- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120039744
感想・レビュー・書評
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作風や終り方が凄く好み。「すずめ」は秀一。一読の価値あり。
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小池昌代の詩が好きである。つまり自分にとっての小池昌代は、やはり詩人なのである。そんな詩人、小池昌代がある時から小説を書き始めた。言葉は相変わらずしっとりとしていたけれど、それはどこまでも散文詩のような物語であった。透明な結晶の中に閉じ込められたようで、きちんと表現されたものを受け止めなければならないような雰囲気に満ちていたのだ。言葉が正座していた。どうしようもなく、それは詩人の言葉であった。
最近、小池昌代はその不思議な味わいのする小説を次々と発表する。それを読みながら、ああ、この人はいつまでも詩人なのだなあ、と、やはり思うのであった。それが習い性にすらなっていた。ところがどうだろう、この『ことば汁』の小池昌代の変わりようは。言葉に緩さがあって、自由がある。身体の中から絞り出された、と表現するのが適切にも思われた詩人の在り方とは、まるで違う。言葉が身体の芯からほとばしり出ているようだ。
その自由な言葉が、今まできっちりとした静物画のようであった物語を勢いよく突き動かす。大波、小波、言葉に乗っていく。そしてこれはもう小池昌代の短篇の特徴といってよいと思うのだが、物語はいつもすっぱりとした断絶で締め括られる。エピローグの予感を感じさせない。その小気味よさ。動から静への激しい変化に、心の慣性がずーんと働き余韻を残していくのを、意識する。
こんなに小説家らしくなったのだなあ、と思った刹那、やられる。投げつけられたのは鋭い言葉のナイフ。もちろん、その手際の良さは、相変わらず詩人のそれである。小池昌代の中で詩人と小説家は別々のものではなく、うまく溶け合ってきたようだ。
いつも小池昌代の小説を読み終えると、印象の強いスライドを、一枚一枚、投影されたものを見終わった時のような印象があったのだけれど、それがモノクロの短編映画に変わった。それは所々擦り傷があったり繋ぎ目がぶつりと合わせてあったりするようなフィルムであるようにも感じられるけれど、映画としてきちんと立っている映画、つまり小説として立っているような小説に仕上がっているのだな、と思ったのである。
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もう若くはない女たち。実らぬ恋情や書けない小説の出口を探して心象世界をさまよう時、そんな時は物語が生まれる。
ことばたちがざわめき、誘い、癒してくれるのか?
老年のとば口に佇んで、女たちはことばをつむぐことで、生きていることを確認する。
詩を書く力が凝集して、息をもつかせぬ世界が広がる。力作だ。 -
表紙絵、タイトル、内容ともに忘れられないほどのインパクトがあった。
傑作だと思う。「つの」が一番好き。つのをなでられているところ。もう一編を挙げるとすれば「花火」か。「すずめ」のカーテン模様も見てみたい。
詩人の感性が小説に結晶している。小池昌代は、やっぱりすごい。