- Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120040962
作品紹介・あらすじ
凛としたたたずまい。「椅りかからず」に生きた女流詩人の生涯。初の本格評伝。
感想・レビュー・書評
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今年前半で一番感銘を受けた本になった。初めての茨木のり子の評伝である。十三章からなり、一章一章にかなりのページ数を割いて茨木の詩そのものが載る。それが全然手抜きに感じない。後藤正治は茨木の詩をよく読みこんでいるし、文章そのものがたぶん影響を受けて簡潔にそして核心を衝いて書かれている。
去年の秋から今年にかけて文庫版の「言の葉」全三巻が刊行された。私はこれが茨木の全集そのものなのではないかと思っていたが、どうやら間違いだったようだ。茨木は生前全集を編むことを出し渋ったという。これも不十分、これも恥ずかしい……。そういって当初の全集の企画がずいぶん削られて自選集になった。それは、茨木の自身にたいする厳しさであった。茨木のそれは変わらぬ資質なのであった。事実、茨木の書いた総ての詩で、大げさに書いたり、事実でないことを書いたりしたことないと私は確信した。君が代に対しては「私は立たない 座っています」もそうであるが、「ビデオデッキがない/ファックスがない」し、夫安信に対する純愛も「一人の男(ひと)を通して/たくさんの異性に逢いました」し、「じぶんの感受性ぐらい/自分で守れ/ばかものよ」の厳しさも、真っ正直に自分を律しているのである。
天皇のこの発言に関して茨木は「四海波静」を書く。「戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねます/思わず笑いが込みあげて/どす黒い吐血のように/噴きあげては 止り また噴きあげる(略)野ざらしのどくろさえ/カタカタと笑ったのに/笑殺どころか/頼朝級の野次ひとつ飛ばず/どこへ行ったか散じたか落首狂歌のスピリット/四海波静かにて/黙々の薄気味悪い群集と/後白河以来の帝王学/無音のままに貼りついて/ことしも耳をすます除夜の鐘」茨木にしては、きつい表現である。それほどに戦争は茨木の原点だった。「私が一番きれいだったとき」への自分自身への厳しい想いを生涯持ち続けた。ただ、この詩に関しては、天皇よりも矛先はあまりにも反応がなかった「群衆」に向けられている。どうして狂歌のひとつも出てこなかったのか、この問いは実は現在にも続く問いである。ふと思い出す。私も天皇死去の際のマスコミ報道に疑義を抱いて当時働いていたところの機関紙に「もう二度と元号は使わないだろう」等々の詩を載せてもらったことがある。私にはお咎めはなかったが、機関紙担当者は大目玉を食らったらしい。それはそうと、私はその後結局元号はどうしても使わざる得ないときには使ってしまっている。茨木さんのように、自らの発した言葉を練りに練って責任を持つということは出来ていないのである。
意外な一面に、買い物をするときには、服なんかは「私これにするわ」とあっさりスパッと決めるらしい。私の買い物は、たいていはああでもないこうでもないと、時には半年か、PCなどの高額になると三年以上買おうかどうか迷うのと対照的である。
茨木の気質は厳しさであるが、もうひとつの気質は初々しさだという。「汲む」という詩で「夕鶴」の山本安英に影響された経験を詩にしている。「初々しさが大切なの/人に対しても世の中に対しても/人を人とも思わなくなったとき/堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを/隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました」と山本に言われそれが生涯の気質になった。「すべてのいい仕事の核には/震える弱いアンテナが隠されている きっと……」
Yー夫の安信への愛情は、終生変わることはなかった。それは茨木の死後刊行された詩集「歳月」の中に詰まっている。この評論の中に、茨木の未公開日記の本の一部が紹介されている。それを読んで「なんて美しい日記なんだ」と思った。引用を始めたら膨大な量になるので省略する。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
サクサク読める評伝。
ゆかりの人が健在のうちに、評伝をまとめてもらえると
読者は嬉しい。
でも、ご本人は照れくさいかもねw -
「清冽 詩人茨木のり子の肖像」後藤正治著、中央公論新社、2010.11.10
270p ¥1,995 C0095 (2021.11.21読了)(2021.11.12借入)(2011.09.20/6刷)
【目次】
第一章 椅りかからず
第二章 花の名
第三章 母の家
第四章 根府川の海
第五章 汲む
第六章 櫂
第七章 Y
第八章 六月
第九章 一億二心
第十章 歳月
第十一章 ハングルへの旅
第十二章 品格
第十三章 行方不明の時間
あとがき
☆関連図書(既読)
「詩のこころを読む」茨木のり子著、岩波ジュニア新書、1979.10.22
「ハングルへの旅」茨木のり子著、朝日文庫、1989.03.20
「おんなのことば」茨木のり子著、童話屋、1994.08.17
「うたの心に生きた人々」茨木のり子著、ちくま文庫、1994.09.21
「倚りかからず」茨木のり子著、筑摩書房、1999.10.07
「一本の茎の上に」茨木のり子著、ちくま文庫、2009.07.10
「特別授業『自分の感受性くらい』」若松英輔著、NHK出版、2018.12.30
(「BOOK」データベースより)amazon
凛としたたたずまい。「椅りかからず」に生きた女流詩人の生涯。初の本格評伝。 -
『自分の感受性くらい』で、自分を律する覚悟にうなだれるしかなかった衝撃でした。石垣さんとともに、私にとって大切な詩人でした。詩人の評伝の第一の資料は、その作品ですが、著者はそのむずかしい評伝化を、とても上手に愛情をもって美しく伝えてくれました。清冽と品格を生き切った、美しい生涯でした。その詩集をいつまでも、大切にしてゆこうと思います。
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詩人、茨木のりこ。
何となく知っていた程度のこの人物、確固たる意志をもった
とても強い人でした。
表紙にもあるけど、「凛とした」という表現がぴったりな
素敵な女性。
根底には、反骨の精神。
とある音楽界で、国歌斉唱となった場面。
「今日、私は音楽を聞きに来た。私は立たないけど、あなたたちは
好きにしなさい」と言い切れる強さ。
ただ著者の後藤さんは好きだが、どこと言う訳ではないけど
物足りなさが残ったのも正直なところ。
何故だろう・・。
詩は理解できないと思っているのか敬遠気味だけど、
本書で出てくる詩ならば、はっきりと理解でき、そして
面白いと感じることができた。 -
戦後‥といつから聞かなくなっただろう。
戦中戦後を生きた人が君が代や天皇を拒否するのは理解できる。だが、今の日本の取り巻く状況を見て、どんなことを言うのだろうか。
相変わらず、姿勢を正しているような、”清冽”な後藤正治さんの本でした。 -
神保町の東京堂書店というのは、ぼくが一番好きな本屋だ。1階の平積みのところで多くの本に出会った。東京堂で出会った本には、後に、ぼくの中で、ある意味特権的な場所を占めるようになったものが多い。坪内祐三に出会ったのも、平出隆の詩集に出会ったのもこの本屋だった。
土曜日、いつものように散歩がてら、立ち寄った東京堂書店で、前から気になっていた茨木のり子の評伝、後藤正治「清冽;詩人茨木のり子の肖像」を買った。
「倚りかからず」や、「詩の心を読む」など、広い読者を持つ、茨木のり子のResilientで繊細な人生を静かに描いている。
《もはや/できあいの思想には倚りかかりたくない/もはや/できあいの宗教には倚りかかりたくない/もはや/できあいの学問には倚りかかりたくない/もはや/いかなる権威にも倚りかかりたくない/ながく生きて/心底学んだのはそれぐらい/自分の耳目/自分の二本足のみで立っていて/なに不都合のことやある/よりかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ》
1926年(大正15年)生まれの茨木のり子は、昨年の雛祭りに88歳で亡くなったぼくの母親とほぼ同世代である。ある種のリベラルとしかいいようのない、共通する気質を、後藤が描き出す茨木のり子の人生の中に感じた。
天皇の戦争責任の対する発言への憤懣のようなもの、直接的な戦後左翼的物言いとは違った屈折。
《戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねます/思わず笑いが込みあげて/どす黒い笑い吐血のように/噴きあげては、止まり、また噴きあげる》(茨木のり子)
静かな、小さな本である。しかし、その端々に、ノートに書き取っておかずにはいらなれない気持ちを揺さぶるような言葉が溢れている。そのあとに、その感情を誰かに伝えずにはいられなくなるタイプの書物だ。
読む人それぞれに、さまざまな想いを喚起するのかもしれない。
僕は、茨木のり子の最期とその予め書かれた遺書に、6年前の冬の朝、一人、天に戻った父が重なりあった。僕の父は葬儀は密葬で、戒名はいらないと克明に、自分の後始末について指図して逝った。
茨木のり子の別れの手紙。
《「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか・・・。深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて頂きます。ありがとうございました。》
一つの言葉、一つの意味、一つのエピソードに要約して済ますことはできない。読み手次第で、違った方向へと新しいベクトルが生まれてくるタイプの本だと思う。 -
天声人語で紹介された『倚りかからず』以降の読者という著者が追った、茨木のり子像。その適度な距離感がこころよい。
夫はのり子を理解する上等の男だったが、残念なことに早逝した。死後出した詩集は「もっと自分を出して」と言っていた「櫂」の仲間、谷川俊太郎の高い評価を受けた。
「六月」という好きな詩があるのだが、なぜ六月がタイトルになったかわかる気がした。岩波ジュニア新書の『詩のこころを読む』は名著だが、夫の死後、心を傾けて書いたと知った。再読したい。 -
「二十歳のころ」からもたくさん引用していただいて嬉しい。