- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106107290
作品紹介・あらすじ
日本人が知らないアメリカの大問題とは――。LGBTQQIAAPPO2Sって何? 「正しさ」に憑かれたリベラルの理想と現実、トランプ政権下で大きく軋む社会の断層を、歴史的経緯から鮮やかに分析。
感想・レビュー・書評
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後半に同じことの繰り返しで失速気味なのが残念でしたが、私にとっては結構気付きの多い本でした。
例えば、PC(ポリティカルコレクトネス)の欺瞞についての指摘(P59)、トランプ大統領誕生の背景には本音と建前があまりにもが開き過ぎたリベラル信仰(民主党の大勢)是正への反動だと分析(P65)、最高裁判事が保守かリベラルかという点は次期大統領判断にも大きな影響を与えた(P78)、共和党幹部でさえ差別発言を連発するトランプに嫌悪感を抱きながらも「トランプの任期は4年だが、もしクリントンがリベラル判事を任命すれば、その任期は40年間続くかもしれない。4年の我慢は40年の我慢よりましだ」と考えてトランプに投票したインテリ共和党員の話(P81)、親の認定については血縁主義、意志主義、機能主義という3つの考え方がある(P152)、日本の民主党の振るわないのは年金や医療、介護、、福祉、保育支援など大きな政府(財政支出増)を目指してながら財政健全化も実現するという相反する政策を掲げても万年野党だと開き直って平気だから(P168)、政治家は利益団体を集票マシーンとして利用する代わりに、政治家は見返りに利益誘導を図るという変わらない政治体質(P180)、トランプ誕生によって打撃を受けたリベラル派(民主党)の巻き返しの行方は・・など面白く拝読しました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
なんとなく感じていたリベラルのあやしさの理由がわかったように思う。
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米国のポリティカルコレクトは想像以上の厳格さだった。ポリコレ疲れもさもありなん。
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アメリカのリベラルとコンサバ(保守)についての本。
最初の方でリベラルが生み出したポリティカルコレクトネスが暴走し、不寛容と排除を生んでいることを指摘。
悪意がなくても、プライベートで言ったことでも人種差別的なことを言うだけで、容赦なく断罪する。
その苛烈さはリベラルという名の宗教と呼べるほどだ。
対するコンサバはキリスト教的な観点が強いため、やはり宗教的である。
アメリカはリベラルとコンサバの対立でやってきた。
その思想は個々人の深いところに根付いており、政治はもちろん司法にも影響しているというのは異常にも思える。
ざっくり言うと、大きな政府と小さな政府だ。
しかし日本では小さな政府が志向されないので、自民がリベラル的なことをやった結果、民進党はやることがなくなって批判するしかできなくなってしまったという点は頷ける。
アメリカはトランプでしっちゃかめっちゃかになっており、リベラルな民主党が民進党のようなケチつけるやり方をしてしまっている。
しかし穏健派のなかには共和党ともアメリカ共通の価値を見つけだす動きもあるというのは希望を持たせられる。 -
米国におけるリベラルとコンサバの対立構造が理解出来た。特に最高裁判事の立ち位置が明確になっている所は日本人には馴染みがなさすぎて本当に勉強になった。新しい知識が豊富に習得できるお勧めの一冊。
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アメリカのコンサバとリベラルについて説明する本
アメリカの裁判所の強さと、家庭についての問題をメインにコンサバとリベラルについての違いを話している。
日本の話しは殆どない。まあどちらに分けれるものでもないという感じ。
リベラルの教義:すべての人種の平等
リベラル信仰①オフィシャル②ロッカールーム③数人④個人
最高裁判所が大統領の代弁者となる
裁判で理想を高らかに宣言するリベラル、民主主義に委ねるコンサバ
リベラルによるエリート主義
子供に関する全責任を親に持たせる
親の決め方:遺伝、分娩、婚姻推定、意思、機能
自助努力を求めるコンサバ、弱者を救うリベラル
リベラル:人間への信頼、理性で良い道筋を選べる、未開の地に民主主義を広める
コンサバ:不信、謙虚、コントロールを最小限、市場に任せる -
政府不信、家族第一、小さな政府、外国不干渉コンバサ共和党と人間信頼、個人の選択第一、大きな政府、他国干渉大好きリベラル民主党の二大政党はトランプのエリート層(有名大卒、政治家、官僚、メディアなど)批判戦略により白人貧困層が離れて混迷中。バイデンは極左を抑えてリベラルでアメリカを復活させることができるのか。オリンピック批判は左派とモーニングショーで発言し炎上した東大法学部卒財務省出身者の著者が問う。
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2020/11/19
同じ言葉でも国が違えばずいぶんと意味が異なる、そして文脈においても。
それを改めて教えてもらった感じだが、米国での祖父母と孫の関係は驚き…責任と権限が徹底しているというべきなのか、社会からそのように刷り込まれてしまうのかは不明だが。
世の中の多くの人々はコンサバかリベラルか、右か左かということを特別に意識しているわけではなく、その両極の間のどこかに位置しているし、テーマによっても立ち位置は変わる…それが普通だと思う。
事例とされている家族観にしても意志や機能という議論に至るずっとずっと手前の段階でも、人種差、宗教の違い、年齢差…様々な考えがあると思うし、その内容によってもそれぞれがどちら側へ振れているのかは千差万別だろう。
白か黒かが全て明白であれば世の中は単純・簡単だが、現実にはグレーゾーンがあるからこそ人々は悩むし、そこに多くの時間を割く必要も出てくる。
しかしだからこそ、それぞれの個性が生まれるのではないだろうか、そのためにも価値観には幅広いグレーゾーンが許容されることが必要なのではないか…人間はそういうものなのではないか。
両極の立場・考えを知ることも大切だと思うが、それは自他を両極端に追いやり、思考停止状態に陥らないためのものであって、その逆は害悪以外の何物でもないと感じるのだが…なぜ現実はそういう方向に向かってしまっているのだろうか…。 -
アメリカのリベラル派と保守(コンサバ)派の現状と、日米のリベラルの違いを解説した本。
アメリカにおけるリベラルと保守(コンサバ)の本質がわかりやすく書かれています。 -
著者自身は自分のスタンスを明らかにしてないけど、リベラル好きじゃないんだろうな、というのは言葉の端々から感じた。ハーバードで勉強してたらしいけど、インテリなリベラルの巣窟で、ポリコレの面倒くささにうんざりしたのではないか?と想像する。
リベラルが正しさの猛威をふるう強力な理念というかイデオロギーなのは間違いない。しかしそれを信仰であり宗教であると言うのはいかがなものか。それを言うならキリスト教と強く結びついて中絶を禁止し、犠牲者が何人出ようと頑なに銃規制に反対し、進化論を否定して学校で教えることすら禁じようとするコンサバだって信仰であり宗教だと思う。というか、コンサバはキリスト教の強い影響下にあるから宗教そのものだ。コンサバだって相当に偏狭だし、『コンサバという病』で一冊書けるだろう。
ただ、リベラルの偏狭さも否定できない。LGBTという言葉では性的マイノリティを捉えてきれていないからといって、LGBTQQIAAPPO2Sとか言い出すのは常軌を逸してる。じゅげむかよ、と思った。差別とかマイノリティの問題を考えるときに、一体どこまで配慮すればいいのか?という話題は時々上がるけど、どの辺に落としどころがあるのだろう。ちょっと前まで同性愛は犯罪であり、病気だったけど、今は正当な権利が認められた。じゃあペドフィリアとかはどうなんだ?それも性的マイノリティーとして認めて配慮する未来が来るのか?
心の底に潜む差別や偏見を無視して言葉狩りになってしまっている、という指摘はもっともだと思う。人々の意識が変わるまでには相応の時間が必要なはず。私自身はリベラル寄りのつもりだけど、それでも性急に上から正しさを押し付けるインテリ・リベラルへ反発したくなる気持ちはわかる。
コンサバの主張というのは、人はこうあるべきという「べき論」なんだろう。この「べき論」、近頃何かというと叩かれがちだけど、しかし本当にそれを無くしていいのだろうか。指針とか基準のようなあるべき姿がないと、人間は人間になれないのではないか、という気もする。
「最高判事という権力者」、「揺らぐ家族像」の章に書かれた米国の法曹界におけるリベラルとコンサバの戦いは知らないことが多くてとても勉強になった。この本のキモだと思う。ハーバードで勉強した著者の強みが生きている。法曹界のコンサバが法に厳格で踏み込んだ解釈をしないのに対し、リベラルは理想論に基づいていて法の解釈を越えている、という指摘が印象的。
ところで、この本はアメリカにおけるリベラルとコンサバの対立を描いた本であって、「リベラルという病」という本のタイトルは違うのではないか。留飲を下げたい保守的な人か、あるいはタイトルに神経を逆なでされたリベラルな人に買わせたい魂胆が透けて見える。終盤では日本のリベラルについて論じているけど、これには違和感がある。アメリカのコンサバとリベラルという二元論の視点から日本の政治を裁く必要はないと思う。アメリカも日本も個々の問題については是々非々でいいはず。そして、日本は自然への畏怖などがあるから理性的判断で乗り越えようとするリベラルの民主党より共和党に親和的、という説には賛同しにくい。単に自民党にとって主に経済的観点から共和党のほうが都合がいいだけではないか?興味深い説ではあるので、もうちょっと説得力のある言葉で語って欲しかった。この終盤の章は蛇足かもしれない。