呆けたカントに「理性」はあるか (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106106200

作品紹介・あらすじ

ボケても、ボケていなくても、なぜ「胃ろうはNO」なのか。医学と哲学の両面から人間の判断の構造をひもとき、理性と情動、意識と無意識、直感的意思表示の意味を明らかにする。認知症五百万人時代を迎える現代人必読の論考。

感想・レビュー・書評

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  • ●認知症高齢者に胃ろう設置についての意向を尋ねたパイロット・スタディの結果とそれに寄せられた批判に基づき、彼らの選択には尊重すべき根拠があるのかを考えようというものです。
    ●①質問の意味がわからないのではないか?理性を使えない?②言うことが変わりやすいのではないか?
    ●認知症であろうとなかろうと、生物に具わる理性に基づいた直感的判断を行う。好きなものは好き、嫌なものは嫌だと考える。

  • タイトルはあれだが、認知症患者に理性を認めることはできるか、また理性とはそもそもどのような能力なのかについて医学と哲学の両面から考察している著作。最後にカントの晩年の話がでてくる。認知症について考えるのにはよい本。

  • 日本神霊協会で大井先生からお話をお聞きしたことで読んでみました。 大変興味深くかつ参考になりました。

  • 認知症患者に耳を傾けるべきということを言いたいのはわかるし、もちろんそうあるべきだと思う。しかし内容が雑すぎる。カントやデカルトやヒャームを持ち出しては都合のいい解釈をしており、第6章などは全くタイトルと関係ない。では認知症高齢者が胃瘻以外の治療行為を拒否した場合も筆者は同様に主張するのだろうかと疑問に思った。

  • 認知症であっても情動に基づく判断はできる。胃ろうにはあまり意味がないらしい。
    カントなどの理性重視派は現代の科学の知見からは誤っている。

  •  思ったより読みやすかった。認知症患者に胃ろうを施すとき、本人に意思確認をとるかどうか、という問題を通して、さまざまな話題に広がっていく。
    「好き」「嫌い」の情動について、「理性」と「情動」の関係、人間とその他の動物の違いは何か、人間以外に理性はないのか、意識と無意識の働き、などについて考察していく。
     途中、戦争の話や虐殺の話などは重かったし、カントやデカルトの哲学の話は難しかったが、学ぶことは多かった。

  • 認知機能が極端に落ちたとしても、胃ろうをするかを質問したら、ほとんど全員がNoを即答する。とても不思議な話だけど、感情に根ざしたものは最後まで消えないのかもしれない。

  • 胃ろうを受け入れますか?認知症高齢者に訊くと9割方が「嫌」という。情動に基づく好き・嫌いだが、理性や意識なんてそんな凄いものじゃないし、生物の進化の歴史から見ても人生経験から見ても、情動は十分に尊重すべきである。

    ある年齢過ぎたら、理性でガマンするより、単純に好きか嫌いかで選んじゃっていいってことですね。

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著者プロフィール

1935年生まれ。東京大学医学部卒。77年ハーバード大学公衆衛生大学院修了。東京大学名誉教授。医学博士。79年から長野県佐久市の「認知症老人・寝たきり老人」の宅診に関わるようになる。その後国立環境研究所所長を経て、現在は東京都立松沢病院と桜新町アーバンクリニック非常勤医。著書に『人間の往生』『終末期医療』『痴呆の哲学─ぼけるのが怖い人のために』『「痴呆老人」は何を見ているか』『病から詩がうまれる─看取り医がみた幸せと悲哀』『環境世界と自己の系譜』『いのちをもてなす』など多数。

「2014年 『講座スピリチュアル学 第2巻 スピリチュアリティと医療・健康』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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