春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (123ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120042614

作品紹介・あらすじ

被災地の肉声、生き残った者の責務、国土、政治、エネルギーの未来図。旅する作家の機動力、物理の徒の知見、持てる力の全てを注ぎ込み、震災の現実を多面的にとらえる類書のない一冊。

感想・レビュー・書評

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  •  2011年は本を読まなかった。
     正確に言えば、まったく読まなかったわけではないが、ゆっくりと本(特に小説)を読む気分になれなかった。
     東日本大震災。
     3月11日以前と以後では、それこそ、戦前、戦後のように一つの時代が終わり、新しい時代が始まったかのように思えてくる(個人的には、もう一つ、時代が代わったものがあるのだが、それは後で)。
     久しぶりの本についての文章。ならば、そういう年に読んだ、そういう本を取り上げていこう。
     
     『春を恨んだりはしない』。
     サブタイトルが「震災をめぐって考えたこと」。
     作家の池澤夏樹が、震災のいくつかの面を、長めのコラム、エッセイというかたちで記している。
     表題は、ヴィスワヴァ・シンボルスカという詩人の詩から取られている。
     著者は、詩人が夫を亡くした後で書かれた作品だと紹介し、こう続ける。
     「この春、日本ではみんながいくら悲しんでも緑は萌え桜は咲いた。我々は春を恨みはしなかったけれども、何か大事なものの欠けた空疎な春だった」
     まさしく、そういう春だった。
     震災から半年経って発行されたこの本を読み、私にもあらためて、震災について考えるスイッチが入った。

     思考のスイッチが入る、ということであれば、写真は、代表的な起動スイッチになる。
     こたつのテーブルをはさみお互いを見つめている二人(?)の写真。家の飼い猫・ピッコロと母の姿だ。
     今、この文を書いているとき、一方はおり、一方はもういない。
     母は、この秋、入院して三日目にあっけなく亡くなってしまった。
     後付(こういうときなのに麻雀の話をする)になるが、震災はまた特別な意味を持った。

     話を春に戻す。
     4月、私は、被災地へ向かった。何がやれるわけでもないのだが、何かをしたい、という気持ちで、いても立ってもいられなくなった。
     数日前に震度6強の余震があったので、存命の母に「なにも敵の真っ只中に行かなくても」と言われる。
     数少ない、母の名言である。
     少々びびりながら向かった先は、宮城県石巻市。
     やれたことは、被災宅の家具の運び出しや泥出しのボランティア活動。
     石巻の街、海に近づくほど被害がひどくなる。がれきの山。横倒しになった車。一階がすべて波に持っていかれた店舗。そこに漂う磯の香り。
     避難所になっている学校のグラウンドには、自衛隊と米軍の姿。
     もし、地震と津波のニュースを見ていない者(そんなヤツいるのか)をいきなりこの場所に連れてきたら、「今は、昭和何年?」と思うかもしれない。
     滞在二日目、派遣先での作業は、家屋と庭の泥出し。というか、近くの製紙工場から紙パルプが流れ出し、それが固まってたいへんな状況になっていた。
     お宅の台所でなかなか、はかどらない泥というか紙パルプ出しをスコップで行っていると、食器に混ざってある物を見つけた。
     ネコ缶。キャットフードの缶詰。
     顔を上げると、壁に子どもの描いたネコの絵が貼られている。しかも名字入りでネコの名前も。
     それから、作業に対する気持ちが1段上がった。ネコ缶は、ギアを上げるシフトレバーになった。
     午前で切り上げ、帰途に着くつもりが、4時間超過。台所が終わった後は、こびりついたパルプを庭木から取り続けた。
     帰り路、飯坂温泉共同浴場に立ち寄り、新潟に着いたのは、日付が変わる頃。
     母はすでに寝ていたが、ピッコロが出迎えてくれた。

     自宅から30分くらいの距離に山がよく見える公園がある。自転車でよく訪れるが、秋の晴れた日、それは見事に秋桜が咲いていた。
     青空に秋桜が映えていた。
     このとき感じたことは、まさに、「春を恨んだりはしない」と同じ気持ちだった。

     『春を恨んだりはしない』の著者は、この章の最後をこうまとめる。
     「来年の春、我々はまた桜に話し掛けるはずだ、もう春を恨んだりはしないと。今年はもう墨染めの色ではなくいつもの明るい色で咲いてもいいと。」
     そして、私はまた、いつものように本を読もう。

     
     

     

     
     
     
     
     

     

     
     

  • ぼくは,宮城県宮城郡に住んでいます。生まれ育ったのは石巻市。
    ということで,被災地の人間と言うことになるのだと思います。
    個人的には家族も全員無事,家も大きな被害はなし。でも職場にいた時に地震が来て,そこが避難所になり,ザブンとは来なかったもののじわじわと津波の水が来て,でもギリセーフで…。その後は被災者支援に多少なりとも関わった者としては,大好きな作家さんが震災後間もなく近くに来ていたことを知り,私たちのことを想い続けていると知るだけで勇気づけられました。
    数千万人の人が,大なり小なりの影響を受けたであろうあの震災。被災地にいればいろいろなことを聞きました。よいことも,そうでないことも。
    それでも希望を持って生きて行きたいと,当たり前ですが,思っています。気持ちに変化はありつつ,当たり前に生きて行けるぼくは,被災者の中では,まだ恵まれている方だと思っています。
    早く,みんなが,「当たり前」に生活できる日がやってくることを願っています。

  • 手に取って、読んで欲しい。

  • 文学者の池澤夏樹が今回の震災に対してどのような言葉を紡いでいたのかを確かめたかった。
    理学部出身の池澤夏樹が今回の震災と原発事故に対してどのような知見を持っているか確かめたかった。

    池澤夏樹は震災の当日、高知県の田舎で一報を聞き、仙台の親戚の叔母のために情報を集め、やがて23日には仙台に行っている。その後、何度も被災地に取材とボランティアで訪れる。行動する文学者の面目躍如であろう。

    しかし、その中で生まれる言葉はそれほど衝撃的なものはない。私たちの知見とそれほど変わらない。そのことを私はとりあえず、確認した。

    そうか、この数ヶ月の震災体験というのは、「国民的体験」なのだ。この数ヶ月、何を見て、なにを感じ、何をしたか、ということは、これからずっと先、何十年も先、語り継がれるべきことなのである。

    もちろん、所々はっとするような言葉はあった。

    それならば、進む方向を変えたほうがいい。「昔、原発というものがあった」と笑って言える時代のほうへ舵を向ける。陽光と風の恵みの範囲で暮らして、しかし何かを我慢しているわけではない。高層マンションではなく屋根にソーラーパネルを載せた家。そんなに遠くない職場とすぐ近くの畑の野菜。背景に見えている風車。アレグロではなくモデラート・カンタビーレの日々。

    それはさほど遠いところにはないはずだと、この何十年か日本の社会の変化を見てきたぼくは思う。(p97)

     これを機に日本という国の局面が変わるだろう。それはさほど目覚しいものではないかもしれない。ぐずぐずと行きつ戻りつを繰返すかもしれないが、それでも変化は起こるだろう。
     ぼくは大量生産・大量消費・大量廃棄の今のような資本主義とその根底にある成長神話が変わることを期待している。集中と高密度と効率追求ばかりを求めない分散型の文明への一つの促しになることを期待している。
     人々の心の中では変化が起こっている。自分が求めているものはモノではない、新製品でもないし無限の電力でもないらしい、とうすうす気づく人たちが増えている。この大地が必ずしもずっと安定した生活の場ではないと覚れば生きる姿勢も変わる。(p112)

  •  池澤さんが震災をめぐって考えたことが書かれている。題名は、ヴィスワヴァ・シンボルスカさんの詩の一節から。「…わかっているわたしがいくら悲しくてもそのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと」と続く。シンボルスカさんが、夫を亡くした後で書いたこの詩を池澤さんは、震災後の風景に重ね、本の題名にしたみたいだ。

  • 震災直後、しばらく新聞が読めなかったが、池澤夏樹さんが被災地を訪れた小さなコラムだけはなんとか読めた。それらを含めて、震災をめぐる様々なことを綴ったこのエッセイを読み、改めて津波に消えた人々や町を思い、原発事故のもたらした重大な課題を思い、これからのことを考えた。被災地に近いところにいるのだから、そこに寄り添って考えることだって、復興の妨げになるわけじゃない。むしろ、被災の及ばなかった地域にいるえらい人々が、1年2ヶ月前のことなどすっかり忘れたような顔して、未来の見えない恐ろしい計画を進めていることが怖い。震災が人間に残した課題はあまりにも大きいけど、それに何とか立ち向かうには、やはり最善の策を考えることにあるんだろうな。

  • 「震災の全体像を描きたかった」と言う著書が、さまざまな観点から震災を思い、訪ね、聴き、語る。こうした本は非常に個人的なものであるから、評価として星をいくつ、とつけるのにはためらいがあった。
    しかし、静かにつづられ、深い思いを読む者の心にまっすぐ届けるその語り口は非常に魅力的で、ここに星をつけて「評価」したいと思う。
    「それならば、進方向を変えた方がいい。『昔、原発というものがあった』と笑って言える時代の方へ舵を向ける。(…)アレグロでなくモデラート・カンタービレの日々。」
    それはさほど遠くないはずだ、と著者は言う。

  • 本当に、「昔、原発というものがあった」と言えるようになりたい。
    いつかなれるんだろうか?いつ、なるんだろうか?
    ならなければいけないんじゃなかろうか?
    この文章を読んでいると、そうそう荒唐無稽とは思えないのだけれど。

    東日本の大震災のあと、多くの作家はたぶん、言葉がなんの役に立つのか、作家に何が出来るのか、と自問自答したことだろう。無力だと思ったことだろう。
    誰にとっても、自分の無力さが身にしみた。
    そして、徐々に作家は言葉を持って立ち向かう。言葉に出来ないような悲惨を悔恨をそれでも言葉にして、忘れないように自身の心と人の心に刻む。
    前を向く。

  • 東日本大震災の全体像を捉えたいと、報道や現地取材を通じて筆者が「起き(てしまっ)たこと」と「そのあとに続いていること」に向き合おうとしたモノローグ。自分の生きている時代に起きたとてつもなく大きな天災と人災を機に、漫然と時を過ごすのではなくより良い社会にするために各人が出来る範囲でそれぞれに物事を突き詰めて考えて社会に働きかけるようにしたいのだ、ということを改めて提示しているようでした。震災のわずか半年後に発行された本ですが自分は読むのに9年もかかってしまいました。遅くなってしまったけれど、読んで良かったです。

  • 震災をきっかけに、世界が変わる。

    冷静で力強い意見。
    記憶は薄れるものだから
    風化させてはいけないと改めて思います。

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著者プロフィール

1945年生まれ。作家・詩人。88年『スティル・ライフ』で芥川賞、93年『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞、2010年「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」で毎日出版文化賞、11年朝日賞、ほか多数受賞。他の著書に『カデナ』『砂浜に坐り込んだ船』『キトラ・ボックス』など。

「2020年 『【一括購入特典つき】池澤夏樹=個人編集 日本文学全集【全30巻】』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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