遺言。 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 425
レビュー : 67
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106107405

作品紹介・あらすじ

これだけは言っておきたかった――80歳の叡智がここに! 私たちの意識と感覚に関する思索は、人間関係やデジタル社会の息苦しさから解放される道となる。知的刺激に満ちた、このうえなく明るく面白い「遺言」の誕生!

感想・レビュー・書評

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  • 野山にいれば木漏れ日、小鳥のさえずり、そよ風が吹き、我々は感覚を総動員させる。一方都会のマンションやオフィスビルでは感覚をなるべく使わず、意味のあるものしか周りに置かない。すると都会人は意味のないものの存在が許せなくなる。都市は感覚を遮断した意識(理論)優位の世界であり、自然(感覚)を排除する人工的な世界である。子供という自然を嫌う都会で少子化が進んでいる理由もここにある。芸術作品を見て人が何かを感じる時、言語化できないものがある。音楽の生演奏もコンピュータで置き換えられない。一期一会である。

  • 雑多な内容ながら、80歳の叡知。先生、すごいです。

  • 簡単そうで思ったより奥が深い。哲学、生物学他多方面にわたる知識から垣間見える深い洞察力がすごい

  • 学校でムスリムの女子がビジャブを被るのを、認めると特別待遇になるから差別的だというのか、禁止するとその子達の自由を害することになり、其方が差別だというのかの問題。これを、意識と感覚の違いから、すなわち同一性と差異の問題として考えたらどうですかという提案ですね。都市(化)は意識の世界、意味のないものを許さない同一性の世界ということになりますね。この視点は新鮮でした。平面的に見えた、同等の利益の対立が立面で見えてくる感じです。

  • もう,どこが遺言なのかっ!と突っ込む.相変わらず網羅的な哲学から現状情勢を分析し,何がおかしくて頭を使うべきなのかを説く.遺言と同様なのは,受け手が我がこの内容をどう生かすかということにかかる.

  • 随筆のような自由な文章のせいかもしれないが、自分の知識や興味の在り方に問題があるのだろう。平易な言葉だけど難しい本だった。でもまたいつか読み返してみたい。

  • 八十歳になった著者が、言い残したいことを綴った遺言的エッセー。遺言といっても、著者がずっと考え続けてきたという、ヒトと動物の違いや「差異と同一性」の問題(感覚所与と意識のせめぎ合い)についての思いを吐き出した、という感じの本。「バカの壁」のような「語り下ろし」スタイル(編集者が分かりやすい言葉で文章化する)でないためか、小難しくて分かりにくい内容になっている。

    「感覚所与を意味のあるものに限定し、いわば最小限にして、世界を意味で満たす。それがヒトの世界、文明世界、都市社会である」、「科学とは、我々の内部での感覚所与と意識との乖離を調整する行為」、「ヒトの意識の特徴が「同じだとするはたらき」であり、それで言葉が説明でき、お金が説明でき、民主主義社会の平等等が説明できる」、「文明とは秩序であり、それを大規模に作れば、自然には無秩序が増える。」、「数学が最も普遍的な意識的行為の追求、つまり「同じ」の追求だとすれば、アートはその対極を占める。いわば「違い」の追求なのである」、「ヒトは、意識に「同じにする」という機能が生じたことで、感覚優位の世界から離陸した」等、なるほどと思える記載が随所に。

    著者は本書で、何でも抽象化・概念化し同じものに括ってしまう(画一化してしまう)人間の意識のはたらきの危険性(その究極の成果物が都市社会であり、デジタル・コンピュータ社会)に警鐘を鳴らしている。ただ、いかんせん説明をはしょっていたり難しく書いていたりするので難解だったのが残念。

  • ・われわれの意識は、多くの場合、感覚所与をただちに意味に変換してしまう。「焦げ臭い」から「火事じゃないの」という判断にただちに移行する。そうなると、それまで「その匂いがしていなかった」ことは忘れられてしまう。「匂いがなかった」状態から、「匂いが存在する」状況に変化したことは意識せず、焦げ臭い「感覚所与」=火事(意味)が意識の中心を占めてしまう。一般的に言うなら、だから「意味のない」感覚所与を無視することに、多くの人は意識的ではなくなるのである。それがヒトの癖、意識の癖だといってもいい。


    ・すべてのものに意味がある。都会人が暗黙にそう思うのは当然である。しかもそれを日がな一日、見続けているのだから。世界は意味で満たされてしまう。それに慣れ切った人たちには、やがて意味のないものの存在を許さない、というやはり暗黙の思いが生じてくる。

    ・この本の文脈でいえば、「分けない主義者」は同一性つまり意識を重視し、「分ける主義者」は違いの存在、すなわち感覚所与を重視する。たとえ虫好きの酒席での議論とは言え、じつはヒトの世界認識がそこには関わってくる。
     分類学や解剖学のような「古臭い」分野は、常にこの問題を基本にしてきた。世界認識のいわば根本なのだから、そこでの食い違いは喧嘩になって当然であり、だから喧嘩をしていいのである。そこに「正解はない」からである。差異と同一性、それは人類の抱えるじつは大問題である。

    ・現代社会のように、情報が溢れている中で育つと、すべては説明可能だといつの間にか信じ込む。少し意地が悪いと思ったけれど、私は言葉の限界についての無知を注意しただけである。クオリアは言語にならない。むしろ「感覚からわれわれが受け取るもののうち、言語化できない部分、ないし言語化しようがない部分をクオリアという」そう定義してもいい。
     すでにくり返し述べたように、言語は「同じ」という機能の上に成立している。逆に感覚はもともと外界の「違い」を指摘する機能である。そう考えれば、感覚が究極的には言語化、つまり「同じにする」ことができないのは当然であろう。

    ・建築で問題になるのは空間である。ここで意識ではなく、感覚のほうに基準を置くとする。すでに述べたように、感覚はひたすら違いを指摘する。百人のヒトがいれば、全員が違うヒトである。同じように、向かい合って話をしているとき、お互いに見ているのは相手の顔である。ヒトはすべて、いつでも、互いに違うものを見ている。「そうではないでしょう。同じ空間を共有しているんじゃないですか」意識はそういう。

    ・すべての学問は意識の上に成り立っている。それなら意識を考えることは、自分が立っている足元を掘り起こすことである。学問が意識をタブーにしてきたのは、それが理由であろう。学問こそが、典型的に意味の上に成り立っているからである。でもここまで都市化、つまり意識化が進んできた社会では、もはや意識をタブーにしておくわけにはいかない。

  • 動物は等価交換を理解できない。それは、感覚所与を優先するからだ。3+3=6という数学は理解できない。イコールがわからない。
    感覚所与とは、感覚器に与えられた一次情報だ。例えば、白という字を黒の鉛筆でかく。感覚所与ては黒だ。そういうことだ。
    だけど人間は違う。労働がお金になると言うことが理解できるからだ。働くとお金がもらえる。そのお金で好きなものが手に入れられる。と、繋げて考える事が出来る。金がすべてだと言うわけではないが、金がすべてだと言う人は、全てのものは交換可能だといっているということになる。そういう人は、まさに、頭の中に住んでいるということ、外の違いを、感覚という違いを無視しているのだ。
    動物と人との違いのひとつは、人は他人の立場に立つ事が出来るということだろう。
    人の意識の特徴は「おなじだとするはたらき」である。
    そして、おなじ、おなじ、を繰り返していくとどうなるか。それは、ピラミッドの頂上に全てを含んだ唯一の存在となる。西洋では神という。
    同じ立場に立脚する文明社会に、違うものはないだろうか。それは、アートだ。オリジナルにこだわるものだ。ピカソの絵をコピーしても、それは複写であってオリジナルではない。芸術におけるオリジナルは絶対的である。芸術が感覚からはじまる以上、それは当然である。世界を感覚で捉えたら、同じものは一つもないから。同じものがひとつもない世界で優れたもの、それを芸術作品というのだろう。真理は単純だが、事実は複雑だ。それは、感覚所与は多様だけど頭のなかではその違いを同じにする事が出来るから結果が単純になる。
    芸術は宗教とも関連する。同じを中心とする一神教と、違うを認める多神教だ。
    コンピューターは芸術を創るのだろうか?それは無理だろう。芸術に前提となる唯一性をもたないからだ。もちろん、コンピューターが創ったものを芸術と呼ぶことは可能だ。ただし、それは、作品から唯一性が失われていることになるが。生演奏がいあのは、そこに唯一性があるからだ。数学が、もっとも普遍的な意識的行為の追求、つまり、同じの追求だとすれば、アートはその対極をしめる、いわば、違いの追求といえる。アートは数学的にいうと、数学的なには誤差に過ぎないということになるかもしれないが、その誤差が非常に大きいと言える。その誤差の集合体が芸術であるのだろうか。
    最後に本書は、現代の感覚所与を排除し、デジタルな1と0の世界に邁進していることについて、それが少子化を招いているという。デジタルは外乱をきらう。答えの分かるものを好む。感覚所与を押さえ込み、全てをデジタルに置換し普遍のものとして保存できるようにする。感覚的な雑音を排除することは、自分以外に受け入れることを拒否することだ。結婚相手や子供は自分にとっては雑音でしかない。現代の若者は、それを許容できなくなっている。

  • わりと取り留めのない話だった。

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著者プロフィール

解剖学者

「2019年 『世間とズレながら、生きていく。(仮)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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