日の名残り

  • 中央公論社 (1990年1月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (304ページ) / ISBN・EAN: 9784120019470

みんなの感想まとめ

執事の視点から描かれる物語は、品格と職業意識が織りなす静謐な世界を映し出しています。主人を支えることに全力を尽くすスティーブンス氏の姿勢には、敬意を抱かずにはいられませんが、彼の旅の中で見せるユーモラ...

感想・レビュー・書評

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  • イギリス人カズオ.イシグロの作品、図書館半年以上待ち続けてやっと順番がきた。とある名家の執事が偶然のドライブ旅行に出て折り節我が執事人生を咀嚼しながらの数日間。執事と言えば ちびまるこちゃんの花輪くんの執事 西城秀治(ヒデジイ)くらいしか思い付かないワタシですが、何しろ英国の執事とくれば半端ない専門性と品格の世界。執事人生悔い無し と自覚するスティーブンスだが、自己を抑えてひたすら主人を支える生活に 果たして全て良かったのだろうかとの思いも湧く旅行。いちばんの目的は終盤の元 女中頭との再会だが、あわよくば仕事に戻って欲しいとの思いは意外な結末でホロリとなる。旅の終わりの黄昏時にたまたま出会った男の一言「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。脚を伸ばして、のんびりするのさ。」
    日本語訳がよくて、とても良かった。

  • 主人公スティーブンスは、ダーリントン・ホールと呼ばれる由緒正しい名家の執事である。大戦後、ダーリントン卿は失脚、館はアメリカ人ファラディ氏の所有するところとなる。家付きの執事として仕えることになったスティーブンスに新しい主人は、一度ゆっくりイギリス見物でもしたらいい、と旅行を勧める。初めは遠慮したスティーブンスだが、かつていっしょに勤めた女中頭で、今は結婚して田舎で暮らすミス・ケントンから来た手紙のことを思い出し、訪ねてみようと思い立つ。

    小旅行の間、スティーブンスの脳裏に去来するのは、数々の歴史的事件の舞台となったダーリントン・ホールの栄華の日々であり、いっしょに働いていた有能な女中頭ミス・ケントンの思い出である。人手不足もあり、満足の行く仕事ができないスティーブンスは、もう一度ミス・ケントンに戻って来てほしいと考えている。今回の休暇旅行は彼にとってはそういう意味のある旅行だった。しかし、ジョーク好きのファラディ氏は、「おいおい、スティーブンス。ガールフレンドに会いにいきたい?その年でかい?」と、からかうのだった。他者であるファラディ氏の価値観と主人公の価値観との相違が暗示されている大事なところだ。

    回想のなかに当時のドイツ駐英大使リッペントロップの名が度々登場することからも、英国とドイツの間に再度戦端が開かれようとしていた時代であることがわかる。スティーブンスが仕えるダーリントン卿は、第一次世界大戦後の賠償問題で疲弊したドイツに同情的で、宥和政策を推進しようとしていることが言葉の端々から伝わる。卿を崇拝する主人公は、卿の仕事が円滑に進むよう、交渉の舞台であるダーリントン・ホールの運営に心を砕く。

    執事という職業はイギリスにしかなく、他の国のそれは召使である、と言われるほど、英国人にとって執事という職の持つ意味合いには重いものがある。スティーブンスが目指すのは「品格」を持った執事である。では「品格」とは何か。スティーブンスは言う「品格の有無を決定するのは、自らの職業的あり方を貫き、それに堪える能力だと言えるのではありますまいか」と。この言葉が、彼の行動、意思決定を終始つかさどる。尊敬する父も、そのように生きてきた。スティーブンスに感情がないわけではない。おそらく、執事という職を辞しさえすれば、自分の思いを表面に出すこともできるのだろうが、執事である間は、執事であることを貫き、それに堪えるのだ。

    読者から見ると、朴念仁の石部金吉にしか見えないスティーブンスだが、執事という生き方しか知らない彼にとって、より良い執事をめざす限り、気がおけず、能力について尊敬も覚える女性を前にしても、同僚の線を決して越えることはない。それは、ヒューマニズムの問題や、イデオロギーに関しても同じである。主人の決定に異議を唱えるなどということは、執事としての分を超えることになるからだ。彼の考える「品格」を持った執事である、ということは「頭」や「心」は主人に預け、有能な「手足」として働く、いわば「道具」に徹するということである。

    ダーリントン・ホールで暮らしているうちはそれでよかった。しかし、たとえ車で出かける数日間の旅行にしても、一歩屋敷の外に出れば、そこは異世界である。スティーブンスは執事ではなく、一人のイギリス人として扱われる。はじめは、とまどい、やがて上流階級の人間と見られることに快感を覚え、本来の出自を隠すようになる。そこには「品格」をもった執事スティーブンスの姿はない。むしろ、それがスティーブンス本来の姿であった。

    「執事」という殻をかぶり、本来の自分をみつめることを怠ってきたつけは、この旅行の真の目的であったミス・ケントンとの再開できっちり払わせられることになる。スティーブンスの腹積もりでは、不幸な結婚に陥っているミス・ケントンをそこから救い出し、もう一度ダーリントン・ホールに連れ戻し、かつての愉しい日々を再開する、というものだった。しかし、その期待はあえなく潰える。彼が顧みることのなかった時間は、他の人間を成長させるに充分な時間であった。夕闇迫る桟橋で、こみ上げる涙の苦さ。

    アメリカ人という他者の洗礼を受けることで、名残りの日々を過ごすための新たな生きがいを見つけることになるスティーブンス。ほろ苦い結末だが、人生の夕暮れを照らすやさしい光が、そこにさしているようだ。鼻をかむためのハンカチを貸してくれる男の言うとおり「夕方が一日でいちばんいい時間」なのかもしれない。

    蛇足ながら訳について一言。1990年に、この翻訳が出たとき、丸谷才一氏は書評の最後に「土屋政雄の翻訳は見事なもの」と、付け加えるのを忘れなかった。そのことに異議はないのだが、72ページで、ダーリントン卿の「これは誇張ではあるまい?」という質問に対し、スティーブンスが「とんでもございません」と答えているのが気になる。文化庁は、誤用ではないとしているようだが、「品格」を大事とする英国の執事が使う言葉とは思えない。ここは、「とんでもないことでございます」と訳してもらわないと、スティーブンスも浮かばれないのではないだろうか。

  • イギリスの屋敷で現在はアメリカ人の主人に仕える執事が、自動車旅行中に、かつて仕えていたダーリントン卿を中心とした人々との思い出を回想する物語。

    著者であるカズオ・イシグロ氏が2017年ノーベル文学賞を受賞したことを知り、その代表作といわれているこの物語を電子書籍で読むことにした。

    原文は英語で書かれているもので、その日本語訳を読んだのだけれど、内容にふさわしい訳仕方で、心地よく読み進めた。

    この本を読んで、伝統的なイギリスの上流階級の生活、そして執事とは如何なることをするのかを知ることが出来た。

    この本で心に残った文章

    「品格の有無を決定するのは、自らの職業的なあり方を貫き、それに耐える能力だ。並みの執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込む。

  • ノーベル文学賞受賞おめでとうございます。
    差しあたって未読ですぐ手に入りそうなものをということでこれを。
    英国の秩序正しい執事が休暇にドライブしながら過去の様々な回想にふけるという内容で、想像以上に良かった。

    「わたしを離さないで」は読んでいたけれどこちらのほうが私は断然好き。

  • 名作って本当に名作なんだなあ。

  • 静謐だ。執事が旅に出る。過去の回想が語られ、「良き」名家の思い出が郷愁を誘う。旅は目的地の着き、日の入りにロマンを感じる。それにしても見事に上流階層を描いていて、感じいった。図書館で予約して1年以上かかって借りることができた。最後のページをめくるのが惜しかった。

  • カズオ・イシグロが最初に大々的に取り上げられたのがこれだったと思う。その時に買ってこれまで読まずじまい。ダウントン・アビーを見てしまった後ではいまいち面白くない。

  • 名家の執事の物語。最初は違和感を感じたが、最後の人生についての話は感銘した。ミスケントンとの関係は微妙な話でミスタースティーブンスの対応は疑問が残るが、イギリスの風土か。
    *いつも後ろを振り向いていちゃいかん。前を向きつづけなくちゃいかん。人生楽しまなくっちゃ。夕日が一日で一番いい時間なんだ。もっと前向きになって、残された時間を最大限楽しめ。人生が思い通りに行かなかったからと言って、後ろ

  • 映画を先に見てたので、小説の世界になかなか入れなかった。

  • これ程の装丁の施された単行本なのに、なんとしおりが付いていないとは、少しびっくりした。
    カズオイシグロは1983年に国籍を英国に移したらしい。つまりそれまでは日本国籍だったわけだが、この作品の語り口からはネイティブ日本人はかけらも感じられない。ほとんど日本語を解さないようだけれど、家庭で両親とは日本語で話した、らしい。すんなりと納得行く話ではないけど、まあノーベル賞なんだから僕などの納得がいく筈も無くすまぬm(_w_)mのであった。

  • 話題なので読んでみたが、ちょっと難解
    大学時代の購読を思い出した。
    イギリスっぽい?

  • The Remains of the Day, 「過ぎ去った一日を振り返って、そのとき目に入るもろもろのこと」(訳者あとがきより)

    哀しさと少しの可笑しさ。とても好きな話だった。老執事ミスター・スティーブンスが、休暇をもらい、昔共に働いていた元女中頭ミス・ケントン(正しくは、今はミセス・ベン)に会いに行く。イギリス人でありながら、執事という職のため、道中の景色は初めて見るものばかり。ドライブの旅の夜、ミスター・スティーブンスは、その日の出来事と、それを発端に思い出す過去のことをあれこれと考えてみるのだが。

    本物の執事に会ったことがないけど、イメージするそれは、とてもイギリス的なもの。しかも、古き良き大英帝国的なもの。主人公は、執事に必要なものを「品格」ということばで語る。世界を動かすような、仕えるに値する主人のために、万事滞りなく、私情に流されず、自分の立場をわきまえて。主人公の語る過去から、少しずつ事情が明らかにされ、彼の前の主人であったダーリントン卿について、読者にもその為人がわかってくる。同時に、紳士であったり、執事であったり、そういう大英帝国的なものの価値が、ガラガラと崩れていった近現代を知る。所詮私にはその真に大英帝国的なものの敗北は、きちんと理解できないけれども、この小説が語ろうとした、イギリスが失いつつあるものの姿は感じられる。

    著者カズオ・イシグロは、きっと英国人としてこの小説を書いた。1989年の作品だという。1989年は、世界の各地で、大きな変化があった。古き良き時代は、もう去るのみ。最後の章で語られる、夕方ががいちばんよい時間だという意味。人生の夕方、大英帝国の夕方、ミスター・スティーブンスがいるのは、そのような時である。

    ミスター・スティーブンスは、ダーリントン卿に仕えた日々の、いくつかの行動を悔やむだろうか。主人をただ信じるだけでなく何か自分で判断をしていたら、賓客ではなく父の最期を優先していたら、ミス・ケントンの愛に気付き応えていたら。でも、彼は悔やまないだろう。彼は自分の仕事に誇りを持つ執事だ。今は新たな主人ファラディのために、またひとつひとつ執事の務めを果たしていくべき時。主人に判断をゆだね、自分は主人がなすべきことをすべてなされるよう尽くす。彼の目指す生き方は変わらない。たとえ、それがもう、黄昏を迎え、後は沈みゆくだけのものであっても。

  • 人生の夕暮れを迎えた執事が、旅をしながら自分が1番輝いていた古き佳き時代を振り返ります。
    不器用ではありながら、真摯に懸命に仕事に向き合って来たのでしょう。ちょっと言い訳をしながらも輝いていた過去を懐かしく思い出します。
    夕暮れに振り返った時に、何か一つでも輝けるものを見つけられるような人生を送りたいものですが、さて今から間に合うものかどうか…

  • 主人公は老執事スティーブンス。
    ある日主人から、旅行を勧められる。この本はスティーブンスの旅行記であり回記録。

    スティーブンスの生き方は、決して上手とは言えない。
    過去を回想することで、スティーブンスは自分が失くしてしまったものを思い知る。
    でも、彼の生き方は真摯だ。時計の針はもう元には戻せない。最後のスティーブンスの姿が、暖かく心に残った。

  • 【つぶやきブックレビュー】2017ノーベル文学賞(当館の数少ない小説の所蔵より)。

  • ノーベル賞で読んだことを思い出しました。
    ブッカー賞を取ったという報道で本を買いました。
    しかし内容は全く覚えていない。
    もう一度読み直さなくては。

  • 正直「わたしを離さないで」の方がよかった
    イギリスの歴史に詳しくないと、もう一つ楽しめないのかもしれない

  • ある名家の執事が旅行をする話。
    旅行をしながら執事生活を振り返り、自分の仕事のやり方に間違いはなかったと自分に言い聞かせながらも、どこか後悔している部分が感じられる。

  • 現在TVドラマ放映中の「私を離さないで」の作者。日本生まれのイギリス作家イシグロのブッカー賞(英の文学の最高の賞)受賞作。活字が苦手な人は先に映画をどうぞ。ホンモノの執事とは? (榎本 教員)

  • 日本生まれの日系2世英国人の著者だが、完全な英国紳士らしい小説。20世紀初頭、ダーリントン卿宅の執事を主人公として欧州の上流階級の生活が情感たっぷりに描かれる。英仏のドイツへの第1次大戦後の遺恨の違いなどが興味深いところ。英国から見て仏の独への恨みの深さは、今の仏独の枢軸関係からは想像もできない。ヒトラー台頭、主人の家のユダヤ人解雇の動きに、主人公の執事と女中頭のミス・ケントンとの間のすきま風が吹く。そして、二人の長年のぎすぎすした関係から年月を経、再会した場面の平安に満ちた会話が美しい。題名が象徴するような、寂しいながらもノスタルジックな諦観の世界が感動的。

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著者プロフィール

翻訳家。1944年松本生まれ。おもな訳書に、カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(早川epi文庫)、ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』(新潮社)、モーム『月と六ペンス』(光文社古典新訳文庫)など。

「2015年 『出島の千の秋 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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