- Amazon.co.jp ・本 (425ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120039904
作品紹介・あらすじ
日本の言説空間の閉塞状況を乗り越え、時々刻々変化する国際政治システムにおけるイスラーム世界の全体像を内在的かつ動的に把握するための枠組みを提示する。
感想・レビュー・書評
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2004~2008くらいの論文、新聞や雑誌の時事問題に関する記事やちょっとしたコラムなどをまとめて本にしたもの。ちょうど9・11以降でイラク自衛隊派遣や人質問題などがあって日本でも中東関係の話が盛り上がっていた時期だ。さすが池内先生、理路整然とした文章でとても読みやすくわかりやすい。少し古い話になるけど、けっこう今でも通用するし勉強になるなあと感じる。
しょっぱなの、ヒロシマ・ナガサキはアラブ世界において平和のためではなく対米復讐を正当化するために引き合いに出されるアイコンであるという話とか、日本人は中東やイスラームを誤解しているとかいう以前にアメリカが絡まない限り興味もないじゃんという身もふたもない話とか、ムハンマド風刺画関連の複雑な事情が整理された解説とか、どれも面白かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
2004年から08年にかけて、著者が新聞・雑誌・叢書などに寄せた、イスラーム世界をめぐる論文・時評集である。
各編が書かれたのは、イラク戦争以来の激動が続き、イラク日本人人質事件(04年)など、イスラーム世界をめぐる事件が日本でもメディアを騒がせた時期。その喧噪の只中にあって、研究者として状況を冷静に見据えた言論活動の記録なのだ。
「9・11」同時多発テロ(01年)以後も、日本にはイスラーム教徒への極端な偏見は生じていない。しかし、イスラーム世界をめぐる日本の言論には、それとは逆方向の強いバイアスが存在すると、著者は指摘する。
たとえば、「イスラーム教の名のもとに自爆テロをはじめとした軍事行動を正当化する集団を、『宗教の誤った理解に基づく』とする議論が日本では多い」が、イスラーム教は「預言者自身が武器をとって戦った輝かしい歴史を称揚しているため、軍事は忌避されない」と、著者は言う。
イスラーム教とテロリズムを同一視するのが偏見であるように、イスラーム教の本質から目を背け、我々のイメージする平和的宗教の鋳型に無理やりはめることもまた偏見である。だが、日本においては後者のバイアスがかかった言論が幅をきかせている。著者は本書の随所でその歪みを正したうえで、歪みの根底に潜むものを、次のように喝破する。
《抑えられてきた反米感情、西欧コンプレックスを「イスラーム」に託して解放するという役割を、日本の言説空間の中の「イスラーム」論は担ってしまっている。》
著者は、バイアスを排したイスラーム世界の全体像を提示し、そこから日本の言論状況をも逆照射する。イスラーム世界と日本。彼我の本質的相違をふまえたうえで、対立を避け共生を続ける方途を探った好著。 -
【由来】
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【期待したもの】
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※「それは何か」を意識する、つまり、とりあえずの速読用か、テーマに関連していて、何を掴みたいのか、などを明確にする習慣を身につける訓練。
【要約】
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【ノート】
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【目次】
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だいぶ関連知識が体系化されて整理した情報として理解出来るようになってきた。
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まさか、こんなにもすぐに読み返すことになるとは思わなかった。以前読んだ時2005年デンマークのムハンマド風刺画事件の重大性をいまいち理解できなかったが、シャルリー・エブド襲撃の後読み返してみて改めて問題の根深さを思い知らされた。日本では対イスラームについてはやたら相互寛容が説かれるが、それは「表現の自由」の重大性を棚に上げている部分がある。殊更フランスにおいては、風刺の伝統から、風刺対象に例外を設けることには根強い抵抗がある。まして、移民など内政問題としてイスラームは存在する。
「表現の自由」重視の立場を踏まえての葛藤という点で本書は特殊である。 -
この本を読みながら思うのは、イスラム国と西欧諸国の“為政者”は相同だということ。ともに狂っている。そのために辛苦をなめるのはそこに生活する人々。それが死すべきものである人のさだめなのだろうか?
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面白く読める本。
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請求記号:312.2/ イ
資料番号:011072774
「じゃあ、読もう。」と思える、現今の学術書3冊②
イスラーム政治思想研究者の池内氏が、読売新聞グループ本社 中央公論新社より出版した思想・歴史分野の1冊。国際政治(中東やイスラーム世界をも含む)を巡る言説の多くが英語でなされているなか,日本語でイスラーム論を論じる意義について比較的平易な文章で綴られています。 -
2009年11月30日、アメリカについての著者のコラムが載っていた。