私がチェーザレ・ボルジアの名前を知ったのは、多分この本のタイトルからだ。
いつこの本の存在を知ったのかわからないけれど、チェーザレ・ボルジアのイメージがこれで決定されたのは間違いない。
とはいえ、何をした人なのかは長いこと知らないままで、ボルジア家とメディチ家がごっちゃになっていた。
ところがこの本が図書館から届いた3日ほど前、押し入れの奥の方から川原泉の『バビロンまで何マイル?』が出てきたのです。
押し入れの奥にあったということは、かつて読んだことがあるはず。
…内容覚えてないなあ…とぱらぱら見てみたら、何とこれがチェーザレ・ボルジアの話でした。
こりゃあ、『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』を読む前に一度読み返さないとな。
結果、一度読み返しただけではなく、この本を読みながら何度か『バビロンまで何マイル?』も読み返しました。
さて、肝心のチェーザレ・ボルジアってどんな人なのかというと、ルネサンス期のローマ法王の息子です。
ええと…ローマ法王って結婚が禁じられています。→なのに子ども
そしてチェーザレのお母さんは、人妻です。→もちろん法王の妻ではない
つまり、2重に罪の子なわけです。
誰も面と向かっては言いませんが、世間はみんな知っていた事実でした。
そしてさらに悪いことには、パパである法王は非常に子どもたちを愛していましたので、法王としての権力を駆使して子どもたちに身分や権力や財産を与えるのです。
パパ法王は史上最低の法王と言われたアレッサンドロ六世。
全ての欲に対して貪欲な方です。
パパ法王はチェーザレを枢機卿というカトリック教会の中での法王に次ぐ地位(とはいえ何人もいる)に、相当若い時期につけてしまいます。
この時期のカトリック教会は、宗教革命直前のもっとも乱れていた時期。
政治という名の陰謀が渦巻く世界で、後ろ盾がパパしかいないチェーザレの身分はかなり危ういもの。
しかも、誰もが知っている罪の子であるチェーザレは、どう頑張っても法王にはなれないので、若くして頭打ちなのです。
チェーザレはそれよりも、世俗に還って自分の力で世界を手中にすることに野心を燃やします。
頭が切れ、行動的で、冷酷で時に残忍な彼は、20代の若さで、イタリアの中部を制圧します。
当時のイタリアは群雄割拠の時代。
ミラノ、ナポリ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどのほかに、フランスやスペインもその領土を狙っているわけです。
日本で言ったら戦国時代みたいな感じ?
とすると、チェーザレは織田信長ってところでしょうか。
イタリアという概念を初めて口にしたのがチェーザレというのも、信長っぽい。
しかし信長が新しい日本を作るためのビジョンをかなり明確に持っていたらしいのに対して、チェーザレはイタリアを統一して何をしたかったのかはわからない。
彼は行動するだけで、自分の行為について語ったことはないうえに、志半ばで終わってしまいましたからね。
何を言っても推論でしかないけれども、私は、チェーザレは何か確固としたものが欲しかっただけなんじゃないかと思いました。
パパから与えられたものは大きかったけれども、パパが死んでしまったらあっという間にその身が不安定になる。
事実パパが亡くなってからチェーザレの運が尽きるまでの速さよ。
チェーザレは自分の言葉をほとんど残していないので、行動はわかるけれど血の通った人間としてのイメージがわかないと塩野さんが話した相手が映画監督のルキノ・ヴィスコンティ。
で、彼の紹介しれくれた人を観察してイメージを膨らませたのだとか。
すげ~な。
そして最初に考えていたタイトルは『チェーザレ・ボルジア』だけだったけど、それでは日本人には伝わらないということで考えたサブタイトルが『優雅なる冷酷』。
それを庄司薫に話したらサブタイトルにしないでくっつけたらと言うので、このタイトルになったのだとか。
いや、このタイトルは最強だと思いますよ。
ものすごく時間がかかったけれど、満足度の高い読書でした。