どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 (新潮新書)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106109034

作品紹介・あらすじ

「頑張る人を応援します」は危うい! 彼らはサボっているわけではない。頑張れないがゆえに、助けを必要としているのだ。困っている人たちを支援につなげるための知識とメソッドを、児童精神科医が説く。

感想・レビュー・書評

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  • 最初に伝えておくと、非常に長いです。内容がとても濃厚だったので、読了からだいぶかかってしまいました。

    わたしが働く学校は、通信制高校に在籍している子たちが学ぶ学校だ。だから、基本的に自由な時間に登校できるし、平日学校に来ず、友達と遊びに行くこともできる。
    必要な単位さえ取得できれば、卒業は可能だ。
    枠としてはそのくらいなので、サボれる子はいくらでもサボれるし、真面目にやろうとするとキリがない。
    自分自身の軸のようなものをしっかり持てていないと、どうしたらいいか分からない子はいるだろう。
    一方で、精神疾患を抱えている子や、不登校だった子どもの受け皿になっていることも確かだ。

    学習も行事も、全日制高校に通っている、あるいは通ったことのある人からしたら、だいぶ緩い。
    わたしたちも、生徒たちには通ってほしいと思うから、どうしても甘やかしてしまう。
    卒業までにこの子を、いわゆる「普通の」社会でやっていけるようにしないといけない。そんな風に思うけれど、企業が経営しているということもあり、なかなか生徒にも強いことを言えない。
    コロナ禍で普及したオンライン授業。生徒の学習機会を継続できるものではあるけれど、サボり癖のある子には、その癖をより助長させてしまった。

    小学校や中学校に全く行ってない子もいる。
    わたしの中学校生活は、なんかもう戦場そのもので、親に行きたくないと訴えたこともあった。
    それでも行き続けたのは、親がそこで悲しい顔をして、休むことを許さなかったからだ。
    あの時、誰かがわたしの味方になって、「休んでもいいよ」と言ってくれてたら、全く違う人生を送っていただろう。
    あの過酷だった日々、もう二度と戻りたくない日々の中にあったもの。
    おそらくそれは「頑張った経験」なんだろう。
    一日一日を過ごすだけで、自分をただひたすら守り続けるだけの、ままならない毎日。早く終わってほしいと祈り続ける毎日。それは、あの過酷だった日々を「乗り切った」ことになる。今思うとそれは、紛れもなく「頑張った経験」だ。
    それを美談にする気はない。だって中学の頃の思い出なんて、ほとんど覚えてない。その過酷さしか、わたしの中に残ってない。
    今も中学校で苦しんでいる子たちはたくさんいるわけで、命がけで学校に行っている子たちだっているはずだ。そんな風に、すでに頑張りすぎてしまった子たちには、休む提案は必要だ。しかし別のフィールドで、学校生活を送る機会はあった方がいい。
    本作品に、こんな言葉が出てくる。
    P34「『頑張らなくてもいいよ』『もう我慢しなくていいよ』とは十分に我慢して頑張ってきた人たちへの労いの言葉であり、まだ頑張っていない人への言葉かけではありません」。
    気を付けないといけないのは、背中を押さないといけない場面で誤って労ってしまうことだ。
    生きてるだけで疲れる現代社会、なんでもかんでも「無理をしないで」と言いがちだ。相手のことを深く知らないと、どちらの声かけが目の前の子に相応しいのか分からない。安易に「無理しなくていいよ」と言い過ぎている、自分の支援方法を、恥じた。

    日本の学校教育は叩かれることが多い。
    けれど、最近思うのは、社会に出て必要なことをそれなりに学んでいける場でもあるのではないか、ということだ。前述した「別のフィールドで、学校生活を送る機会はあった方がいい」というのは、そういうことだ。
    もちろん、社会の全てを学校で学ぶことは難しい。だけど、学校生活についていけてたかどうか、って結構重要な指標なんだなと、そんな風に思った。

    最近わたしが考えていることは、社会が厳しすぎるのか、もしくは社会の厳しさは普通で、そこについていけない人たちが甘いのか、ということだ。
    大人や社会を完全に舐めてる子たちに「それじゃ社会でやってけないよ」と、よく思う。でも、その子たちはその子たちなりに、きっとその社会の中でそれを学んでく。たぶん、大人がすべきは、その学ぶべきものの先取りではなく、壁にぶつかった時にでも諦めずに向き合っていく力をつけてあげる、ってことなんだと思う。
    でもそれってどうやってやるんだ。社会に出る前、複雑な家庭環境で育っていたり、繊細すぎていたり、怒られることを極端に嫌がったりする子に、社会のハードルは高い。
    よく、児童養護施設が例に出される。18歳で自立を求められ、環境面でも精神面でもまだまだ脆弱さが残るその年齢で、さらに複雑な環境を経て施設へ入所した子なら、挫折をする子は多いだろう。挫折経験は、「普通に」社会人になった子にも、大きな壁となる。大学を経て、20歳を過ぎても社会人になるのは大変だ。それを、施設を出たばかりの、たった18歳の子がこなしていかなくてはならない。

    今のまま、社会に出たら怒られることだってたくさんある。
    怒られた時に、逃げるのではなく、へこんでもいいから、落ち込んでもいいから、向き合ってほしい。
    意味がわからないこともあるかもしれない。それならば、それを相談できる人に相談して、客観的な意見をもらったらいい。だから、信頼できる大人、相談できる大人が傍にいること。結局、「自立支援」というのは、こういうことになるかもしれない。
    でも、社会にいる側の大人も、「怒り方」には気を付けないといけない。この「怒り方」を間違う人がいるから、社会のハードルが高くなるのではないか、社会が厳しすぎるのでは、と思うのだ。

    P25「支援したくないような人こそ実は支援の対象」
    この「支援したくない人」の中には2種類が含まれると思っている。
    「支援を求めてくる支援者」と「支援を求めてこない支援者」だ。
    前者には支援したくなるけれど、後者にはその気持ちは起こらない。
    支援する側の、接し方は異なったものになるだろう。
    あと、支援を受けている時に申し訳なく思う人やお礼を言ってくる人には支援したいと思うけれど、やってもらって当然!それが仕事ですよね?みたいな尊大な態度を取られると支援したくなくなってしまう。
    このような差別化が起こらないように、できるだけ公平に人を支援したいと思う。でも、支援者の状況や能力に差がある分、支援の公平性というのはとても難しいし、人がやる以上、やはり接し方に差が出てしまうのは否めない。

    だからどうしても、助けてほしいと言っている子だけ、支援を求めている人にだけ支援をする、ということが起こる。
    人に敬意を払い、「この人になら相談したい」と思ってくれている人。そういう人には、こちらも支援したくなる。
    でもそれって結局、支援する側の自己満足だ。
    その関係性なら、支援者側の言葉はどんな言葉も響くだろう。
    問題はそうじゃない関係性の時だ。
    正論や常識が理解できない、人の気持ちを理解できない、そもそも人を信用していない、甘やかされ過ぎて人に何かをやってもらうのが当然だと思っている、等々。
    最終的には結局それに向き合っていくって事なんだろうけど、わたしにはその勇気や力があるんだろうか。
    そのような態度を取ってくる生徒に対して、怒らずに、しかし言うべきことを言うことができるだろうか。会社とお客様という枠組みと関係性の中で。
    「向き合う」という言葉の中に含まれる、日常的なコミユニケーションとはどんなものか。その時に発された言葉への切り返しは、一体何が正しいのか。

    学校へ行く意味。
    来てくれたら出来ることはあるけど、来れないならできない。
    でもそれでは不登校を否定することにならないか?結局、来れない=怠けてる、と思っていないか?
    朝井リョウの「正欲」で思ったことでもあるけれど、結局わたしの思考は、マイノリティのふりをしたマジョリティなのだ。多くの人が頑張れるわけだから、それをしないのは怠けてる、と決めつけてるマジョリティ。
    でも高校を卒業したいのであれば、やっぱり最低限のことはやるべきなんじゃないか?
    でもこれは「頑張り」の押し付けであってもしかしたら「頑張れない」のかもしれない。
    だとしたらその根っこはなんだ。
    なぜ頑張れないのか。どうすればやれるのか。
    わからない。難しい。
    一体何が正しい支援なのか。

    P3「頑張ったら支援します」
    という考え方は、正論ではあるのだけれど、「頑張れない」を排除していることになる。でも、なぜ「頑張れない」のかを探るのは難しい。だから、「怠けてる」のか「頑張れない」のかを探るため、やはり「ここまで頑張ったら支援します」という過程はついてくることになる。結果、頑張れなかった人は、振り落とされてしまう。社会と密接に繋がった教育業界が頑張るを強要して、そこで疲れた人達が、福祉を頼ってくる。そこで癒された人たちが、再び「普通の」社会に戻ってゆく。
    おそらく、現代日本では、このループが起きている。
    これで、いいのか?社会ってそういうもん、で済まされるのか?

    長くなりました。最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
    対人援助職の人はもちろん、すべての人に読んでもらいたい一冊。

    • naonaonao16gさん
      ロニコさん

      こんばんは!
      コメントありがとうございます^^

      共感していただけたようで、嬉しいです。
      とても長くなってしまい、...
      ロニコさん

      こんばんは!
      コメントありがとうございます^^

      共感していただけたようで、嬉しいです。
      とても長くなってしまい、自分で読み返しても「長げぇよ」と声に出てしまいます(笑)

      >私は、中学校から授業選択制にした方がいいのではないかと、思っています。
      朝と帰りだけ、ホームルームクラスに行く、授業は自分で組み立てる、というような。
      中学校くらいから、自分を見つめ、自分で授業を選ぶことも必要だと思いますし、全てがクラス単位を強いられる人間関係の濃密さも、過酷な学校生活の一因となると思います。

      これ、いいですね、すごく。
      中学校って、とくに公立の場合はただ近くに住んでいるという理由でまとめられた集団ですし、そこでの人間関係がうまくいかないからといって、全ての人間関係がうまくいかないわけではありません。
      カズレーザーが、中学生の刺殺事件のコメントで「他人の集合体」「分かり合えない人たちがいてもそれが自然な社会」と言っていて、選べない人間関係の中に置かれた子どもにとっては響きにくいかもしれないですが、早い段階で伝えてもいい言葉のように感じました。
      また、好きなことを学ぶことで、勉強が好きになる子はいっぱいいるはずです。わたしも、でんじろう先生の授業を受けてたら理系になってたかもしれない(笑)

      少子化と叫ばれてもうかなりの月日が流れているのに、子どもに関わる仕事の数と人数は増えていくばかりですね…

      こちらの作品、わかっていても学校という現場ですり減らしている部分も多いので、指摘を受けるような感覚もありました。
      是非読んでみてください!
      その際はレビュー楽しみにしております^^
      2021/11/30
    • ロニコさん
      naonaonao16gさん、こんばんは^_^

      返信をありがとうございます。

      naonaonao16gさんのように、子どもを取り巻く現場...
      naonaonao16gさん、こんばんは^_^

      返信をありがとうございます。

      naonaonao16gさんのように、子どもを取り巻く現場の最前線で頑張ってらっしゃる方からの発信は、大きな力を持っていると思います。

      これからも、ここからいっぱい声を届けて下さい!
      2021/11/30
    • naonaonao16gさん
      ロニコさん

      こんばんは!

      ありがとうございます。
      ロニコさんのその言葉に背中を押され、noteでも発信することにしました!ありがとうござ...
      ロニコさん

      こんばんは!

      ありがとうございます。
      ロニコさんのその言葉に背中を押され、noteでも発信することにしました!ありがとうございます^^

      https://note.com/tattychannel/n/n27eeac41acda
      2021/11/30
  • 同作者の続編となる作品。
    前回は非行少年側の視点で書かれていたものが、今回はその人々を支える側の視点からどんな風に支援していけば良いのか、支援する人を支援することなどが中心に描かれている。
    ・頑張ったら支援するは条件付きの厳しい言葉
    ・無理するなという風潮は人のモチベーションを下げる
    ・彼らの話を聞くときは最後まで聞いてあげる、話の腰を折らない
    かける言葉や周りの環境をきちんと整える事が彼らへの支援に繋がると言うことは、非行少年自身だけではなく、社会全体が変わっていく必要があるのだと感じました。
    この本は前回の本とセットで読んで初めて1つのものとして完成する本なのでもし読みたい人は、前回の本と一緒に読んで欲しい本かなぁと思いました。

  • 支援したくなくなるような人こそ、支援が必要。

    という著者の言に尽きる。 

    支援を必要としている人は、時に支援者を試すような行動に出る、というのは、里親制度で里子を迎えた時にも聞かれることだ。

    精神的に安定した土台を持たない人たちは、頑張ること自体が難しいというのも、本書を読むとよく分かる。
    また、そんな当事者を支援する側も疲弊してしまうことも多い、というこも想像できる。 

    海外では、罪を繰り返す人に対して罰ではなく、カウンセリングなど支援をする方向に動いている、と聞く。
    日本でも、ボランティアや民間の支援団体任せにせず、こうした支援の制度や司法制度を見直すべき時がきたのではないだろうか。
    2022.2.27

  • 【感想】
    授業中に落ち着きがなく、テストはいつもビリに近い子どもと、授業中もしっかりと話を聞き、宿題も欠かさずこなしてテストでもいい点をとる子ども。もしあなたが先生だったらどちらの子どもを受け持ちたいだろうか。
    教師も人間だ。当然前者は「要注意な子ども」として厳しい目を向け、後者には甘い態度で接する。教師という立場上、学力に関わらず平等に扱うべきだという意見も出るかもしれないが、これと同じことが学校の外でも起こる。
    反省をして真面目に更生プログラムに励む非行少年と、施設に来ようとせず自己改善の余地が見られない非行少年。この2者を前にしたとき、手を差し伸べられるのはやはり前者ばかりなのだ。

    筆者はそうした「問題児」に目を向け、「本当に支援を欲しているのは彼らだ」と論じている。「うるせえ」「ほっとけよ」とツンケンした態度を取ったり、施設のカウンセラーを恫喝したり、プログラムの参加者に暴力を振るおうとしたりする、そうした子たちこそが支援の中心にいるべきなのだ。

    支援が必要な「頑張れない子たち」は、私たちから見れば「問題児」に映る。
    こちらがせっかく理解を示し、手を差し伸べているのに、それを平気で裏切る。そうした問題行動を目の当たりにした支援者からは、「反抗的な態度ならもう協力はしない」「自発的に頑張れないのであれば支援は打ち切る」といった感情が起こる。これは決して支援者が無理解なのではない。人間である以上、ある程度の誠実さを見せてもらわなければ心が動かないのは仕方ないだろう。

    しかし、彼らは怠けたいわけではない。「今のままの自分でいい」と思っている子は少数派なのだ。現状を変え、少しでもいい自分になりたいと努力を重ねても、能力が足りずに失敗してしまう。本人なりには頑張っているつもりであっても、周囲の人から見れば「中途半端」「結局成果が出せない」と認識され、冷ややかな目を向けられてしまう。せっかく決意して足を踏み出したのに、誰も自分の頑張りを認めてくれない。それなら何もしないほうがいい――。こうして非行少年たちは負の連鎖に陥ってしまう。

    彼らにとって必要なのは、「怠けたくて怠けているわけじゃない」「自分が変わるためなら惜しまず努力をしたい」と思っていることを理解してくれる人間。そして、どんなに不器用で失敗続きでも、最後の最後まで並走してくれる人間なのだ。

    ――――――――――――――――――――――――――――――

    【本書のまとめ】
    1 支援を必要としているのは「頑張れない人」
    「夢に向かって頑張る人を応援します」「頑張ったら支援します」。世の中にはそうしたフレーズが溢れている。
    では、頑張らなかった人たちはどうなるのか。上記のフレーズは、「頑張ることができなければ、救いの手を差し伸べません」と言っているのと同じではないか。
    本来であれば、頑張れない人を支援するべきなのだ。頑張れる人だけが支援に預かり成長の輪の中にいる一方、本当に支援が必要な「頑張れない人」には支援が届かなくなっているのではないか。

    本当に支援が必要な人たちとは、私たちがあまり支援したくないと感じる人たちだ。頑張れないがために、支援の場に来ることができない。やるべきことをできない。一度決めたルールを守れない。そうした人たちは私たちから見れば「問題児」である。

    世の中には「頑張らなくていい」「気楽に生きよう」といったフレーズで溢れている。しかし、「無理をさせない」と「頑張らせない」は違う。
    通常、人は何をするにしても、努力して頑張らないと生きていけないのだ。したくない勉強をさせないままでは、社会に出て生きていけない。そもそも、「今のままの自分でいい」と思っている子は少数派であり、少しでも理想の自分に近づきたいと感じているのが普通だ。「本人の自由に」と言いながら学業をおろそかにさせていては、将来的に被害者になってしまうのだ。


    2 頑張ってもできない人たち
    「頑張ったらできる」というのは、「学校や会社など、どこかで認められる結果を出す」ということ。裏を返せば、本人がいかに好きで好きで頑張っていても、それが「価値あるもの」として認知されなければ、「きちんとできた」ことにはならない。
    もちろん、好きなことを頑張ってそれで食べていけるのが一番の幸せだが、大半の人たちはやりたくないことを頑張らないと生きていけない。
    現代では努力が方向づけられている。そんな社会で頑張れない人たちにとっては、
    頑張れることでは生活できない→好きでないことをしなければいけない→やる気が出ない→ますます頑張れない
    といった悪循環が起きる。

    どういった人たちが頑張れないのか?それは認知機能の弱さを持った人たちだ。
    彼らは認知能力・自己認識能力に障害があるため、視覚、聴覚に歪みがあり、外界を歪んで認識してしまう。インプットされる情報がすでに間違っているため、いくら努力を重ねても、結果が不適切な方向に向いてしまう人たちなのだ。


    3 やる気を奪う言葉と間違った方法
    ・勉強しなさい
    ・でもな…(非行少年の話を否定する)
    ・もっとできるはずだ
    ・だから言ったとおりでしょ
    ・フォローのない「指導もどき」
    ・親の愛情不足を疑う

    嫌いな先生にどれだけ正しいことを言われても聞きたくない。これは子どもだけではなく、大人同士の対人関係にも当てはまるだろう。
    まずは生徒に好かれることが大切だ。好かれるとは、甘やかすとか機嫌を取るということではなく、子供に笑顔で挨拶する、名前を覚えている、最後まで話を聞く、子供のやったことをちゃんと覚えているなど、人と人との基本的な関係である。


    4 やる気スイッチ
    やる気スイッチを非行少年本人にいかにして押してもらうか?
    それには「見通し」「目的」「使命感」の3つが必要だ。

    ●見通し
    どこまで頑張ればいいかをはっきりさせること。認知機能が弱ければ見通し力も弱いため、支援者が筋道をきちんと示してあげることが大切。
    ●目的
    なんのためにそれをやるのかという「意味」を考えること。見通しの先にある「ゴール」を明確にし、努力を方向づけてあげる。
    ●使命感
    それが自分の人生にとってどんな意味があるのかを考えること。


    5 支援者ができるアクションは?
    支援者が提供できることは大きく分けると次の3つだ。
    ・安心の土台
    ・伴走者
    ・チャレンジできる環境

    ・安心の土台
    人が本当に困っているときに助けてくれる存在のこと。相手の不安や不快に気付け、頼りにできる支援者になれるか。またずっと支援する姿勢を持ち続けられるか。
    ・伴走者
    新しいことにチャレンジするとき、一緒に見守ってくれる存在のこと。近づきすぎず、離れすぎず、敬意を持って接する人になれるか。
    ・チャレンジできる環境
    新しい環境のこと。認知機能の弱い人は見知らぬ環境への適応能力も弱いため、「安心の土台」「伴走者」の支えが必要になる。

    やる気は「達成+承認」で生まれる。相手のチャレンジをやる気につなげようとするならば、実績だけでなく、周囲からの適切な承認の機会も用意しなければならない。
    例えば、頑張れない人たちがなにかに一生懸命取り組んだあとに、それに対して適切なタイミングで心から声をかけてあげる。

  • 前作「ケーキの切れない非行少年たち」で衝撃を受け、さっそくこちらを拝読。

    前回に引き続き、自分にはなかった新たな世界と視点を与えてくれる内容だった。
    特に第4章の【やる気を奪う言葉と間違った方法】では、自分や両親、これまで関わってきた先生に置き換えて思い返してみると愕然とする点が多く、共感する反面、自分も将来子どもに同じスタンスを取ってしまうのではないかと危機感を覚える。

    「もっと勉強しなさい」と言われる子どもの気持ちを例えた描写が秀逸で、当たり前にその通りだな、と青天の霹靂の気持ち。
    「だから言った通りでしょ」は大人になればなるほど誰しも口走りたくなってしまうワードだけれど、実際1番失敗して落ち込んでいるのは本人だということ、傷口をえぐる行為をしているのは大人であることなど、この本を読んで理解すること、受け入れることが本当に数多い。

    自分の生きていく過程の中で培った価値観や、関わってきた人たちの中で芽生えた軸や芯みたいなものに、良い意味で異議を突きつけてくれるような本。


    印象的だった言葉
    「好かれるというのは、子どもに笑顔で挨拶する、名前を覚えている、最後まで話を聞く、子どものやったことをちゃんと覚えている、そんな人と人との基本的な関係なのだ」

  • 「頑張るなら支援する」という条件付き支援と言うあり方は、施策の目的を再犯防止としている国の再犯防止策にも垣間見える。本来は、支援を必要とする人の福祉の実現こそが目的であるべきところ、福祉的支援を手段として、国の再犯防止と言う目的を実現しようとしているかのように見えるからだ。「頑張れない人」「支援したくない人」「支援の場に来ない人」に対してこそ支援が必要であると言うことは、アウトリーチの必要性に自覚的な福祉の現場では今や常識といえると思えるが、一般向けにそのような実態を紹介することに本書の意義があろう。

    「本当の意味での支援とは、その少年が期待通りに更生しようが、一方で期待に反して犯罪を繰り返そうが関係なく、ずっと支援をし続けること」という指摘には共感するが、その難しさも痛感する。本書はその困難性に自覚的である。筆者ですら、頑張れない人たちを支援することに対して自信はないと言うが、頑張れない人たちに対して直接支援する人、その支援者を支援する人、と支援の裾野を広げていくことが出来れば、より支援に近い人が疲れたときも頑張れない人たちに対する支援は続いていく。

    本書は、社会の側に支援者を疲れさせる原因があることも問題視した上で、いかに息の長い支援をしていけるかを模索するものである。そもそも、本当に人は誰しもが「頑張りたい」と思っているのか、と言うことに対して疑問を呈する人もいるかもしれない。しかし、私は生きていること自体が大変なことであるからこそ、筆者の言う「頑張りたい」というのは、「より善くいきたい」と言うことを言い表したものだと思う。その「善さ」というのは、自分自身で決めるべきものであり、人から押しつけられたり奪われたりするものではない。

    そういう意味で、本書が扱う、「頑張れない人」というのは、自分が理想とする「善き人」になれずに苦しんでいる人といえるかもしれない。

  • 大ヒットとなった『ケーキの切れない非行少年たち』の続編。「頑張る」ことに価値のある社会の中で、「頑張れない」人たちはどうすれば良いのか、ということについて論じた本。
    まさに同じ疑問を共有していたため、非常共感できる内容だった。前作と違い驚きや意外性はないものの、実際の支援という観点から見ると、当たり前ながらもとても大切なことが簡潔にまとまっている。特に「やる気を奪う言葉かけ」の項は自分も思い当たる節があり、不味かったなと反省することができた。

    • workmaさん
      だーちさんの、「やる気を奪う言葉がけ…」の、文章を読んで… 本書を未読ですが、読んでみたくなりました。
      だーちさんの、「やる気を奪う言葉がけ…」の、文章を読んで… 本書を未読ですが、読んでみたくなりました。
      2021/04/24
  • 本屋で平積みされていて、前作のケーキの切れない〜が面白かったので読んでみた。

    一見、怠けていると思われやすいが、そうじゃないんだよと教えてくれる。これは案外、他人事じゃない気がしました。

    理解を得るのも大変だろうし、支える家族、もちろん本人が何より辛いだろうなと…。
    させない、無理しなくていいと周りは思っていても本人は実際は周りと同じようにやりたいと思ってる…そういう、お互いの認識の相違は考えさせられた。周りも善意でしてることと、子ども自身が抱く気持ちや立場を思うと切なくなった。

  • 要約するとこの2つ
    ・頑張れない者にこそ支援が必要。
    ・その周りの大人たちにも目も向けることが重要

    個人的に読んでいて印象に残った内容がある。「頑張れ」「無理しなくていいよ」などの言葉は、頑張れない者にとって誤解を生む可能性がある。ついついどちらかの言葉をかけてしまいそうだなと思ってしまった。必要なことは、人によってかける言葉を変え、場合によってはその周りの人を気にかけること。それが1番難しいことだと私は思うが、頭の片隅に入れて生活したいと思う。

  • そもそも頑張れない人たち、怠けてしまう人たちにこそ、支援が必要。
    支援者にも支援が必要。

    世の中は、頑張ることや頑張り続けることを前提にできている。
     頑張る人を応援します
     頑張らない生き方
    のようなキャッチコピーも、頑張る人を前提にしたものである。
    私は頑張れる人(または頑張らないといけないという強迫観念のもと頑張る人)なので違和感を感じないが、そうでない人がそのまま受け取ると、才能や機会を奪うことになってしまう。

    頑張る人にとっても生きにくい世の中、そうでない人にとってはもっと苦しいだろう。
    特に一度常識や世間といったレールから外れてしまうと、元のレールに戻るのが難しい日本ではなおさら。

    「頑張る」って一体なんなんだろう。
    できて当たり前のことが普通にできること?
    でも向き不向きや好き嫌いや気分もあるし、性格や環境によって力の発揮具合も大きく違ってくるだろう。
    できて当たり前や普通という言葉も、一定の価値判断を含んでいるので、当然そこに当てはまらない人も出てくる。

    多様性、多様性と言われてはいるが、家庭教育や学校教育、矯正機関においてはまだまだなんだなと思う。
    頑張れる・頑張れない以前のところにいる子供たちに、もっと寄り添い、彼らが話すことを聞かないと。

    頑張れる側にいる私に何ができるんだろう。

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著者プロフィール

立命館大学教授、児童精神科医。一社)日本COG-TR学会代表理事、一社)日本授業UD学会理事。医学博士、日本精神神経学会専門医、子どものこころ専門医、臨床心理士、公認心理師。京都大学工学部卒業、建設コンサルタント会社勤務の後、神戸大学医学部医学科卒業。大阪府立精神医療センターなどに勤務の後、法務省宮川医療少年院、交野女子学院医務課長を経て、2016年より現職。児童精神科医として、困っている子どもたちの支援を教育・医療・心理・福祉の観点で行う「日本COG-TR学会」を主宰し、全国で教員向けに研修を行っている。著書に『教室の困っている発達障害をもつ子どもの理解と認知的アプローチ』『性の問題行動をもつ子どものためのワークブック』『教室の「困っている子ども」を支える7つの手がかり』『NGから学ぶ 本気の伝え方』(以上、明石書店)、『身体面のコグトレ 不器用な子どもたちへの認知作業トレーニング【増補改訂版】』『コグトレ みる・きく・想像するための認知機能強化トレーニング』(以上、三輪書店)、『1日5分! 教室で使えるコグトレ』(東洋館出版社)、『ケーキの切れない非行少年たち』『どうしても頑張れない人たち』(以上、新潮社)、『境界知能とグレーゾーンの子どもたち』(扶桑社)、『境界知能の子どもたち』(SB新書)などがある。

「2024年 『身体をうまく使えるためのワークブック』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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