- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106107313
感想・レビュー・書評
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日本人の民族性から展開される反戦論。
平和ボケの日本人には必読と思います。
本書では、全3章からなっており、
第1章ではゼロ戦とグラマンの設計思想をベースに日本人の思考を明らかにし、さらに、戦争状況下の日本人の思想・行動から、日本人は戦争に向いていない民族という論旨を展開しています。
この考え方は今までなかったのでとても新鮮でした。
技術を突き詰めたゼロ戦に対して、大量生産が可能なグラマン。
職人気質で技術を研ぎ澄ます日本人に対して、合理主義なアメリカ。
攻めることばかりで守りを考えない日本人。
言霊信仰ゆえにリスクを考えない日本人に対して、対策、リスク管理がしっかりされているアメリカ。
責任が問われない高級士官。
戦闘状況にありながらも縦割りでありつづける官僚制度。
最悪の状態を想定しない日本人の性格。
などなど。
日本人が戦争に向いていない民族ということを様々な事例を基に語っています。
ここで指摘されている内容、民族性はまさに、現在の日本人そのものであり(当り前か)、戦争じゃなくてもビジネスの世界でも同じことが起きていると思います。
第二章では「永遠の0」にこめた思いが語られています。
これについては、なんら異論はありません。
「永遠の0」で語られるセリフが引用され、小説の世界観に引き込まれます。
第三章では自衛隊をテーマに、護憲派に対してのメッセージ、さらに、戦争抑止に必要なモノは何か?を強く伝えています。
そのための憲法はどうあるべきか。
我々もしっかり考えなければなりません。
ということで、戦争を回避するためにはどうすればよいか、とてもわかりやすく、伝えている内容となっています。
今まさに、必読の書です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
至極まともなことを書いておられるが、その小説といっしょでわかりやすくエンターテインメントの匂いのする言動でコテンパンに護憲派を斬って捨てるので嫌われるのでしょうね。万人にわかるように、当たり前のことを凄く単純化して書かれているので、逆に誤解されるんだろうなと感じます。
記載されていることはほぼ既知のことでしたが、名古屋の三菱重工で作ったゼロ戦を一度分解して、牛に運ばせて各務原の飛行場まで運んでいたというのは知りませんでした。本当に唖然としました。 -
目新しい事が書かれている訳ではなかったけど、とてもわかり易く書かれているので、いろんな方に読んでもらいたいなと思います。 日本人の中にも、いろんな考え方をする人がいるのは当たり前だし、それが健全な事だと思うけど、日本人なのに反日思想を持っている人が少なからずいる事が、本当に理解できない。
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リアリスト。
今の日本国民に欠けているもの。
平和ボケ。
今の日本国民に蔓延っている病。
日本はどこかムダが多くて、矛盾が見られる国だなと思っていた。本気と建前が見分けられないお粗末な人が多く、私利私欲が邪魔して、本質を捉えられない政治家が多い。
もちろんそんな国民が住む日本国はどこかチグハグな雰囲気を漂わせている。
日本人なのにこんな感想を抱くのは情けないが、今の日本に期待できない自分が悲しかった。
何かできないのだろうか。
私が選挙に行ったとて、何も変わらない。何も変えられない自分がもどかしい。
百田さんが本当に新党を作ればいいのに。そう思った。 -
全体的に共感出来る内容だった。
色々な考え方があるけど、日本が幻想や前例主義に捕らわれ、変化を嫌う国というのは大半の国民が感じてる事ではないかと思う。
特にコロナ禍で顕著になったかと。
著者はリアリストで、そういった部分にかなり物申してる。
ただ言葉が強すぎて反感を買うのだと思う。
週刊誌や批判に対する弁解がかなり入ってたが、人を非難せずに表現して頂けるともう少し読みやすかったかも。 -
『戦争と平和』/百田尚樹
本書のまえがきとして、著者は、以下のように語っています。
「平和」について語るには、「戦争」を知る必要があると、私は考えています。
大東亜戦争について徹底的に調べました。(中略)その結果、見えてきたものはー「日本人は戦争に向いていない民族であった」というものでした。
戦争反対、憲法改正の是非、それぞれ個人個人の意見があるとは思います。でもその考えにおいて、「何で」という明確な理由をどれだけ自分自身が把握しているのか、それを痛感させられました。
学校教育の中で、歴史認識を含め教えられてきましたが、今になって思うとやはり、点数を取るための知識を覚えることがメインだったとも思いますし、自分の意見としては、「Aである。なぜならば・・・」ということを確立するためにも、著者がいう歴史認識、それも、正しい認識を持つ努力は必須だと思います。
また、本書の構成として、前半は日本軍とアメリカ軍の戦争観についての対比がありますが、ほんとに真逆だったことがわかります。合理主義のアメリカと、非効率主義の日本。そこから著者が導き出したのが冒頭のまえがきにあった、「日本人は戦争にむいていない民族」という答えでした。
日本軍は戦争において、武器1つ作るにしても、最高のものを造ろうとしていたようです。その結果、ゼロ戦が作られました。一方のアメリカは、多少の不都合には目をつむり、生産重視のグラマンを作ります。
その一つをみても、それぞれの国の民族性が如実に出ているといいます。
また、日本国憲法においても、GHQが作成したものを使っていること。ここまでは認識ありましたが、その根底にあったものは、
p189
「憲法9条」はGHQが作ったものです。
日本を占領統治したマッカーサーは、日本政府に新憲法を作れと命令します。政府は新憲法の草案を作成しますが、マッカーサーの気に入るものではありませんでした。そこで彼はGHQの民政局のメンバーに、「日本国憲法の草案」の作成を命じます。驚いたことに、彼らに与えられた時間は1週間でした。一国の憲法の草案を、わずか25人に一週間で作れと命じたのです。
この25人の中には、弁護士が4人いましたが、残りのメンバーは法律のことなど何も知りません。中には22歳の女性タイピストもいました。また弁護士も憲法の専門家ではありません。
彼らは都内の図書館を回って、ドイツのワイマール憲法やアメリカの独立宣言文やソ連のスターリン憲法などから適当に条文を抜き出して、草案を作りました。言うなれば「コピー&ペースト」して作り上げたものです。
言うまでもないことですが、憲法というのはあらゆる法律の上に君臨するもので、その国の文化、伝統、死生観などが詰まった、まさしく国と民族の根幹をなすものです。にもかかわらず、世界の憲法を寄せ集めて作られたのが日本国憲法というわけです。
p195
日本国憲法に関して、面白い話が残っています。
日本国憲法が施行されてから、37年後の1984年、憲法学者の西修氏がアメリカに渡り、日本国憲法の草案を作った元GHQ民政局のメンバーの何人かに会って、当時のことを訊ねています。この時、会った人全員が、一様に言った言葉があります。
「えっ、君らはまだあれを使っているのか?」
彼らは、日本が40年近く経っても、自分たちが作った憲法を使っているとは夢にも思っていなかったのです。しかも憲法の専門家でもない自分たちが、たったの一週間でまとめあげたものなのですから。
しかしもっと驚くべきは、それからさらに30年以上経っても、日本国憲法はそのままの状態だということです。
一口に憲法改正といっても、そこに積み重ねられて歴史があるわけで、多角的な視野を持つ必要性を強く感じました。 -
改憲は必要である気はした。護憲派で同じように口が立つ人の意見も知りたい。
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このところ多忙につき、読感を書いている時間がない。
とりあえず、読みましたということで、読了日と評価のみ記載。 -
百田さんへの見方が変わった。私も知らず知らずのうちにマスコミを鵜呑みにしていたのかも。