小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106106170

作品紹介・あらすじ

家庭料理の革命家&カリスマ! 小林カツ代と栗原はるみを中心に、百花繚乱の料理研究家を大解剖。彼女たちは時代を映す鏡であり、その歩みは日本人の暮らしの現代史である。本邦初の料理研究家論!

感想・レビュー・書評

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  • 小林カツ代さんはすごい人だったんだなぁ。
    働く女性に寄り添ったレシピは革命だった。
    家族みんなが食を大切にするようにとの思い。

    今日もカツ代レシピが我が家の食卓に生きてます。

    http://zazamusi.blog103.fc2.com/blog-entry-1199.html

  • ハンドル名からもご察しの通り
    料理が好きである。

    食べるのも作るのも好きである。

    そのためきょうの料理のような番組にはよくお世話になっている。

    テレビの料理番組の音声が聞こえてくると

    その音声から利き料理研究家ができるほどである。


     この本のようなことを いつかは書いてみたいと思っていた。
    このような 女性の社会進出とかの視点ではなく
    彼ら彼女の調理から見える価値観のようなものを書いてみたいと今でも思っている。

    そんな私がこの本を読んでおもしろくないわけがない。

    名だたる料理研究家も 料理を習熟しようとする努力の末に今日があるのだが
    それは主婦や料理研究家の初期だけではなく
    実はずっと続くのである。

    不断の努力によって支えられている。

    一方 フランスやイタリアや中国の家庭料理をみると
    範とする伝統的な調理法があり、それに近づけるという手法が多い。これは様々な外国の料理研究家の料理をみてきたから確かである。

    日本は明治維新以来そして戦後さまざまな生活文化を受け入れてきて咀嚼し、自家薬籠中の物としてきた。

    それはオリジナルの調理法を日本人の口に合うように勘案されてきたからである。

    このとき ビジネスとして レストランや食材として提供する流れとこの本で取り上げられているような家庭での翻案や実践という二つの流れがある。

    馴染みのない調理法や食材を家庭に導入するにあたり、呂理研究家の果たした役割は大きい。

    このような家庭料理におえる水先案内人を数多く 排出することに日本文化の特質をみる思いがした。

  • 面白かった。女性史と料理、料理研究家という職業と絡めていて面白い。

  • 大好きな料理研究家の名前が並ぶ。これは読まずにいられない!
    中には、小林カツ代、栗原はるみのみならず、昭和の時代からの人気を博した、料理する人なら聞いたことがあるだろう料理研究家の名前とその生い立ちやその研究家のレシピの特徴、その時代の女性や家庭の時代背景とともにつづられている。
    その時代によって料理の位置づけ、暮らし方、女性の働き方の変化があって、こういう料理研究家が出てきたのか、と膝を打つ一冊だった。

  • 小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代。阿古真理先生の著書。昔は料理研究家といえば女性で、女性の料理研究家が女性のために料理を教えていた時代。今は男性の料理研究家がとても増えて、男性の料理研究家が男性のために料理を教えることも増えている。料理は女性がするべきもので料理下手な女性は女性失格、そんな時代遅れの既成概念が変わりつつあるのは素晴らしいこと。そして料理上手な男性が魅力的な存在とされているのも素晴らしいことだと思います。

  • 小林カツ代と栗原はるみの二人を中心に、主として高度成長期から現代にいたるまでの人気料理研究家たちの仕事と、彼ら/彼女らが受け入れられた時代状況をリンクさせて考察している本です。日本のに西洋料理を紹介して人気を博した江上トミ、飯田深雪からはじまり、入江麻木、城戸崎愛、有元葉子を経て、土井勝・善晴親子、村上昭子、辰巳浜子・芳子派親子、そしてケンタロウ、栗原心平、コウケンテツ、高山なおみといった、多彩な料理研究家たちがとりあげられています。

    こうしたテーマをあつかうときに、フェミニズムが強力な武器になることは容易に想像がつきますが、その理論はやや切れ味が鋭すぎるのではないかという懸念も抱いてしまいます。しかし本書では、何よりも料理研究家たちのパーソナリティにも触れつつ、それぞれが時代のなかでどのような役割を演じることになったのかがていねいに語られていて、理論的な枠組みに対象を無理やり押し込んだような印象がないためでしょうか。

  • この本は小林カツ代と栗原はるみにとどまらず、戦前からつい最近にいたるまでの料理研究家を論じながら、日本の既婚女性に求められてきたもの、そしてこれからの男性女性が直面する食を通した生活誌である。

    まず、主婦が毎日の食事に頭を悩ませる姿というのは、割と最近できたものであるという事実にを指摘する。
    冷凍・冷蔵の技術が庶民とは縁がなかった江戸以前、そして明治の頃。
    多くの庶民は、旬の野菜と旬の魚を煮たり焼いたりして食べるしかなかった。
    メニューに頭を悩ませるどころか、毎日同じものをほぼ食べていたのである。
    数少ない大店の女性、または金回りのいい武家の女性は、自分で食事に頭を悩ませることもなく、使用人の作るご馳走を食べていた。

    明治になり洋食が広まったころ、家庭で作る洋食のレシピの需要が高まった。
    洋食屋に行かなくても食べられるハンバーグ、スパゲッティ、ライスカレーなど。
    そしてほぼ日本オリジナルと言っていいコロッケやとんかつ。

    その後中華のラーメン、餃子、焼売、酢豚などが家庭でできるメニューとなり、エスニックのフォーやトムヤムクンも、家庭で作れるようになってきている。
    つまり、外食をいかに家庭料理にするかが、当初料理研究家がなしたことだった。

    外食の料理が家庭料理になると今度は、いかに時間を短縮するかがキーになる。
    どれだけ段取りをよくするか。
    セオリーにとらわれずに手際よく。
    これが小林カツ代の売りだった。

    食がバラエティを競っている現在、和食洋食中華にとらわれないハイブリッドな料理を考案したのが栗原はるみ。
    その後の世代ももちろん社会風潮を反映した調理法、メニューを次々発表する。
    料理研究家を論ずるということは、日本の食文化を論ずることなのだ。

    力強く同意したり、目からうろこが落ちたりしている間に、日本の食文化が実感できる。
    これは稀有な本なのである。

    特別料理好きではない私だけど、これを読んだらちょっとは料理を作りたくなった。
    そうね。
    里芋とエビとシメジの煮物にあんをかけたやつ。
    食べたいものが作りたいもの。

  • 昭和から平成まで、時代の顔となった料理研究家の「生き方、レシピ、信念」を追うことで、それぞれの時代の女性の立ち位置や欲したものをあらわにする面白い切り口の本だった。
    洋行帰りのセレブ女性による「外国の香りの料理を教えてくれる料理研究家」がもてはやされた時代、洋食が定番化してからは逆に「日本のおふくろの味を伝える料理研究家」が必要とされ、さらには、「時短料理を教えてくれる料理研究家」から、「カリスマ主婦という憧れを体現した料理研究家」「ライフスタイルも含めて提案をしてくれる料理研究家」へと大衆(女性)の要求が変化していく流れはわかりやすく、おもしろい。
    そして現代では人気の料理ブログから料理研究家になる「私でもなれる」アマチュアの時代がやってきた、というのが本当にその通りだなと頷きたくなる。
    フォーカスされているのは料理研究家なんだけれども、この一連の流れはあらゆる文化で起こっていることではないだろうか。
    西欧文化を一段上のものとして尊び、和から離れ過ぎてしまったために基本を喪ってしまって慌てて回帰し、手の届きそうな憧れを体現するカリスマから、さらに親しみやすく「自分でもなれそう」なアマチュアが多数現れる時代・・・。
    これから先はどこへ向かうんだろう。アマチュアの群雄割拠か、本格派への回帰か。
    面白いな。

  • ある著名な料理研究家が生み出されるには、その時代々々の特別な背景(主婦が求める料理、需要)があることが分かった。主婦論としても面白かった。

    ●料理研究家を語ることは、時代を語ることである。彼女・彼たちが象徴している家庭の世界は,社会とは一見関係がないように思われるかもしれないが、家庭の現実も理想も時代の価値観とリンクしており、食卓にのぼるものは社会を反映する。それゆえ、本書は料理研究家の歴史であると同時に、暮らしの変化を描き出す現代史でもある。
    ●有元の幼少期は、町にも農村の面影が残り、自然に寄り添う暮らしが当たり前だった最後の時代だ。そして、両親の文化的、経済的豊かさを吸収したベースがあるからこそ、時代の先を行く提案ができた。流行を牽引する人の背景には必ず豊かさがある。
    ●料理研究家のスタイルを決める原点には、必ず育った環境がある。元奉公人に「忘れられない」と言われる母のそうめんは、つゆに使う出汁の「かつお節はぎゅっとしぼって」味を出すことがコツだった。カツ代レシピでかつお節の出汁を絞ることは定番である。
    ●1994年8月26日、小林カツ代は料理研究家として初めて『料理の鉄人』に出演した。じゃがいも料理がテーマの回で、小林はじゃがいもとエビの炊込みご飯、肉じゃがなど7品をつくり、鉄人の陳健一に見事勝利、一躍時の人となった。
    ●彼女が挑んだ常識は、料理メディアが主婦の教科書になった高度成長期に定着したものだ。明治生まれの江上トミや飯田深雪が現役で、大正生まれの城戸崎愛や入江麻木が活躍したころ。先行世代は、西洋から輸入した料理を翻訳して紹介した。しかし、昭和生まれの小林は、本格的な西洋料理も和食も食べて育った。文化的な蓄積があるからこそ、新しい発想を持ち込むことができたし、それゆえに批判もされたのである。
    ●それにしても、料理研究家の離婚は多い。売れっ子になる代償として、仕方ないことなのだろうか。それとも、家族に向けられていた愛情やつくられた料理が、他人に向かう不満が夫の中で大きくなるのだろうか。家庭料理はもともと家族と日々をわかち合う中にある。より多くの家族を幸せにしようと、その技術を公開することで足元の生活が揺らぐとすれば、皮肉な仕事だ。
    ●プロの世界で修行した善晴は、物事を突き詰めて考える性格もあり、外で食べる料理と家庭料理は何が違うか、おいしくつくるためには何が必要なのかを論理立ててわかりやすく仮設する。外食・中食といったプロの味を基準にする女性がふえた平成の事情を反映し、家庭料理ならではの魅力を伝えようと腐心する。

  • そういえば、料理研究家って立場は、意外と不思議なポジションであるなと。

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著者プロフィール

作家・生活史研究家。1968年兵庫県生まれ。食のトレンドと生活史、ジェンダー、写真などのジャンルで執筆。
著書に『日本外食全史』『家事は大変って気づきましたか?』(以上、亜紀書房)、『ラクしておいしい令和のごはん革命』(主婦の友社)、『昭和育ちのおいしい記憶』『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』『「和食」って何?』『昭和の洋食 平成のカフェ飯 家庭料理の80年』(以上、筑摩書房)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)、『料理は女の義務ですか』『小林カツ代と栗原はるみ』(以上、新潮社)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版)など。

「2023年 『大胆推理! ケンミン食のなぜ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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