読むとだれかに語りたくなる わたしの乱読手帖

  • 中央公論新社
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感想 : 8
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120042935

感想・レビュー・書評

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  • シンプルなイラストと、角背が端正な装丁。それに、タイトルが素敵。素晴らしい本に出会うと、ほんとにこう思っちゃうんだよね…という、大竹さんの書評エッセイ集。

    取り上げられている本は、海外文学にノンフィクション、言葉と、私が好きで読むジャンルが多いので、目次を読んでもアウェー感もなく、「あっ、これ読んでらっしゃるんだ!」となぜか嬉しくなる(笑)。とりわけ海外文学のラインナップは、クレスト・ブックスやエクス・リブリス、池澤夏樹選・世界文学全集など、ここ数年で話題になった、比較的手に取りやすいレーベルのものが多いと思いました。

    「あらがえない時間」「過ぎ去った時間に眼をこらす」という、章立てのネーミングが穏やかで魅力的。本を紹介する筆致は、どちらかといえばオーソドックスで淡々としており、「これを読め!」という熱さは感じないので、一見、物足りない印象は免れないかも。とはいうものの、感性の鈍いドライさではなくて、作品の運びそのものを、控えめながらも、ツボを外さず的確に記されているので、わりあい詳しく本の内容に触れられていても、「そこを書かなくても!」という反感を呼ぶ流れにはならないような。

    それは、自分の知らない世界に本を通じて向き合うときに、好き嫌いとは離れて(最終的に好き嫌いはあると思うけど)、ニュートラルでいようと努めておられるからかもしれません。そのせいか、むしろ、「ああ、そういう流れなのね、やっぱり読んで確かめてみよう」と、出版当時泣く泣く見送った(笑)作品のかずかずに、再び向かわせてくれるような空気を強く感じました。このあたりが、私が大竹さんの書評を好きな理由なんだろう、たぶん。

    個人的に印象に残ったのは、いくつか取り上げられている、写真集の書評。私は写真集を買い求めて読む(見る、のほうがいいのかな)ことがほとんどないので、写真に造詣の深いかたの視点というのは、正直な話、ちょっとわかりにくいところもある。でも、メインの被写体や、それと一緒に写りこんだ風景やものをたどれば、そこには文字で表すのと同じ世界が広がる。世の中を切り取る道具がカメラか言葉かという違いというだけで、写真家と小説家が見ているものは根本的に同じなのかもしれない…ということが、押し出しは強くないけど、繊細な言葉とともに伝わってきました。これからは写真集も「読んで」みようかな。

    熱い書評も楽しいけど、こういう穏やかで聡明な書評も素敵だと思うので、この☆の数。本屋さんによっては、「ボーナストラック」がもらえますので、そちらも!

  • 副題に「わたしの乱読帖」とあるように、著者が読み込んできたさまざまな書籍のレビュー集である。ほとんどは、紀伊国屋書店のブックウェブ内の「書評空間」に掲載されたもので、単行本化にあたり加筆・改稿が加えられたと「あとがき」にある。

    3冊から4冊ごとにインデックスがつけられ、12の章にまとめられたこのレビュー集で取り上げられた本は47冊。

    著者らしく、取り上げられている本は、新刊・旧刊、洋の東西を問わず、さらに小説からノンフィクション、そして写真集までをカバーするという広範囲ぶり。しかしながら、「乱読」と銘打ってはあるものの、どの本も大竹さんのアンテナで選ばれた魅力的な内容の本ばかりだ。

    写真家でもある大竹さんは、選ぶ本の中にも写真性を見出す。書かれてある文章の中に、定着されている時の流れを発見し、ふだんの目では見えないものを見つけ出していくセンスはさすがと言えよう。

  •  著者、大竹昭子さんには「読書メーター」をお薦めしますw。「読むとだれかに語りたくなる(わたしの乱読手帖)」、2011.10発行。沢山の本が紹介されています。読書意欲に駆られた本は: ①片岡義男「名残の東京」写真集 ②坂口恭平「隅田川のエジソン」ホームレス ③船曳由美「100年前の女の子」共同体の暮らし。

  • 人はなぜ読書をするのだろう?もちろん、本など読まずとも毎日の生活に困ることは何もないのだろうし、生涯のほとんどを本を読まずに送る人もいるのだろう。
    ふだんは意識していない自らへの問い、例えば「生きるということはどういうことなのだろう?」とか、「自分という人間はどんな人間なのだろう?」などということが、ふとした拍子に頭の片隅に生まれたとき、人はその答えを求めて、どうしようもなく本を求めるのではないか。
    ここにも、そんな問いを求めた人の確かな記録がある。

  • 【請求記号】019.9||O
    【資料ID】91113273

  • 写真集の書評が良かったです。紹介されている写真集を見て行きたいです。
    ニューカラーという分野を初めて知り、ネットで調べると、確かにこんな感じの写真を見たことある、と思いました。

  • この人の名前の字面は、私のアタマの中で「料理研究家」となぜかごっちゃになるのだった(それは「村上昭子」や)。料理の人の名前みたいやと思いながら、たしか管啓次郎の本をたどっていくなかで、この大竹昭子という名をみて、図書館にあった新しい本を借りてきてみた。

    紀伊國屋書店のブックウェブ内にある「書評空間」で書かれたものを、本にするにあたって大幅に加筆改稿した、という文章が編まれている。この「書評空間」で著者の写真を見て、やっと私のアタマは「料理研究家」とのつながりを、リセットできた。

    このコラムは「好きなときに、好きな本を、好きな長さで書ける」そうで、その好きに書けるよさが、たしかにあるなあと思いながら読む。

    そして「読むとだれかに語りたくなる」というタイトルがまたいい。読むとだれかに語りたくなる本のことを、それぞれに書いたものをまとめたこの本もまた、"読むとだれかに語りたくなる"のだ。

    著者のことばも、著者が本から引くことばも、書きとめておきたくなるものがあって、そしてその本を読んでみたいと思わせるのだった。たとえば、

    ▼散歩の楽しさは歩いている最中にあり、その時間のなかに喜びが詰まっている。…私たちは、すぎに結論は何かと問うてしまうが、散歩の目的地を訊かないのと同じで、結論から解放されたときはじめて思考の楽しみを存分に味わえるのではないだろうか。(p.266…『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』)

    ▼実物より写真で見る方がずっと懐かしく、かけがえのないものに感じるという矛盾は、写真が私たちを現実から切断する作用を持っていることにも関わっている。…死んだものが見るものの意識のなかでよみがえるこの奇妙なトリックのせいで、写真に撮られたものはすべて「懐かしさ」を伴っているのだ。(p.180…『Showa Style 再編・建築写真文庫〈商業施設〉』

    ▼「9・11」と聞くと私たちはアメリカの同時多発テロを思い浮かべるが、ラテンアメリカではそのずっと以前から「9・11」は特別な日だった。一九七〇年、チリで世界初の選挙による社会主義政権が樹立するが、三年後に軍事クーデターで覆される。それが九月十一日だったのだ。(p.110…『精霊たちの家』)

    ▼「旅」という日本語はかつては「オン・ザ・ロード(路上)」の語感に近かったのではないだろうか。よそから来た人は目的がなんであれ、すべて「旅人」だった。沖縄の古老は出稼ぎに出ていたことを「旅に出てました」と言うことがあるが、そういう表現に接するたびに旅や旅行の意味が「観光」に傾いてきたのは最近のことだと思い至るのである。(p.31…『オン・ザ・ロード』)

    あるいは、本から引かれたことば。

    《驚くべきことをまのあたりにした人は、その事件を言葉に編み上げ、人に語るべきだと思う。目が覚めるような話を耳にした人は、その話を中継し、さらに語り直すべきだ。その連鎖にはもちろん数々の嘘や誤解がつけいることだろう。しかし少なくとも連鎖を続けてゆくこと、とぎれさせないこと、最終ヴァージョンの存在を許さないことが、人々の興味を対象につなぎとめ、つねに新たな見方や思いがけない知識を呼びこむことになる。》…『斜線の旅』

    《今となっては、物質的なもので執着するものはほかに何もない。守るべきものは、自分の魂と記憶なのだ。》…『エレーヌ・ベールの日記』

    《言いたいことなんてないんだけれど口は動かしたい。》…『漸進快楽写真家』

    写真の話があちこちに書いてあって(写真家の本や写真集がいくつかとりあげられてもいて)、それがおもしろかった。写真と時間のこと、写真と被写体のこと、写真と風景のこと、写真と視覚のことなど、私はなんでカメラをもってて、写真を撮ったり撮らなかったりするんやろと考えた。写真と映像の違いはどのへんやろとも。

    そして、タイトルと装幀を見て敬遠するのはあまりに惜しい、とまで書いてある『グローバリズム出づる処の殺人者より』は、たしかにとても自分で手にとりそうにないタイトルだが(著者もはじめはそうだったというが)読んでみたいと思った。

    (1/24了)

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。小説、エッセイ、ノンフィクション、批評など、ジャンルを横断して執筆。短編小説集としては、本書は『図鑑少年』『随時見学可』『間取りと妄想』に続く4冊目。人間の内面や自我は固定されたものではなく、外部世界との関係によって様々に変化しうることを乾いた筆致で描き出し、幅広いファンを生んでいる。
写真関係の著書に『彼らが写真を手にした切実さを』『ニューヨーク1980』『出来事と写真』(畠山直哉との共著)『この写真がすごい』など。他にも『須賀敦子の旅路』『個人美術館の旅』『東京凸凹散歩』など著書多数。
部類の散歩好き。自ら写真も撮る。朗読イベント「カタリココ」を主宰、それを元に書籍レーベル「カタリココ文庫」をスタートし、年三冊のペースで刊行している。

「2022年 『いつもだれかが見ている』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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