マカン・マラン - 二十三時の夜食カフェ

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 12314
感想 : 853
  • Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120047886

感想・レビュー・書評

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  • 今日、玄関先で、派手に転んだ。
    転んだのなんて何年振り??30年くらい振り??
    駐車場に生えた草に目が留まり、他が見えなくなっていた一瞬にコンクリートに足を取られていた(^^;;
    いつもならコケそうになっても体勢を立て直せるのに??何でやーーー!!!

    やらかした!
    両手で庇ったものの、肋骨をしこたま地面に打ちつけた(~_~;)
    不幸だ。歳だ。気分悪い(~_~;)


    と、そんなことがあった中読んだ本。


    フォロワーさんのレビューが良かったのでポチった一冊。

    ドラァグクイーンって言葉は、私は知らなかった(^^;;

    シャールさんというおかまさんが、昼間はドレスを売り、夜はお針子さんたちに賄いの為に始めたカフェを営む。
    シャールさんはドラァグクイーンだ。

    深夜に営業するこのカフェには、悩みを抱えた人が訪れる。

    シャールさんの素敵なトークと、愛情たっぷりのお食事に誘われた者は間違いなく癒される。


    一つの章が終わって、次の章に移る時、
    あら、またやっちまった。
    これ短編やん!!

    とがっかりしてしまったのだが、読み進めるとこの物語は短編でしっかりと繋がっていた。

    誰もがシャールさんの元に再び訪れるのだ。


    こんなお店が近くにあったら、ささくれた気持ちも一気に癒してもらえるのだろうなぁ。。。なんて読んでいたのだが、読み終わった私の気持ちも、妙に穏やかになっていた。

    シャールさん、とても素敵。
    シャールさんの元に集まるみんな、全員が素敵(*^^*)

    私も誰かを癒してあげられる存在になりたい。。。

    肋骨痛いけど、よい本だった。。
    心が温かくなったから、ちょっとだけだけど、肋骨の痛みが和らいだ(笑)

    • bmakiさん
      マミさん

      ありがとうございます(^-^)
      相変わらずまだ痛いですが、病院には行っていません(笑)

      ボキっとなるほど、ギュッとし...
      マミさん

      ありがとうございます(^-^)
      相変わらずまだ痛いですが、病院には行っていません(笑)

      ボキっとなるほど、ギュッとしてもらうの、何かいいですね(*´∇`*)

      あ、ボキっですもんね、いいわけないですよね。。。

      寝返り痛いですし、困るのがくしゃみができないことでしょうか。。。
      今日も何度もくしゃみに失敗してます(~_~;)
      2023/04/29
    • マミさん
      うふっ ☺️
      お大事になさってください。
      うふっ ☺️
      お大事になさってください。
      2023/04/30
    • bmakiさん
      マミさん

      うふっ が何だか素敵(*´꒳`*)

      あばら、大分良くなってきました♪
      大きく息を吸い込むとまだ痛いですが。。。
      マミさん

      うふっ が何だか素敵(*´꒳`*)

      あばら、大分良くなってきました♪
      大きく息を吸い込むとまだ痛いですが。。。
      2023/05/01
  • 『裏路地のそのまた奥。人ひとりやっと通れる細い道を分け入っていけば、その店は忽然と現れる。小さな中庭を持つ、古民家のような一軒家。中庭の真ん中ではハナミズキが丸い葉を茂らせ、その根元に「マカン・マラン」と記された、小さなスチール製の看板が立てかけられている』

    あなたは自分の”隠れ家”を持っているでしょうか?人目を避けた場所にあり、誰もが容易には訪れることのできない存在である”隠れ家”。それは、普段の日常に疲れた私たちが、いっ時の非日常を求めて訪れる場所なのだと思います。”隠れ家”を謳ったレストランは思った以上にたくさんあります。しかし、”隠れ家”を大々的に謳ったレストランを訪ねても、そこに非日常が待っているとは限りません。非日常を求める人たちで埋まったそんなお店は、結局のところ日常と何ら変わりない場所になってしまうからです。本当の”隠れ家”とは、そんな場所に辿り着きたいと心から願う人だけが行き着くことのできる場所。それは、万人にではなく、あなたにとっての”隠れ家”であるべき場所なのだと思います。そんな”隠れ家”を舞台にした作品がここにあります。『深夜にひっそりと開店する、知る人ぞ知る夜食カフェ』、それが『マカン・マラン』。この作品は、そんな”隠れ家”を止まり木として訪れる人たちの日常を古内一絵さんが優しく描く物語です。

    『最悪だ』と『今日何度目になるか分からない呟きを、また口の中で繰り返した』のは城之崎塔子。『ふいに背筋に悪寒が走』った塔子は『まずい。貧血だ』と『水たまりのできたアスファルトの上に膝をつ』きます。その時『あなた、どうしたの?』という声。『貧血ね。いいから、あたしのところで少し休んでいきなさい』と『安定感のある女性の腕に抱え込まれ』て『全身の力をひと息に抜』く塔子。『なあ、どうするんだよ。お前だって、対象者なんだぞ』『なあ、村田女史に、俺の分まで、口きいてもらえないかな』という声が薄れた意識に蘇り『冗談はやめてくれと、振り返ろうとした途端』意識を取り戻した塔子。『あら、眼が覚めたのね』という声。『そうだ。自分は、改札を出た直後に貧血を起こし、親切な女性に助けてもらった』ことを思い出す塔子。『白く塗り込んだ肌に、クレヨンで描いたようなアイライン』、そして『瞬きをするたびに、音が出そうなつけ睫毛』の目の前の人物。『この人は、女性、ではなくー。女装した、男性だ』と『すぐ傍らまで寄ってこられて、塔子はようやく理解し』ます。『気分はどう?ノンカフェインのジンジャーティーよ。体が温まるわ』というその人物に『視線を合わせれば、厚化粧の下に、隠しても隠し切れない、いかつい中年男の顔があった』という目の前の光景。『あなた、もしかして、ドラァグクィーンを見るのは初めて?』というその人物。『どうしたの?別に毒なんか入ってないわよ』と奥に行ってしまったその人物を見送り『ひと口飲むと、そのまますっと体の中に溶け込んでいくようだった』というその飲み物。『二十年勤める大手広告代理店で、早期退職者の募集が発表された』という会社のことを思い出す塔子。『雑念を振り払い、今は、なにも考えまいと』思う塔子は『自分には、まだやるべき仕事がある。それ以外は、考えたところで仕方がない』と思い至ります。『すみませんでした。ご迷惑をおかけして。本当にありがとうございました』とお礼を言って玄関を出て振り向く塔子。『そこには小さな中庭を持つ、古民家のような一軒家』がありました。『看板の上に”マカラ・マラン”という書き文字が見える』というそのお店を後にした塔子。翌日になっても『日頃感じていた頭打ち感に、「早期退職」という形でのとどめが刺されるとは』と相変わらずその四文字が頭から離れない塔子は、ふと携帯電話を昨夜の店に置き忘れたことに気づきます。『すぐさまインターネットに接続し、地元の駅名と飲食店で、検索をかけてみる』もヒットしないそのお店。『あそこは店ではなく、個人宅なのかもしれない』と翌日再び現地を訪れた塔子の前には『ダンスファッション専門店シャール』という看板がありました。『茫然とその看板を眺め』る塔子。その後出社した塔子は『夜には飲食店のように見えた店が、実は服飾店だとは思わなかった』と考えこみます。そんな時、直通電話が鳴りました。『ねえ、あなた、貧血のお嬢さん?』という『聞き覚えのある低い声』にハッと息を呑む塔子。そんな塔子が再び前を向く物語が始まりました。

    四つの短編から構成される連作短編の形をとるこの作品。共通するのは『マカンは食事。マランは夜。つまり、夜食という意味』のインドネシア語の名前を持つ『マカン・マラン』というお店と、そのお店を仕切るドラァグクィーンのシャールです。元々は服飾店というそのお店。『最初はスタッフのまかないのつもり』で出していた料理に『なぜだか常連さんがついちゃって』と『賄いカフェ』として現在に至るそのお店ですが『裏路地のそのまた奥。人ひとりやっと通れる細い道を分け入っていけば、その店は忽然と現れる』という謎めいた描写。そして『こんな商店街の一体どこに、”秘密の夜食カフェ”があるというのだろう』という訪れることのできる人が限られるイメージは、どこか村山早紀さんの”コンビニたそがれ堂”を思い起こさせます。もちろん、この作品はファンタジーではないので、あくまでイメージとしての話ですが、こういった謎めいたお店の設定は読書の好奇心を大いに刺激してくれることは間違いありません。

    一方でそんなお店で提供される料理は極めてリアルな描写で描かれていきます。幾つも提供される料理の中から『春野菜のキャセロール』をご紹介します。『熱いから、器には触れないでね』と提供されるその料理。『オーブンで仕上げた、グラタンのようにも、シチューのようにも見える』という冒頭の説明だけで寒い季節には興味深々です。『ぐつぐつと音をたてる煮込みの表面で、こんがりと焼けたチーズが黄金色の網を作っている』とさらに細かく見た目を説明した後『キャセロールっていうのはね、北米の家庭料理なんだけど、本当は暖炉で作る料理なの』とこの料理を全く知らない私のような読者にもこれだけで十分イメージを掴ませてくれます。そして『ひと匙掬って口の中に入れてみ』た塔子。『春野菜の優しい甘みが口いっぱいに広がり、塔子は思わずうっとりする』と夢心地な様子がリアルに伝わってきます。普段は夕食を抜きがちな塔子。『こんなに穏やかな味わいの料理なら、どんなに疲れきっていても喜んで受けつける』とその味に驚きます。そんな食の場面に古内さんは料理を描く他の小説にはない一つのエッセンスをこのように加えます。『今流れている曲は?』と聞く塔子に『それがドビュッシーの「アラベスク第一番」だと教えてくれた』シャール。『ゆるやかに流れるドビュッシーと、美味しい夜食と、ナイトドレスを纏ったマスカレードの仮面の博識なお喋り』という食の場面の描写。絶品の食に、ドビュッシーのアラベスクという優雅の極みを感じさせる音楽が加わったことで、その場面に一気に華やかさが生まれました。そんなリアルな描写に『いつまでも浸っていたい非日常』を感じる塔子の姿が目に見えるように浮かび上がってくるのを感じるこの場面。そう、美味しい食にはそれを演出する音楽が欠かせません。それを絶妙な選曲を持ってこんな風に描く古内さん。これによって、絶品の非日常の場面に続くその後の物語の説得力が増したように感じられました。

    そして、四つの短編では、そのそれぞれに主人公となる人物が交代し、それぞれに異なる物語が描かれていきます。それら主人公に共通するのは、それぞれの人生の中で苦悩し、この先の生き方を迷う人々の姿でした。器用に生きることができずに、一所懸命な日々の努力もなかなか身を結ばない彼等。そんな彼等が偶然にも行きついた『マカン・マラン』。そして、そのお店を切り盛りするドラァグクィーンのシャール。そんなシャールはそのお店を訪れる人たちに色んな示唆を与えていきます。社会の中で、会社の中でもがき苦しむ彼等に対して『この世界に、本当になにもかもから自由な人なんて、どこにもいないわ。誰でも、何某かの負荷を抱えて生きているものよ』と説くシャール。この作品を読んで柚木麻子さんの”アッコちゃんシリーズ”のイメージが重なるのを感じました。連作短編の中でふわっと登場する”アッコちゃん”は、書名に名前が掲げられても主人公ではありません。彼女に何らかの形で関わる人たち、やはり生きることに迷い、未来が見えなくなってしまった人たちに、彼等が再び前を向くきっかけを与えたのが”アッコちゃん”でした。この作品のシャールにそんな”アッコちゃん”の姿が重なります。しかし、この作品で描かれるシャールにはもっと深い影のようなものも感じました。そもそもがドラァグクィーンという立ち位置にあるシャール。そんなシャールも決して特別な人ではありませんでした。ひとりの人間として、『カミングアウトし、たくさんのものを失った』という過去を持ち、親にも絶縁されたというシャール。『それだけ多くの傷を負っているから、シャールは止まり木を作った』というように『たくさんのものを失った』からこそ、感じるものがあり、そんなシャールだからこそ行き着いた場が『マカン・マラン』でした。『そこでたくさんの人たちを休ませながら、自らをも守っている』というシャールの生き方。そして、そんなシャールと出会うことで、何かしらのきっかけを掴み、再び前を向いていこうとする塔子たち。柚木さんの作品も古内さんの作品も考え方としては同じ方向を向いていると思います。そのどちらにも心惹かれますが、古内さんのこの『マカン・マラン』にはシャールという存在が生む深い影を強く感じます。そして、影が深い分、結末に見える、もしくは主人公が見ることになる光がより眩しく感じられる、そんな印象を受けました。

    『そこに傷ついている人や、お腹の空いている人がいれば、必ず、美味しいご飯を食べさせる
    それが、シャールさんなのよ』という止まり木としての役割を果たす『マカン・マラン』。

    現代社会は疲労困憊した人々に溢れています。一所懸命頑張っても必ずしも報われるとは限らない世の中。自分の立ち位置を見失い、未来が見えなくなっていく、そして自信を失っていく。そんな苦悩の日々の中で、いっ時であっても羽を休めることのできる止まり木のような存在は、誰もが必要としている場なのかもしれません。そんな場として今日も『栄養と愛情がたっぷりつまった美味しい料理』を提供し続ける『マカン・マラン』。私も『裏路地のそのまた奥。人ひとりやっと通れる細い道を分け入って』、そのお店を探してみたい、そのお店に辿り着いてみたい、そしてそのお店で羽を休めてみたい、そんな風に感じたホッと心安らげる作品でした。

  • 美味しそうなお料理がサブタイトルになっているのにひかれて手に取りました。

    第一話 春のキャセロール
    第二話 金のお米パン
    第三話 世界で一番女王なサラダ
    第四話 大晦日のアドベントスープ
    の連作短編集です。
    タイトルの『二十三時の夜食カフェ マカン・マラン』が舞台です。

    一話はキャリアのあるOLの城之崎塔子、二話は中学校教員で店主のシャールの元同級生の中学教員柳田敏とその生徒で13歳の三ツ橋璃久、三話はライターの安武さくら、四話は「マカン・マラン」の店員のジャダこと黒光大輔と地上げ屋の小峰幸也のお話です。

    店主のシャールと店員たちは皆トランスジェンダーで、昼間はお針子をやっています。
    最初こそ違和感を覚えましたが、読んでいるうちに大変心地いいい物語となりました。

    私は三話のライターのさくらの話に一番共感を覚えました。
    いつまでたっても、契約のライターのさくらに「サラダはメインになれないなんて言うけどあたしはそうは思わないわ」とシャールは言って”世界で一番女王なサラダ”を供されますが、身体に滋養が染みわたりそうでとっても美味しそうでした。

    メニューは、”秋ニンジンと豆乳のポタージュ、トマトのゼリー、イチジクのバルサミコソース和え、オリーブのピュレ、水菜とアーモンドの雑魚和え、ごぼうとグリーンアスパラガスのマリネ、ブロッコリーとパプリカの甘酢和え、山芋とアボガドの山葵和え、胡桃のロースト”

    そしてさくらは、空っぽな自分を本当の自分の言葉で埋めてみたいと思うようになり、今までおざなりになっていた読書を再開します。
    私も本を読むのが好きなので、さくらの姿勢を応援したくなりました。

  • ドラァグクイーン=女装パフォーマー、早い話がオカマのシャール(本名:御厨清純)が営む、知る人ぞ知る夜食カフェ "マカン・マラン"(昼間は奇抜な衣装を売るダンスファッション専門店 "シャール" として営業しているのでちょっと紛らわしい)。

    シャールは、マカン・マランに迷い込んだ人々に、マクロビオテックに基づく癒し系のヘルシー料理を振る舞い、傷んだ心をほぐしていく。癒し系の連作短篇。「春のキャセロール」「金のお米パン」「世界で一番女王なサラダ」「大晦日のアドベントスープ」の4篇。

    こんなお店があったら夜な夜な通いたいな。

  • 路地裏にある小さなお店「マカン・マラン」。
    インドネシア語で夜食という意味。
    そこに集う人々は‥

    古民家風の一軒家、昼間はダンスファッション専門店の「シャール」。
    夜は不定期に「マカン・マラン」となります。
    店主は派手な化粧をした大柄なドラァグクイーンのシャールさん。
    訪れた人の顔を見て、体調に合う食材を選び、身体を癒やしてくれます。
    鋭い指摘を含んだ言葉も、穏やかに添えて。

    身体に優しく、美味しそうな料理の数々にうっとりして、気分が良くなります。
    女装のシャールさんが、かっては男らしく見える優等生だったというのも不思議なような納得のいくような。
    しっかりした人柄が全体を通して感じられるのです。

    不定期なために、幻の人気店として強引に取材をしようとする記者も出たり。
    店が地上げ屋に追い出されそうになったり。
    思わぬ事件で周りは波立ちながらも、そこは暖かな灯台のような光を放っています。
    続編も読まなくちゃ☆

  • 心の疲れ、体の疲れ、いずれにしても、その疲れを癒せるのは、食にあるのかも。旬の食材と丁寧な調理が、人々に届く。疲れた人達へ。そこには、作った人の過去も今も併せたスパイスが効いている。

  • 読友さんお薦めでマカン・マランシリーズを体験、心温まる話だった。夜食を提供する「おかま」のシャールさん。でも、「おかま」ではなくドラァッグクイーンと言わないと怒られる。シャールさんは店の看板を出さずに夜食を提供する。でも、いつ開店するかはシャールさんの都合次第。シャールさんは顔を見ただけで体調が分かり、夜食を勧め、体調を整えてくれる。中でも「半分豆乳のオイスターチャウダー」は読んでいるだけで食べたくなる。人の体調を気遣い、カタルシスにより人生を後押ししてくれるシャールさんの魅力と今後の展開が気になった!

  • 「世界で一番女王なサラダ」
    ⚫︎足りなければ満たせばいい、空っぽならば埋めればいい
    ⚫︎苦しかったり、辛かったりするのは、あなたがちゃんと心と頭で考えて、前へ進もうとしている証拠よ

    泣きそうになったのは、心に引っかかったから。
    自分で自分を大切にする


  • 過酷なストレス社会で磨り減った心を癒すには、ほっと気持ちの安らぐ料理がいい。
    そんな時にはマカン・マランに行こう。

    マカン・マランは夜の間だけ開く、隠れ家的なカフェだ。マカンは食事、マランは夜。2つを合わせて「夜食」となる。
    オーナーは見た目のインパクトがとにかくすごい、溌剌としたおかまだ。
    化粧をして、ピンクのウィッグをかぶり、スカートからはたくましい足がのぞく。
    シャールと呼ばれて、おかま仲間や常連客から親しまれる存在だ。

    マカン・マランには、たびたび仕事で疲れた人が迷い込む。
    シャールのようなおかまが出迎えるインパクトはかなり大きいが、彼女の作る料理は、食べたものをほっと落ち着かせる効果がある。

    ストレス社会で磨り減った心を癒すことができる料理は、
    食材の味を生かし、その人の体質にあわせた食材をチョイスする。
    「医食同源」の言葉が浮かんだ。食べることで体を治す食事は薬と同じ効果を持つ。
    薬膳料理のような食材の選び方に、シャールの観察力と気遣いに、お客さんの心は解かれていく。
    彼女の料理を食べて、心の内を吐露したくなる客は後を絶たない。

    だからマカン・マランは隠れ家として、ひっそりと常連客たちに支えられている。
    精神的に弱って助けを必要としている人の心の声を聞き、料理を通してそれを解消することができる。
    そんなシャールの料理を人々は求めて、マカン・マランにやってくる。







  • 深夜にひっそりと開店する、謎めいたお店は、知る人ぞ知る、夜食カフェ。インドネシア語で夜食という意味の「マカン・マラン」
    オーナーは、ドラァグクィーンのシャール。
    ありとあらゆる事情を抱えた人達が、人生の止まり木「マカン・マラン」にやってくる。

    シャールは、傷ついている人や、お腹の空いている人がいれぼ、必ず美味しいご飯を食べさせる。

    《春のキャセロール》
    がむしゃらに働き、早期退職勧告の候補になり、自分の生き方、働き方に、疑問を持つキャリア女性。

    《金のお米パン》
    ある日を境に、母親の手料理、ちゃんとした食事が、食べられなくなった男子中学生。

    《世界で一番女王なサラダ》
    希望のライターになったはなったが、契約ライターから脱皮できなく、仕事に夢を見いだせない女性ライター。

    《大晦日のアドベントスープ》
    濾胞がんに侵され、自分の命の長さを考え、お店の借地権を売る決意をする、シャール。
    手術をする彼女に飲んでもらおうと、彼女に助けられた人々が持ち込んだ素材で、心を込めたアドベントスープを作る。

    こんな、温かいお店が有れば、行ってみたいが、
    所詮、小心者の私は、お店の前を2度3度行ったり来たりした挙句諦め、トボトボと、帰る事だろう。

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著者プロフィール

1966年、東京都生まれ。映画会社勤務を経て、中国語翻訳者に。『銀色のマーメイド』で第5回ポプラ社小説大賞特別賞を受賞し、2011年にデビュー。17年、『フラダン』が第63回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選出、第6回JBBY賞(文学作品部門)受賞。他の著書に「マカン・マラン」シリーズ、「キネマトグラフィカ」シリーズ、『風の向こうへ駆け抜けろ』『蒼のファンファーレ』『鐘を鳴らす子供たち』『お誕生会クロニクル』『最高のアフタヌーンティーの作り方』『星影さやかに』などがある。

「2021年 『山亭ミアキス』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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