遺言。 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
3.60
  • (27)
  • (29)
  • (35)
  • (11)
  • (4)
本棚登録 : 411
レビュー : 65
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106107405

作品紹介・あらすじ

これだけは言っておきたかった――80歳の叡智がここに! 私たちの意識と感覚に関する思索は、人間関係やデジタル社会の息苦しさから解放される道となる。知的刺激に満ちた、このうえなく明るく面白い「遺言」の誕生!

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
  • 野山にいれば木漏れ日、小鳥のさえずり、そよ風が吹き、我々は感覚を総動員させる。一方都会のマンションやオフィスビルでは感覚をなるべく使わず、意味のあるものしか周りに置かない。すると都会人は意味のないものの存在が許せなくなる。都市は感覚を遮断した意識(理論)優位の世界であり、自然(感覚)を排除する人工的な世界である。子供という自然を嫌う都会で少子化が進んでいる理由もここにある。芸術作品を見て人が何かを感じる時、言語化できないものがある。音楽の生演奏もコンピュータで置き換えられない。一期一会である。

  • 雑多な内容ながら、80歳の叡知。先生、すごいです。

  • 簡単そうで思ったより奥が深い。哲学、生物学他多方面にわたる知識から垣間見える深い洞察力がすごい

  • 学校でムスリムの女子がビジャブを被るのを、認めると特別待遇になるから差別的だというのか、禁止するとその子達の自由を害することになり、其方が差別だというのかの問題。これを、意識と感覚の違いから、すなわち同一性と差異の問題として考えたらどうですかという提案ですね。都市(化)は意識の世界、意味のないものを許さない同一性の世界ということになりますね。この視点は新鮮でした。平面的に見えた、同等の利益の対立が立面で見えてくる感じです。

  • もう,どこが遺言なのかっ!と突っ込む.相変わらず網羅的な哲学から現状情勢を分析し,何がおかしくて頭を使うべきなのかを説く.遺言と同様なのは,受け手が我がこの内容をどう生かすかということにかかる.

  • ・われわれの意識は、多くの場合、感覚所与をただちに意味に変換してしまう。「焦げ臭い」から「火事じゃないの」という判断にただちに移行する。そうなると、それまで「その匂いがしていなかった」ことは忘れられてしまう。「匂いがなかった」状態から、「匂いが存在する」状況に変化したことは意識せず、焦げ臭い「感覚所与」=火事(意味)が意識の中心を占めてしまう。一般的に言うなら、だから「意味のない」感覚所与を無視することに、多くの人は意識的ではなくなるのである。それがヒトの癖、意識の癖だといってもいい。


    ・すべてのものに意味がある。都会人が暗黙にそう思うのは当然である。しかもそれを日がな一日、見続けているのだから。世界は意味で満たされてしまう。それに慣れ切った人たちには、やがて意味のないものの存在を許さない、というやはり暗黙の思いが生じてくる。

    ・この本の文脈でいえば、「分けない主義者」は同一性つまり意識を重視し、「分ける主義者」は違いの存在、すなわち感覚所与を重視する。たとえ虫好きの酒席での議論とは言え、じつはヒトの世界認識がそこには関わってくる。
     分類学や解剖学のような「古臭い」分野は、常にこの問題を基本にしてきた。世界認識のいわば根本なのだから、そこでの食い違いは喧嘩になって当然であり、だから喧嘩をしていいのである。そこに「正解はない」からである。差異と同一性、それは人類の抱えるじつは大問題である。

    ・現代社会のように、情報が溢れている中で育つと、すべては説明可能だといつの間にか信じ込む。少し意地が悪いと思ったけれど、私は言葉の限界についての無知を注意しただけである。クオリアは言語にならない。むしろ「感覚からわれわれが受け取るもののうち、言語化できない部分、ないし言語化しようがない部分をクオリアという」そう定義してもいい。
     すでにくり返し述べたように、言語は「同じ」という機能の上に成立している。逆に感覚はもともと外界の「違い」を指摘する機能である。そう考えれば、感覚が究極的には言語化、つまり「同じにする」ことができないのは当然であろう。

    ・建築で問題になるのは空間である。ここで意識ではなく、感覚のほうに基準を置くとする。すでに述べたように、感覚はひたすら違いを指摘する。百人のヒトがいれば、全員が違うヒトである。同じように、向かい合って話をしているとき、お互いに見ているのは相手の顔である。ヒトはすべて、いつでも、互いに違うものを見ている。「そうではないでしょう。同じ空間を共有しているんじゃないですか」意識はそういう。

    ・すべての学問は意識の上に成り立っている。それなら意識を考えることは、自分が立っている足元を掘り起こすことである。学問が意識をタブーにしてきたのは、それが理由であろう。学問こそが、典型的に意味の上に成り立っているからである。でもここまで都市化、つまり意識化が進んできた社会では、もはや意識をタブーにしておくわけにはいかない。

  • 動物は等価交換を理解できない。それは、感覚所与を優先するからだ。3+3=6という数学は理解できない。イコールがわからない。
    感覚所与とは、感覚器に与えられた一次情報だ。例えば、白という字を黒の鉛筆でかく。感覚所与ては黒だ。そういうことだ。
    だけど人間は違う。労働がお金になると言うことが理解できるからだ。働くとお金がもらえる。そのお金で好きなものが手に入れられる。と、繋げて考える事が出来る。金がすべてだと言うわけではないが、金がすべてだと言う人は、全てのものは交換可能だといっているということになる。そういう人は、まさに、頭の中に住んでいるということ、外の違いを、感覚という違いを無視しているのだ。
    動物と人との違いのひとつは、人は他人の立場に立つ事が出来るということだろう。
    人の意識の特徴は「おなじだとするはたらき」である。
    そして、おなじ、おなじ、を繰り返していくとどうなるか。それは、ピラミッドの頂上に全てを含んだ唯一の存在となる。西洋では神という。
    同じ立場に立脚する文明社会に、違うものはないだろうか。それは、アートだ。オリジナルにこだわるものだ。ピカソの絵をコピーしても、それは複写であってオリジナルではない。芸術におけるオリジナルは絶対的である。芸術が感覚からはじまる以上、それは当然である。世界を感覚で捉えたら、同じものは一つもないから。同じものがひとつもない世界で優れたもの、それを芸術作品というのだろう。真理は単純だが、事実は複雑だ。それは、感覚所与は多様だけど頭のなかではその違いを同じにする事が出来るから結果が単純になる。
    芸術は宗教とも関連する。同じを中心とする一神教と、違うを認める多神教だ。
    コンピューターは芸術を創るのだろうか?それは無理だろう。芸術に前提となる唯一性をもたないからだ。もちろん、コンピューターが創ったものを芸術と呼ぶことは可能だ。ただし、それは、作品から唯一性が失われていることになるが。生演奏がいあのは、そこに唯一性があるからだ。数学が、もっとも普遍的な意識的行為の追求、つまり、同じの追求だとすれば、アートはその対極をしめる、いわば、違いの追求といえる。アートは数学的にいうと、数学的なには誤差に過ぎないということになるかもしれないが、その誤差が非常に大きいと言える。その誤差の集合体が芸術であるのだろうか。
    最後に本書は、現代の感覚所与を排除し、デジタルな1と0の世界に邁進していることについて、それが少子化を招いているという。デジタルは外乱をきらう。答えの分かるものを好む。感覚所与を押さえ込み、全てをデジタルに置換し普遍のものとして保存できるようにする。感覚的な雑音を排除することは、自分以外に受け入れることを拒否することだ。結婚相手や子供は自分にとっては雑音でしかない。現代の若者は、それを許容できなくなっている。

  • わりと取り留めのない話だった。

  • 「自然」と対峙する。昨年の自分と今日の自分を比べると、感覚としては少し老けたと感じる。視覚的にも体力的にも、そう違いを実感する。しかし、意識としては、同じ私である─こんなことを確かめてしまったのは、ヒトの「感覚」と「意識」の関わりについて書かれた養老孟司新刊、『遺言。』を読んだからだ。
    感覚を介して観察すれば「私」は絶えず変化しているのに、なぜか意識は同じだという。意識のもつ「同じだとするはたらき」がそうさせるらしい。感覚は外界の「差異」をとらえて分け、意識は分けない「同一性」を重視する。たとえば、バナナもブドウもリンゴも感覚では別々のものだが、意識は、それらを「クダモノ」と名づけて同じにする。こんなことができるのは、意識が、感覚を「意味」に変換する「=(イコール)」を獲得したからだ⁉️動物にも意識はあるが、ヒトの意識だけが「同じ」という機能を得て、言葉や金や民主主義を生みだしたのだ。かくして、ヒトは世界を意味で満たそうと努め、それを進歩と呼んで文明社会、都市社会を創りあげた。そして今、日本は少子化に頭を抱えている東京などの人工的な大都市ほど子どもが生まれないのは、なぜか? 養老は終章で、人々が〈感覚入力を一定に限ってしまい、意味しか扱わず、意識の世界に住み着いている〉ために、子どもという「自然」と対峙する方法を忘れてしまったからだと指摘する。
    80歳になった養老孟司の抑えた怒りと願いがはっきり伝わり80歳の叡智がここに!私たちの意識と感覚に関する思索は、人間関係やデジタル社会の息苦しさから解放される道となる。 知的刺激に満ちた、このうえなく明るく面白い「遺言」の誕生‼️
    【目次】はじめに
    1章 動物は言葉をどう聞くか
    バカな犬と恩知らずの猫/動物は絶対音感の持ち主/絶対音感は「失うもの」 ヒトはノイズを求める/鳥がしゃべる証拠
    2章 意味のないものにはどういう意味があるか
    感覚所与とは/役に立たないものの必要性/都会は意味で満ちている 文字禍/客観的な現実なんてない/感覚所与と意識の対立/「違い」を重視する科学とは
    3章 ヒトはなぜイコールを理解したのか
    動物はイコールがわからない/池田清彦の挫折と復活/「朝三暮四」と「朝四暮三」は違う イコールが生みだす「猫に小判」/ヒトは他人の立場に立つことができる 世界に一つだけの花
    4章 乱暴なものいいはなぜ増えるのか
    「an apple」と「the apple」/日本語の助詞/中国語の特性
    意識と感覚の衝突/乱暴なことをいいやがって/サル真似の根拠
    「誰でもわかる」のが数学
    5章「同じ」はどこから来たか
    ヒトの脳の特徴と「同じ」/ヒトとチンパンジーの僅かな差異
    視覚と聴覚がぶつかると/漢字と視聴覚の関係/「同じ」のゴールは一神教 動物には言葉が要らない
    6章 意識はそんなに偉いのか
    金縛りになる理由/臨死体験をする人しない人/脳は図書館のようなもの 意識に科学的定義はない/意識の分割
    7章 ヒトはなぜアートを求めるのか
    芸術は解毒剤である/征服者は世界を「同じ」にする/唯一神誕生のメカニズム コンピュータは芸術家になれない/生演奏は強い/その「赤」は同じか?一期一会のパイプ/アートの効用/建築は意識と感覚のどちらに重きをおくか
    共有空間を受け入れられない人や動物/意識の集合体が都市
    8章 社会はなぜデジタル化するのか
    昨日の私と今日の私/『平家物語』と『方丈記』の時間/「私は私」と意識はいう 私の記憶喪失体験/デジカメのデータは変わらないのに/意識はデジタルを志向する 現代人は感覚所与を遮断する/情報は死なない/ジャンクにも意味がある あなたがあなたであることを証明してください/マイ・ナンバーに抵抗感がある理由
    9章 変わるものと変わらないものをどう考えるか
    変化するものを情報に変換するということ/時空はいつからあったのか 卵がなぜ私になるのか/進化の本質はズレ/メンデルの法則は情報の法則 「情報」の発見
    終章 デジタルは死なない
    自然保護とグローバル化/少子高齢化の先行き/コンピュータと人の競争 不死へのあこがれ おわりに

  • 1月6日 BS朝日
    著者談話が話題
    80歳で執筆した遺言について、養老さんが語ったことで再度話題になっています。

全65件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

解剖学者

「2019年 『世間とズレながら、生きていく。(仮)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

遺言。 (新潮新書)のその他の作品

遺言。(新潮新書) Kindle版 遺言。(新潮新書) 養老孟司

養老孟司の作品

遺言。 (新潮新書)を本棚に登録しているひと

ツイートする