小林秀雄全作品〈17〉私の人生観

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (257ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106435577

作品紹介・あらすじ

昭和24年47歳、明恵上人や宮本武蔵の言葉に、絵や彫刻など美の経験に、人生の秘訣を探る「私の人生観」-。さらに、富岡鉄斎を語る、中原中也の思い出をたどる…。

感想・レビュー・書評

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  •  文化とは何だろうか?こうしたラジカルな問いに対して正面から向き合う人間は非常に少ない。小林氏はこうした疑問を持ち、考え続けることができた数少ない人間のひとりあるいは(少なくとも日本においては)代表格であったことは間違いない。 
     文化とはもともとは支那から輸入されてきた言葉であって、日本に最初からあったものではない。にもかかわらず、ブンカブンカと呪文のように多くの人間はその本質を理解せずに唱えているだけである。その意味はご存知の方もあるだろうが、「民を武力によらないで教化すること」である。

     他方、英語にcultureという語がある。これまた、まともに英語教育を受けた人間なら知っていることだが、もともと畑を耕すという意味だ。すなわち栽培するという動的過程とその結果物の生産が内包されている。こういうことが語感として西洋人には理解されている。したがって、文化=カルチャーと辞書に登録した人は明らかに間違っているといえるだろう。(とはいえ、通常の学校教育過程で、いや文化とカルチャーは意味が違うんですよとかいっても通じないのであしからず)
     
     例えるなら、cultureとは林檎の樹を育て、成長させ結果として林檎の実がなることだ。(そして、具体的な物が結果として生み出されなければ文化ではないのである。)林檎の樹の素直な性質、あるべき姿がそこにあるだろう。だが断じて林檎の樹を切り倒し、そこから机や椅子や、あるいは下駄を作り出しことじゃない。しかし、近代にはそういったことが横行しまかり通っている。これは嘆くべきことだし。悲しいことだ。
     文化人・知識人たらんとする人間は、自分が林檎の実を生み出すものだと仮定していなければならない。ただ外から文化文化といって吸収してもまったく空虚なことになりかねない。そういった自己を自覚すること。これこそが難しいのだがそうした自己を引き受ける器と覚悟がある人間だけが、文化人と呼ばれるべき存在になるのだろう。

  • 2009/
    2009/

    鉄斎を語る 三好達治ほか座談. 鉄斎2. 島木君の思い出. 死体写真或は死体について. 飜訳. 小林秀雄とともに 久保田万太郎ほか座談. 同姓同名. 文化について. 第一回横光利一賞銓衡後記. 吉田満の「戦艦大和の最期」. 文学と人生 三好達治対談. 中原中也の思い出. 知識階級について. トルストイ. 感想. 私の人生観. 秋. 酔漢. きけわだつみのこえ. 蘇我馬子の墓. 古典をめぐりて 折口信夫対談. 私の人生観 江藤淳著.

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