砕いて説明してくれているとは感じるものの、「絶対無」が出てきたあたりから疑問符が付き始めました。
    わかりそうで、わからない、、、

  • 【配架場所、貸出状況はこちらから確認できます】
    https://libipu.iwate-pu.ac.jp/opac/volume/560598

  • 西田幾多郎に関する本を読んだのは本書で2冊目。
    (西田本人が書いた本は数ページ開いただけで諦め・・・)
    著者が経済学の教授であるということに興味を惹かれて手に取ってみたが、あとがきに、今まで遠ざけてきた西田幾多郎の本をたまたま読んでみたら一晩で読み切ってしまったとあり、その思いが随所に感じられ、こちらまでワクワクした気持ちで読み進められた。

    いろいろな事柄を例にして、そこから西田哲学につなげていく書き方は分かりやすく、とくに「無」について書かれている部分はとてもかみ砕かれていて、イメージがつきやすい。

    また西田哲学だけでなく、その背景や日本と西洋の対比、宗教など、多岐にわたって論じられているところに哲学以外の視点を多分に感じる。

  • まだ読み込んでおりません。
    だからわからないです。

  • 【由来】


    【期待したもの】

    ※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。

    【要約】


    【ノート】


    【目次】

  • 西田幾多郎に関して作者が思うことを書いた本。
    西田幾多郎の考察よりも自分の思うほうに西田幾多郎を寄せて書いている感じで、そのぶん読みやすくなっている気がします。
    章ごとに完結していて、雑誌の連載であったことを感じます。

    ほうほうと読んでいたのですが、特攻についての話が出てきた時点で、えっという気になってしまいました。
    特攻について語るのに史実とはいえない小説「永遠の0」を引き合いにするのも危うい気がします。
    自分としては百田尚樹氏はネット発言などから、歴史に関してよく調べているとも思えませんので。

    自死に関して "日本人" としての考え方はあったかもしれませんが、現在において当時隊員だった方の言を思うにそれを易々と肯定する気にはなれませんし、それが東洋か日本かの哲学に通じるかといえば、あまりに全体から考えての都合のいい理のような気がします。
    般若心経が全体から考えての記述だと何かで読んだような気もするのですが、特攻を肯定するような思想というものがあるとして、自分はそういうものに関わりたいとは思わない。

    そんなわけで、この著者からは少し距離を置くようにしています。


    ※特攻に関しての情報は例えばこちら。

    [毎日新聞: 戦後70年 数字は証言する データで見る太平洋戦争(2) 神風は吹いたのか? 4000人が死んだ「特攻」] http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data2.html

  • 西田幾多郎の評伝あるいは西田哲学の入門書というよりは、西田幾多郎(西田哲学)を絡めて著者の自論を開陳したエッセーという感じ。著者の独善的な考えに過ぎないのではないかという部分も散見された。特に「第五章 特攻精神と自死について」は読んでいて不快になった。しかし、「於いてある場所」の説明は非常に飲み込みやすかった。

  • 以前、善の研究を読んだ時は何が何やらさっぱりで、何が言いたいのかよく分からなかったのですが、本書の解説により、随分と理解が進みました。
    なるほど光と影の関係で、西洋は光を重視し、対する日本は影を重視するということで、すなわち『無』を見つめるのが日本文化だと言います。谷崎潤一郎の『陰影礼讚』なんかは特に陰の素晴らしさをこの上なく表現している本なので、一読の価値ありです。
    ふと思ったのですが、素材の味を生かした料理が日本的で、調味料や味付け加工が多いのが非日本的と言われればそうなのかなぁと。自我が強いと色々よく見せようとして加工する、無我だと我がないから有りのままを出す……そんな考えもできるのではないかと思いました。
    日本精神というか、仏教の諸行無常の精神が日本精神となっているように感じます。逆の因果です。仏教が伝わらなかったら、この無の精神はどうなったのだろうかと思います。で、仏教の発祥は日本ではないので、日本文化というよりは仏教文化という方が、もしかしたら適切なのかも知れません。
    グローバル化した現在、日本的文化は圧倒的に弱いです。無の思想というか、黙っていては何も分からないから、コミュニケーションの取り方が他国と比べて全く違います。僕個人としては、どちらも必要だなと思ったりします。『言わなくても分かるでしょ?』と敢えて言わなかったりするし、反対に『いや、言わなきゃ分からないでしょ』と思ったりもします。ちょうど今はその過渡期にあって、あと数十年もすれば、殆どの人が後者になるんじゃないかな~と思います。『言わなかったら、それは無いのと同じだ』と。それはそれで阿吽の呼吸が無くなって寂しく感じます……。
    明らかにするのが西洋で、明らかにしないのが東洋だとすると、僕が興味を持っている古武術は、科学的トレーニングとまさしく陰陽の関係です。古武術は科学的トレーニングの対極にあるような気がします。現代科学では解明できない人体の驚くべき力の発揮は、言葉では説明できない驚異の能力だと思います。
    自分を無くす、禅の修業をすると、自分の周りの関係が見えてきて、感謝するようになると聞きます。やり方は簡単で、一週間座禅を組むだけです。そうすると、思考が自分の事から他人に向けられるようです。これは自分を解放する面白い手段で、時間があればやってみたいと思うのですが、なかなか……。
    僕の評価はA+にします。

  • 著者は経済思想の専門家で、中西輝政とともに、京都大学で教鞭を取る保守派の思想家として知られています。本書は、京都学派を代表する西田幾多郎の哲学を、著者自身の文明批評的考察と絡めて、比較的自由に語った本です。

    著者は「あとがき」で、本書は西田哲学の解説書ではなく、「私自身の関心と西田哲学を交差させた評論的エッセイです」と述べています。ただ、同じく「エッセイ」に近いスタイルで書かれた「幻想のグローバル資本主義」シリーズ(PHP新書)のアダム・スミス論やケインズ論が非常に深い洞察を示していたのに比べると、本書では哲学的な議論の扱いに素人っぽさがめだつように思います。『日本文化の問題』や「世界新秩序の原理」など、文明論や時評的な性格のテクストに関しては、それでも著者自身の考察とうまくつなげているように思えますが、「純粋経験」や「場所」といった西田の哲学的な議論に関しては、議論にぎこちなさを感じるところがあります。

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著者プロフィール

経済学者、京都大学大学院教授

「2011年 『大澤真幸THINKING「O」第9号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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