- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106106736
作品紹介・あらすじ
養老孟司さん絶賛! 深刻なのに笑える、感動の闘病記。握った手を開こうとしただけで、おしっこが漏れそうになるのは何故!? 41歳の脳梗塞とその後の「高次脳機能障害」。当事者による驚きのリアルドキュメント!
感想・レビュー・書評
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ルポライターの鈴木大介さんが自身が41歳で脳梗塞になり、後遺症として高次脳機能障害になりリハビリしたことを紹介された本です。
ご自身の症状や「半側空間無視」「構音障害」等専門用語について、分かりやすく、ちょっと楽しく書かれていて、引き込まれて一気に最後まで読んでしまいました。
体験から、保険やお金も大切だが実際問題として複数の「人の縁というネット」が必要というお話が印象的でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
脳梗塞からの、高次脳機能障害発症。1973年生まれ。同い年。外見からはわからない障害。感情のコントロールが効かなかったり、発話や呂律がまわらなかったり。フリーランスのライター業であり、貧困にまつわる取材対象は、こんな気持ちだったのかと納得。これは「ケーキの切れない非行少年たち」と同じ気づきじゃないか?発達を再体験、追体験している自分を観察するというルポライターとしての視点が明瞭で、自分や自分の周りを改めて受け入れることができたのだろうか。すごい体験だ。
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本書は、「発達障害を抱えるがゆえに社会や集団から離脱・排斥された人々や、精神障害と貧困のただなかに立ちすくみ混乱する人々」などの社会的弱者を取材してきたフリーの取材記者が、自ら脳梗塞を患ったことを「僥倖」と捉えて、脳機能の障害や機能復帰に向けたリハビリの日々を、自らを取材対象として言語化した書。
著者には、足腰の障害は出なかったものの、左手の麻痺、構音障害(呂律が回らない)に加え、高次機能障害(半側空間無視、注意欠陥、感情失禁など)を負ってしまった。これらの症状を、著者は記者らしく分かりやすく表現している。例えば、「半側空間無視」は「「右駆動力優位」なFFの自動車」、その症状は「よそ見会話病」や「右前方無差別メンチ病」、「感情失禁」の症状は「感情失禁から来る中二病女子的亢進症候群による過剰抑制症状」(高ぶった感情を抑えきれず相手にぶつけることを恐れて言葉をスムースに発せなくなる状態)といった感じ。症状を具体的に想像することができて、とても分かりやすい。
本書でぶっ飛んでいると思ったのは、著者の奥さんが「発達障害児の成れの果て」で強い注意欠陥であるということ。「掃除炊事洗濯、一切自発的にやらず、部屋は散らかし放題。風呂すら自発的に入ろうとはしないが、たまに入浴したかと思えば床にはズボンとシャツ、下着、股引と絡まった靴下と、脱いだ順番に洗濯物の列ができている」ような人で、しかも「深夜に寝て昼過ぎに起きる」生活スタイル、ときた。こんな女性と何故結婚したのかなぁ?? 著者は「世の中の、面倒くさい人ほど愛らしく、興味深く面白い」という価値観をお持ちのようだが…。夫婦生活で血圧上がりっぱなしだったというのもよく分かる。著者は、自らが脳梗塞を患った原因についても分析していて、「背負い込み体質」「妥協下手」「マイルール狂」「ワーカホリック」「吝嗇」が招いた自業自得、すなわち「性格習慣病」と断じているが、この奥さんとの生活に耐えていたのなら、さもありなん、と思ってしまう。
著者が最終章で、「脳梗塞を経験しなければ、死ぬまで家族との対話をせずに終わったかもしれない。そう思うと、やはり僕の脳梗塞、そして背負った高次脳機能障害は、最終的に「黒字決算だった」」と言っているのが本書の救い。まあ、著者は後遺症が比較的軽かったのでこう振り返ることができたんだろうけれど。「「頼れる相手」や「頼るべき相手」と「頼りたい相手」とは別物」という言葉も印象に残った。
脳卒中で倒れた自らをライブ中継するかのように綴ったジル・ボルト・テイラーの名著、「奇跡の脳」を思い出した。 -
介護の仕事をしていると、“半側空間無視”というフレーズに接することが多々ある。実際にそういった障害を持っている方がたに接するのだけれど、顕著に障害が出ている場面に出くわすことはなかった。
著者は、脳梗塞を発症し、それに伴う後遺症が残ったのだけれど、ルポライターという職業柄、自分自身を取材し、“高次脳機能障害とはこういうことだよ”をわかりやすく読ませてくれる。
今まで接してきた方々は、言葉で発信することはなかったけれど、こんな風に見えたり、感じたりしてきたのだろう。
自分自身を取材するにあたって、リハビリへの熱意が尋常ではなかったようで、その甲斐あって(?)壊れた脳の機能を他の部分で補完できたのだろう。仕事にも復帰し、良い本を書いてくれた。
介護・看護・リハビリに関わる方にはオススメの一冊。 -
図書館で借りたけど買ってまた読みたい
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これまで目に見えない後遺症で苦しんでいる方への配慮が欠けていたことを反省。
妻の家事を奪ってしまっていたことを反省。
良い気づきを与えていただきました。 -
最近、職場で高次脳機能障害になった人と知り合ったから読んでみた。
体験をこんな風に書けるのすごいなぁ。 -
★回復記に感じる「面倒な人」との共通点★漫画「ギャングース」を連載中に読んでいるとき、そういえば原作者が脳梗塞で、というのを見た気がした。40代で脳梗塞を発症し、その後の変化を体験記として記す。自分を対象としたルポで、あえて病気の深刻さを和らげようとしているのだろうが、筆致が柔らかく読みやすい。
何よりも本書がただの回復記とは違うのは、筆者の専門が貧困で、そのときに出会ったやりとりができない人々の様子に自分を重ねることだろう。著者は赤ん坊に戻ったように感情の抑制が効かなくなる。取材相手のことをコミュ障の面倒くさい人だと思っていたが、自分が同じ状況に陥ってみて、そこには脳の問題もあったのではないかと分析する。発達障害は先天的なものかもしれないが、貧困のなかで育つと発達の凸凹をより悪化させるということなのか。もちろん脳梗塞は場所によって差は大きいだろうが。 -
私の周囲でも脳梗塞という話がちらほら聞こえてくるようになり、さすがに少し気になって手にした一冊。
現役バリバリのルポライターが41歳の時に脳梗塞で倒れ、本書はそのセルフルポだ。
脳が障害を起こすと何が起こるか。とても想像などできないのだが、そこはルポライター。この説明しづらい状況を何とか文字にしようと躍起になる。自分の左側が見られない症状を「全裸の義母」(=見たくないもの、見てはいけないものが自分の左側にある、の意)で表現するあたりは、まさに真骨頂。
などと書くと、単なる明るい闘病記と聞こえるかもしれないが、さにあらず。著者は、高次機能障害で人の顔を正面から見ることができなくなり、感情が暴走し、注意力が散漫になるのだが、これに強い既視感を覚える。それは、これまで自身が取材してきた中で出会った情緒障害者たち、貧困に陥った女子たちがとった行動と同じではないかと。そこで著者は、自分のこれまでの取材の浅さに気づき、同時に脳梗塞を発症するに至った要因は、自身の性格や思想、それに基づく行動にあったと結論する。ここに至って、本書は闘病記の域を超え、人生の再生物語へと昇華した。
そう考えると、第8章以降のかなり個人的な話の記述、特に著者の妻に関するくだりが大きな意味を持ってくる。かなりユニークな人物であることは、この本の前半部分でも垣間見れるが、その理由が同章で明らかになる。彼女は若年期に精神障害を患った経験があるうえ、結婚後に脳腫瘍の摘出手術を経験しているのだ。言ってみれば、彼が取材対象としていて、既視感を覚えた人物たちの先人であり、かつ、脳の病の先人でもあったのだ。脳梗塞で倒れ、リハビリを続ける著者にとって、これほど強いサポーターがいるだろうか。再生物語は始まったばかりだ。
著者プロフィール
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