- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106108099
作品紹介・あらすじ
私は、一生分のパスタを食べてしまったのかもしれない――。イタリアに暮らし始めて三十五年。世界にはもっと美味しいものがある! フィレンツェの貧乏料理、臨終ポルチーニ、冷めたナポリタン……胃袋の記憶を綴るエッセイ。
感想・レビュー・書評
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漫画家ヤマザキマリさんのごはんエッセイ。
若くしてイタリアに留学、その後ポルトガルやシカゴ、シリアなどさまざまな国で暮らした経験があり、仕事でも世界各国を訪れている著者が、その舌で味わった世界中の料理について綴っています。
貧乏な画学生時代に毎日のように作って食べたパスタ。
多忙な音楽家の母が握ってくれたおにぎり。
死に際に食べたいポルチーニ茸に、世界各地で口にすることになった病人食まで…。
世界の家庭の味や街角で出会える味を想像して、食欲を刺激されました。
その中でも、特にインパクト大だったのは下記2つ。
飛行機の隣の席に座ったドイツ人と思しき男性がソーセージを食す描写のなんと美味しそうなこと!
そして、俳優の北村一輝さんとイタリアを巡るロケの撮影中、各地で餃子を食べまくったエピソード。
あまりにも美味しそうで、読みながら「いいな~」を通り越して「ずるい…!」と思ってしまったのでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
もともとパスタの類はあまり好きではないが、急に食べたくなるのがナポリタン。
日本式ナポリタンが超大好き。
ヤマザキマリさんの本を読んで、ああ確かにケチャップ味のパスタなんてイタリアで食べたことなかったなぁと思い出した。
子どもの頃、お出かけした時にデパートであるいはレストランで、「洋食」を食べるのが大好きだった。
オムレツ、カレー、コロッケ、シチュー。
日本で独特の進化を遂げ、日本でしか食べられないものになったもの。
ウィンドウの中の色とりどりの蝋細工に、ワクワクした。
イタリアではパスタはメインではなく、あくまでもセグンドあたりでコースの前菜として出てくるものといった位置づけ。
量も少なくあっという間に食べきる感じだったが、そのお味はどこで食べても美味しくて、さすがイタリアは違うぜ!と感心したのを覚えている。
味覚の記憶=旅の記憶
私の場合は、それに「匂いの記憶」も加わるが、味の記憶というのは特にいつまでたっても忘れないものだ。
ヤマザキマリさんの創作の原点が、イタリアでの貧乏暮らしの中にあるのかもしれないね。
イタリアのコロナが1日も早く終息しますように。 -
(2020/10/11読了)
ヤマザキマリさんの、食エッセイ集。
これまたサスガである。食に関しても、その体験の濃さがある。世界各地の食文化に対する考察も去りながら、おにぎり愛、たまご愛、餃子愛は筋金入りである。
話は当然、比較文化論じみて来るのだが、日本人が持つ受容性、偏食とグルメなどへ転がって行くのが面白い。
なお、「パスタぎらい」とタイトルに謳っているが、本文中にある通り、コロナ禍でイタリアのパスタが食べられない現状、いやが上にもパスタ渇望が湧き上がる。その気持ちは痛いほどワカル。 -
堅い学者やプロの料理人などのイタリア食文化の比較と異なり、庶民目線の食文化比較が本当に新鮮で、クスッとさせるエッセイ。
念願のイタリア旅行に行って感じた食の違和感を見事に解消してくれた。
やっぱ、あの名作漫画 テルマエロマエを生み出せるはずだわ、この作者の思考の鋭さを確認できる。 -
世界の食文化を紹介するエッセイでは
ありますが、やはり日本の食の寛容さ
は世界でも突出しているらしい、と感
します。
寿司などの高級食もあれば、ジャンク
フードとも言えるスナック菓子も種類
が豊富でとても美味しい。
スナック菓子はアメリカが発祥である
にもかかわらず、今や日本の食べ物と
言っていいです。
ラーメン、カレーなども説明不要で
しょう。
この何でも受け入れて自国の食べ物に
してしまう寛容さは、外国語の習得が
苦手な日本人であることの裏返しでは?
と著者は指摘します。
せめて「食」だけでも。という考察に
は納得してしまう一冊です。 -
『テルマエ・ロマエ』で一世を風靡した漫画家・ヤマザキマリが主にイタリアの食事について語る本。
一時期、北海道でグルメレポーターをしてただけあり、日本の食事にも非常に精通しており、エッセイとして普通に面白かった。 -
いや面白かった。読んでいて、涎が垂れそうになった。
-
フードナショナリズム
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【No.150】「私はスパゲッティなどのパスタ類があまり好きではない。早いうちからイタリアに暮らし、ひたすら材料費が安くて済む”貧乏パスタ”ばかりを食べていたそのトラウマもあるからなのかもしれない」「”美食国家”と言われるイタリアだが、なぜかこの国のパンはあまり美味しくない。パスタでも肉料理でも”主役”を平らげてしまった後、それでも物足りなさを感じる人はパンを千切って皿にこびり付いたソースや肉汁を拭い取って食べる。彼らにとってパンとは、そういう役割のもの」「イタリアとポルトガル→何をどうしたらこんなにマズいお茶になるのだろうと疑問に思うくらいのお茶を出されることがある。コーヒー嗜好の人がマジョリティなので、お茶はつい蔑ろにされてしまうのだろう」「海外で生活をしていると、よく日本の人から”お寿司や天ぷらが恋しいでしょう”なんて聞かれるが、正直そんなものよりも圧倒的に食べたくて我慢ができなくなるのはラーメンだ」「自分の日常生活のダメな部分にもそっと寄り添って元気付けてくれる、寛大で経験豊富なバーのままのような懐の広さを感じさせてくれるラーメンのような食べ物というのは、実はそんなに世界に存在していない」「イタリアの”SUSHI”に対する嗜好は、ほぼメディアによってもたらされたものだろう。映画やテレビ、雑誌などのメディアがこぞって食を含む日本文化を取り上げ、”日本ブーム”とも言える現象が続いている」「イタリアでは火傷をすると、応急処置としてオリーブ・オイルを塗るという風習が残っている」「イタリアでは、頭の禿げた髭面の中年男やビシッとしたスーツに身を包んだビジネスマンが、ジェラートを食べながら真っ昼間の街中を堂々と歩いている。イタリア男の甘い物好きは、他国の男性とはおそらく比較にならないレベルではないか」「我々の舌は、餃子のあのつるっとした皮が素晴らしい企みを抱えていることを知っている。舌があの皮の食感を捉えた瞬間、”おっ、今から凄いことが起きるぞ!”というお楽しみ待ち構えモードになり、噛み砕かれた皮からブシュッと溢れる肉汁と、いいあんばいに味付けされたホクホクの具で口の中がいっぱいになる」「どうも人間というのは、かつて自分が弱っている時に食べたり食べさせられたりしたものを、健康な時にも食べることで”自分を癒したい”と思う傾向があるのかもしれない」
-
北海道出身、「テルマエ・ロマエ」のヤマザキマリ氏の本。
貧乏時代や各国の旅で出会った料理。その味の背景に想いを馳せつつ食についての考え方を書き連ねていく。
果物など酸味のあるものはダメだが梅干は可、など、不思議な舌の傾向を持つ著者。そんな著者が死ぬ間際に食べたいのがポルチーニ、と。
著者プロフィール
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