- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106107931
感想・レビュー・書評
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「考え治す」必要がありました。
自らの身体のこと(非常にまずいことになりやした!)
が御座いまして。読書?識字に問題が出ていまして
丁度しんどい時に読みました。
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若き数学者のアメリカ、とか大好きだったんだけど…。
かなり、書き飛ばしている印象。 -
教養は、政治や歴史もカバーしないと。でも、半分以上は歴史書。
国家の品格よりはあきらかにつまらなかった -
『国家と教養』/藤原正彦
p178
本を読むときは常に批判的に読むこと、自らの頭で納得しない限り信用しないことが大切です。
まず、この書籍の紹介をする上で、著者の上記の言葉を前提としたいと思います。
私は批判的ではなく、まずは受け入れようとする姿勢で読書をしていますが、どうしても、批判的な捉え方が多くなりました。それは、著者自身の考え方ありきで書かれているのかなと思うところが多かったためです。
ただ、その考え方を持って、否定しているというつもりはありません。むしろ、否定したい気持ちが強くなるほど、「そういう考え方もあるんだ」という気づきは多く得られたためです。
本書がいいたいこととして、
p174
現代社会の病の本質は、世界的規模での民主主義の浸透に、各国国民の教養がついていっていない、という不合理にあったのです。古代ギリシャ以来19世紀まで、あれほど驚異的な力を発揮してきた教養が、20世紀に入って、いくつもの大戦争の抑止力として全く働かなかった。20世紀になって多くの国々で普通選挙による民主主義が導入されたため、「国民の未熟」という、歴史上ほとんど問題とされてこなかったものが、初めて大問題として顕在化してきたのです。
20世紀の途方もなく大きな二つの戦争に対し教養層が無力だったことには二つの理由がありそうです。
産業革命を経て一気に複雑化し進展の激しくなった世界に、古い教養、すなわち従来の哲学、古典を中心とした教養、が十分な効力を発揮できなくなったこと。そして教養のない未熟な国民という大問題を忘却したまま、各国が民主主義に走ったため、どこも衆愚政治に陥ったことです。
別の言い方をすると、古い教養が時代についていけなくなったこと、そしてもう一つは、民主主義とは教養層が力を発揮できない体制であったということです。国民が教養を失い、成熟した判断力を持たない場合、民主主義ほど危険な政治形態はありません。
民主主義は最悪の形態になり果てます。各国の国民が十分な教養をもつようにならない限り、混迷した世界の現状は、今後永遠に続くということです。
上記のように、一人一人が教養を養わなければ、混沌とした今の世界状況は変わらない。
そして、著者がいう教養とは、
p190
教養には四本柱があります。
まずは長い歴史をもつ文学や哲学などの「人文教養」、政治、経済、歴史、地政学などの「社会教養」、それに自然科学や統計を含めた「科学教養」です。この三つの柱は誰もが認めるであろう、常識的なものです。
力説したいのは、これに加えて、そういったのものを書斎の死んだ知識としないため、生を吹き込むこと、すなわち情緒とか形の修得が不可欠ということです。これが四つ目の柱になります。
それには、我が国の誇る「大衆文化教養」が役に立ちます。旅に出ることや友達と語り合うことも大いに役に立ちます。
そのためには、著者は読書が必要不可欠と謳っています。また、読書の重要性を下記のように表しています。
p194
読書は国防となるものです。書店数の激減は我が国の将来にかかる暗雲と言えます。
また、大学生の半数が月に1冊も本を読まないとという調査結果が出ました。読書離れはそこまで進みました。ケータイ、スマホの使用規制を全国の小中高で実施すべき時がきたようです。
民主主義という暴走トラックを制御するものは、国民の教養だけなのです。
至るところで、「?」と思うところもあります。しかし、本書の構成として、古代ギリシャから現代までの教養の流れがまとめらており、教養と戦争などの関係、当時の文化など、知らないことも沢山あり、勉強にもなりました。
何度も読み返して理解を深める必要がある一冊だと感じました。
そして、何よりも、教養云々の前に、しっかりと個々人としての考えをまとめられる、主張ができることが大事で、そのための一助として読書があるということを想いました。 -
一言でいうと気持ちが悪い。ソース無しの文章は新書では仕方がないことだと思うが、それでもあまりに多くの主観的な、そしてネガティブな言葉が並べられており、嫌悪感を覚えた(ところどころユーモアを狙ったような表現もあったが、ただただ気持ち悪かった)。
主張自体はなるほどなと思える部分もあり、教養が如何に歴史的に廃れていったかに関して、新たな視点を得ることができたと思うが、この遠慮のないネガティブな言葉で過去の人々を批判する姿勢は全く自分に合わなかった。