- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106106057
作品紹介・あらすじ
人生に、戦術なし。「孤」を知る人の流儀とは――。知識や情報、他人の意見や周囲の評価……安易に頼るな、倒れるな。自分の頭と身体でこの世の波乱万丈を突き抜けろ。著者ならではの経験と感性から紡ぎだされる、痛快無比の「逆張り」人生論!
感想・レビュー・書評
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本来なら小説などを読んで、その世界観に惹かれてから入るべきなのであろうが、自分にとっては初めての伊集院静の著書。
そういうこともあって、あまり予備知識や先入観もない状態で読めたので、逆に真っ当なことを言っているのと同時に、何処か達観しているも、あまり冷徹さまでは感じない文体と感じた。
人生論と言えば、それは本来誰にも強要すべきことではないものであろうが、あらゆる事に経験の少ない自分にとっては大いに参考となるものであり、そういうものは思いもかけず血肉となり、思考の何処かに影響を及ぼすものと信じている。
なにかと組織や、他人を気にしすぎる自分には、
「人とつるまず、孤を知ること」という言葉が突き刺さる。しかし孤を知るということは単に独りよがりではなく、他者との関わりを前提にしているも、それのみに陥ることなく、自身を見極め、知ることにであり、ある意味結局人として死ぬのは孤という真理に通じるのであろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
頼るものなし、と思って生きていこうと思うと、これからの人生設計が変わってくるかも
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この本で言う無頼とは「頼るものなし」という覚悟。すなわち他人に頼って生きるのではなく、独立独歩を貫くということ。ここに書かれてあることは玉石混合だが、頭に入ってきたフレーズをいくつか。a.人の行く裏に道あり花の山..逆張りのことを指す株式投資の格言。b.天よ、願わくば我に七難八苦を与えたまえ...戦国武将・山中鹿之助の名言 c.中庸..どちらかの側に立つのでなくそれぞれの問題・修正すべき点を理解したうえでその間に立ち、よりよい方向に進む精神の姿勢。事なかれ主義を指すのではない。
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無頼という生き方に憧れて読んだ
色川武大の思想を受け継いでいてとても良いなと感じた
著者の経験や知識が円熟して思想になっている。やや老人的な思考を彷彿とさせるような書き方もあるが、それも含めて老人として生きているその潔さを感じた。 -
一人として生きること、は決して強い人間になるということではなく、自身の弱さを認めた上で強くあろうとする姿勢のことであり、国や組織、他人といった不安定なものに縋らずに生きる術である。
初、伊集院静の著書だったのだが、なかなかに共感できる部分も多く、自己のありかたを見つめ直す一冊だった。作者は奥さんや弟、親友を亡くした経験がある。近しい人の死に触れた経験が、究極的に人間は"孤"であることを知ることに繋がったのではないかと感じた。 -
伊集院静(1950~2023年)氏は、在日韓国人2世として山口県に生まれ(その後帰化)、立教大学文学部卒、広告代理店シマ・クリエイティブハウス、電通勤務後、作家に転身し、1992年に『受け月』で直木賞、その後も、柴田錬三郎賞、吉川英治文学賞、司馬遼太郎賞等を受賞。2011年に出版した『大人の流儀』は、その後シリーズ化し、ベストセラーとなった。二人目の妻は夏目雅子、三人目の妻は篠ひろ子。伊達歩の名で作詞家としても活動し、近藤真彦の『愚か者』(1987年日本レコード大賞)等を作った。競輪、麻雀をはじめとしたギャンブルにも造詣が深く、「無頼派作家」と呼ばれた。紫綬褒章受章。2023年10月末、肝内胆管がんの診断を受け、治療のために活動を中止することを明らかにしたが、11月24日に死去。享年74。
私はこれまで、伊集院氏の『伊集院静の流儀』、『旅人よ どの街で死ぬか。男の美眺』等を読み、同性の男から見ても惚れ惚れするほど恰好がいいが、一方で、シニカルというか、達観しているというか、そのように見える価値観に僅かな反発を感じていたのだが、今回の訃報を聞き、伊集院氏の書いたものをもう一度読んでみようと思い、本書を手に取った。
そもそも「無頼」とは何か。。。? 辞書によると、「①正業につかず、無法な行いをする者。また、その行為。②たよるべきところのないこと。」である。そして、伊集院氏は冒頭で、「無頼とは読んで字のごとく、「頼るものなし」という覚悟のことです。」と書いた上で、「何かの主義やイズムにせよ、他人の意見にせよ、自分の頭と身体を使って考えるのではなく、いつも何かに寄りかかって生きようとする人には、狭量さと不自由がついて回ります。しかし、頼るものなし、と最初から決めていると、まず他人に対して楽でいられる。自分は、何かや誰かに頼って生きるのではない。腹の底でそう決めておけば、他人にどう思われようがどうでもよくなってきます。・・・「頼るものなし」という姿勢ができると、周りに振り回されて右往左往することがなくなります。」、「無頼というと、一人きりのアウトローみたいに思うかもしれないが、それは違います。いつも誰かとつるんでいたり、他人と自分をひき比べて悩んだりするのではなく、自分の駄目さ加減をよくよく知っておくこと。それが第一歩で、だから独立独歩を貫くことができるようになる。」と「無頼」をススメるのだ。
そして、具体的な24の心得を挙げるのだが、それらは次のようなものである。「正義など通らないのが世の中だ」、「生きものとしての勘を磨く」、「人とつるまず、「孤」を知ること」、「理不尽こそが人を育てる」、「人間は何をするかわからない生きものだ」、「誰でも「事情」を抱えて生きている」、「自分のフォームで流れを読む」、「虚しく往くから実ちて帰れる」、「差し伸べた手にしかブドウは落ちない」、「顔は死生観まで映し出す」、「神や仏にだって頼らない」。。。等々。
私は基本的に理想主義者で(年をとるに従って理想主義的になった)、今も世界各地で起こっている紛争や様々な問題を見ても、人間はもっと賢明になれるはずだと考える方である。しかし、伊集院氏の、現実はそんなものではない、という主張も理解するし、そうした思考も、世の中を渡っていく上では必要なものであろう。
伊集院氏は、最後の項で、「「俺は俺で打ち止め」・・・宿縁とか業とか罪とか、自分の中に何があるにせよ、自分をいう存在はすべて自分で終わり。たとえ来世があっても一切思いをかけない、死をもって自分は跡形もなくなる。そう考えているのです。」と書いているのだが、今ごろ彼岸で何を考えているのだろうか。。。
(2023年12月了) -
薔薇と書いて夏目雅子を落とした。男は顔じゃないんだと自信を頂きました。
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「大人の流儀」シリーズが好きで、本書にも同じような内容を期待しました。「大人の流儀」シリーズが、折々の事件、著者の身の回りの出来事を題材に、読者への生きる勇気を与えてくれるような内容なのに対し、本書は著者のいいたいことをまとまりなくつぶやいているだけという読後感でちょっと残念でした。
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自分はどうしようもない人間で、ひどい怠け者なんだ、と自分自身の弱さをとことん知っておくことが無頼。
「俺は救いようのないダメな人間だ。世の中で一番の怠け者かもしれない」そう自覚して、そこから動き出す。そういう人はなかなか負けない。空海の虚しく往きて実ちて帰る。自分の弱さを認める。
だから努力できる。
無心でいるから素直に物事を見れて、成長ができるのかな。
スマホの情報は、らしいよの情報だけ。自分で体験して、直感、本能を磨け。
あとは、人の行く裏に道あり花の山