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Amazon.co.jp ・本 (320ページ) / ISBN・EAN: 9784120033834
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人間の「社交」を多角的に探求した一冊で、特に前半部分が興味深いと感じる読者が多いです。社交を人間文化の核と位置づけ、他の理論とも関連付けながら、遊びとの結びつきに焦点が当てられています。この視点は、社...
感想・レビュー・書評
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人間が古代より培ってきた「社交」という営みを、その起源にさかのぼって考察するとともに、現代社会における社交の役割を考察した、示唆に富む内容だった。
社交は目的志向的で合理的な行為とは異なり、遊戯のような目的とは離れた形式や贈与の関係性によって構成された人間関係である。このような人間関係は古来から見られ、人類学者の研究によれば、近代社会の影響が及んでいない部族社会においても、そのような営みが見られる。
このような営みの起源として、ゲオルグ・ジンメルはもともと目的追及のための行動であったものが形式化した「社会的遊戯」というものを想定し、またホイジンガは『ホモ・ルーデンス』の中で遊戯を「日常生活の外」にあるものと定義し、いわば「まじめ」と「遊び」の対比の中でこの行為を位置づけると共に、社交をこの「遊び」に属するものとして定義づけた。
しかし、筆者はこのような「目的と形式」や「まじめと遊び」のような二分法の枠組みの片方に社交を位置づける方法では、社交の本質と可能性を捉えられないと考えている。筆者は、社交は遊びの中にあるものではなく、もともとまじめとも遊びともつかない行為があり、それが社交の場に持ち込まれたときに遊びに転じるというプロセスがあるというのが筆者の主張である。
そして、このプロセスを通じて、社交は生存のために目的志向の行動が強く求められた古代社会においても、組織の中で合理的に目的を追求することが求められる近代以降の社会においても、そのような「まじめ」な世界とは別の人間関係を人々に供給する役割を担っていると考えている。
ここで想定されているまじめと遊びが分化する前の行為として、筆者は「アルス」というものを想定している。これは、創造や創作の営みにおいて、自然な生理運動のもつリズムにただ身を委ねている段階から能動性を持った行為へと移行した段階であり、一方でまだ技術(テクノロジー)と芸術(アート)が分化していない行為を指している。この段階ではまだこの行為は遊びとまじめいずれかに分化をしていない。
アルスは無意識の生理現象ではなく、この行為を行う際にはそこに「意識」が芽生えている。これは「個」の存在が生みだされているとも言い換えることができる。そして、社交とはこのアルスを遊びの形式の営みに変換するプロセスであるが、これは宗教儀礼やゲマインシャフトのなかでの社会的慣習や規範とは異なり、個としての人間が選択的に係わっていく営みである。そして社交の営みにおける個の存在が、社交が現代社会においても大切な意味をもつ理由であると筆者は考えている。
近代以降の社会は、「個」の存在を前提としている。しかし、人間は個としてだけ生きていくことはできず、何らかの形で他者との関係性を必要としている。ところが企業や学校といった近代的な組織も、政治の空間も、目的性を持った社会であるために個をかけがえのない存在として受け入れてくれることはない。またゲマインシャフトのように永続的な帰属意識を感じさせてくれる関係は近代以降の社会では作られず、結果として人々は、常に流動する人間関係の中で「淋しい群衆」として生きている。
このような現代社会の中で、個が目的を追求する「まじめ」な組織とは異なり、自由を保障する付かず離れずの距離のなかで、しかも安心を担保する小規模の人間関係を構築する契機を社交が与えてくれるというのが筆者の意見である。
社交とは、目的志向的な行為の定式化とは異なる形で相手との間に行為の同調を生み、そのことが小規模な人間関係の中で相手とのコミュニケーションや相互承認を生み出すプロセスである。
そしてこのような人間関係は、目的志向的な「まじめ」な社会活動や組織のなかでは涵養されない。しかし人間が社会的に生きていく上でこのような関係性は必要とされており、近代という目的志向の優位の時代を経て、現代においてはこのような関係性をつくる動きが復活している。
それらは例えば、時間消費や商品販売におけるパーソナライゼーションのような動きにも表れていると筆者は述べており、社交の培う人間関係が経済の形にも影響を及ぼす可能性を指摘している。社会のなかの人間関係から経済活動にいたるまで、社交という関係構築のプロセスを再評価することで、目的志向の関係性だけでは実現できない全人格的なつながりを取り戻すことができるのではないかというのが、筆者が考える社交の大きな意義である。
筆者はまた本書の最後に、社交を基盤としたこのような人間関係は、契約やリスク管理に基づく関係とは異なる、信用に基づく人間関係の構築にも寄与することができ、グローバル化や組織化が進む社会に対抗しながら人々がほどほどの距離感で心を通わせることができる第三の道を生み出す可能性を持っているとも述べている。
本書では社交という交流のあり方が単に文化や遊びの一形態ではなく、むしろ文化や遊びという人間の営みの極を生み出す仕組みであったということを示すとともに、そのようなはたらきは、個人の存在を前提にしつつも、各々がばらばらの目的を追求するだけではない、全人格的な関係性のあり方を実現する可能性を持っているということにまで論を広げており、社会のかたちを築き上げていくための大切な視点を提供していると感じた。
さらに、社交は日常的な人間関係のなかだけではなく、経済の仕組みのような領域にも変化の兆しを生みだしているということも指摘されており、筆者の視野の広さと洞察の深さも驚かされた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人間の行う「社交」を色々な観点から論じた一冊です。個人的には前半部分が興味深かったです。
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面白かったのだが、詳しい内容を忘れてしまった。
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非常に大雑把に言えば、「社交」という面を人間文化の中心として捉えた本。直系はジンメルの社交論だと思われる(残念ながらまだ未読なのだが)。
この本では「社交」というものが「遊戯」とどのように結びついているのかにかなりの焦点が当てられていて、その箇所はとくに参考になった。「遊び」に関してホイジンガ以外の人間の名前が挙げられていないのは、あまり今回の目的に合致しなかったからだろうか? -
読んだのはもうだいぶ前になるが、オールタイムベストを選ぶとしたら、必ず入れたい一冊。
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