政治の理論 (中公叢書)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120049354

作品紹介・あらすじ

民主主義と自由主義は両立するのか。現代政治学の焦点の一つから、今日的な「政治」の意味が浮かび上がる。すべてが「資本」として流動化していく世界で、いかに資本主義と折り合いをつけ、どのように公共世界と私有財産を構築・維持していくか。これが「リベラルな共和主義」にとっての基本課題である。本書では、考察に必要な概念や論点に、歴史的・理論的な吟味を加える。まずは、フーコーとアレントの理論を足がかりに、そして、経済学、社会学の最新の知見を踏まえながら、実感の伴う政治の理解を目指す。

感想・レビュー・書評

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  • リベラル・デモクラシーについて、これまでの理解が「(a)資質や意欲についてはそれほど深刻に問ううことなく、ただ単純にすべての人に政治参加の機会、そのための手続的権利を保障することを眼目とするタイプ」であるとし、それに対置して「(b)すべての人に機会のみならずそれを十分に活用するに足る財産と資質を与えようとするタイプ」の「リベラルな共和主義」を提示する(p.248)。ただし、(a)(b)はそのスペクトルの広がりの中での、典型的極論である。すなわち、リベラル・デモクラシーにもう少し(b)にような解釈を与えれば生産的なのではないか、という提起である。

    そのような「リベラルな共和主義」を実現するために、有産者と無産者の非対称性を解消しなければならず、公的な制度の役割はそこにあるとする。しかし、有産者と無産者を区別する「財産」は、現代社会において有体物から無体物へ、実物ではなく金融資産(そして人的資本)へと「資本として「流動化」」している。そのような世界のなかで、アレント的な公共世界(それは公権力と私人をあわせて再編成された公共世界)と私有財産を、どう資本主義と折り合いをつけつつ構築・維持していくかが課題となる。

    僕にとっては難解であった。ただ、リベラル・デモクラシーのタイプ(a)言説が、どのように歴史的に形成されていったのか、という点に興味がある。あるいは、近代史のなかにタイプ(b)の「リベラルな共和主義」はどのような形で現れるのか(現れないのか)。

    また、アセモグル・ジョンソン・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』が、長期的な経済発展の要因は政治経済制度の違いにある、と述べているのを見て、これは読まなければという気になった。

  •  ここでの「政治」とは,対等な相互関係を取り結ぶといった感じのようだ。

     先進国のリベラルな市場経済と民主主義においては,有産者と無産者の間における力関係のように,対等な相互関係を築くことが難しくなっている。

     対等な相互関係を取り結んでいくためには,先進福祉国家でおこなわれているフローの再分配だけでは不十分であり,ストック形成の支援や,必要であればストックの再分配もおこなっていく必要がある。

     そうしたことを可能にするのが「リベラルな共和政」とのことだった。

     たぶんこのような感じだったと思うが,しっかり読みこめていない。そして「リベラルな共和政」が十分に理解できていない。。。

  • ほとんど投票にも行かないぐらい政治には興味がないが、政治思想の本にはわりと手を出す方だ。現実の政治にコミットメントしていないことに対する自分なりの代償なのかもしれない。

    結局のところ、現在でも西洋政治理論は古典的な共和主義の延長でしかない。プラトンやアリストテレスに始まり、ロックやスミスらに鍛えられ、それに本書で取り上げられるアレントやフーコー、マルクス主義者らによって批判彫琢されてきたといっても、それはまだまだ理想的な政治規範というには程遠く、せいぜいが封建主義や全体主義よりましだと言うぐらいのものだ。そもそもそんな理想的な政治と言うものがありうるのかも定かではない。

    現時点での到達点としてのリベラル・デモクラシーは大雑把に言って2極あるようだ。一つは、政策執行に重点を置き、異議申し立ての手続き的権利を保障するタイプ(初期ロールズ等)、もう一つは、参加の機会だけでなく共同体の議論などを通じてそれを十分に活用することを求めるタイプ(マイケルサンデルらコミュニタリアン)。
    前者は、手続きは万人に開けているといってもアメリカのように訴訟社会では結局は財産の差がものを言うし、後者は多様な集団の集まりにおいては意思決定の先延ばしにしかならないと言う批判がありうる。たとえば、東日本大震災の後、さっさと復旧工事の地均しを始めてしまうのがよいのか、全員の意見があうまで自治体主導で議論を行うのか。現実的にはそういった話になろう。

    面白いと思ったのは、ホッブスやロックのような初期の自然権の考え方では、公平平等な社会で蓄積された余剰生産物を贈与交換するところから市場的な取引が始まったと暗黙的に前提されているが、そうではなく不運不調による生産物の欠損が先に生じ、やむなく贈与返礼が行われるようになったのでは、という不均衡モデルの話である。不均衡からはじまる取引はもともと片務的で債権者が強い力を持ち、無産者には貸し渋るので無産者がなりあがれるチャンスは限りなく少ない。

    本書はそんなような基礎的な概念の考察、議論がねちねちと最後まで続くので重いが、丁寧に書かれているのでわりと読めてしまう。

  • 政治とはそもそも何なのか。アレント、フーコーを入り口に、政治の現代的な考え方を提示。リベラルな共和主義の可能性を展望する。

  • 【メモ】
    ・稲葉氏による、過去の著作における本書の位置付け。
    https://synodos.jp/politics/19362


    【書誌情報】
    著者:稲葉振一郎
    装幀:細野綾子
    出版社:中央公論新社
    シリーズ:中公叢書;
    刊行日:2017/1/18
    判型:四六判
    頁数:320
    定価:本体1700円(税別)
    ISBN:978-4-12-004935-4

    ◆民主主義と自由主義は両立するのかしないのか。
     現代政治学の焦点の一つから、現在における「政治」の意味が浮かび上がる。すべてが「資本」として流動化していく世界の中で、確固とした公共世界と私有財産を、資本主義といかに折り合いをつけつつ構築し、維持していくか。
     これが「リベラルな共和主義」にとっての基本課題だが、本書ではそれを考察する上で必要な要素を丁寧に洗い直してゆく。
     フーコー、アレントの理論を足がかりに、そして、経済学、社会学の最新の知見を踏まえながら、実感の伴う政治の理解を目指した斬新な論究。
    https://www.chuko.co.jp/sousho/


    【詳細目次】
    はじめに 003
        政治・政策・行政 4
        現代の政治理論における中心問題 6

    目次 [008-009]

    第一章 政治権力はどのように経験されるか 013
        「権力を振るう側」と「権力を振るわれる側」 13
        政治権力は「みんなのもの」 17
        「自然状態」という理論装置 19
        政治の主体と目標 23
        自由主義と民主主義は切り離し可能? 26
        立憲的国家論と市民社会論 29
        自由な市場経済を軸とした良循環 32
        独自の利害や理念で行動する「集団」 34
        圧力団体 36
        多元主義的政治理論 37
        独占と独裁――経済学とのアナロジー 039
        功利主義とカント主義 43
        人間の平等 46

    第二章 アレントの両義性 049
        「思想の冷戦体制」 49
        異様な政治思想 51
        西洋古典古代と政治思想の正統 53
        自由主義への懐疑――マルクス主義 56
        全体主義は西洋政治思想の帰結 59
        公的領域と私的領域 61
        アレントにとっての「社会」 62
        アレントの政治思想に意味はあるのか 64

    第三章 フーコーにとっての政治・権力・統治 068
        遍在する権力の発見 68
        フーコーが発掘した野蛮な言説 71
        〈統治〉という概念の系譜 74
        一八世紀末に起こった転換 76
        ロックの「統治」とフーコーの〈統治〉 78
        「政治」=「統治」/〈統治〉=「行政」 82
        フーコーのリベラリズム   85
        リベラルな統治の対象――「市民社会」 87
        アレントの「社会」とフーコーの「市民社会」 89
        「権力」の配置 91
        古典的な意味での「政治」の不在 94
        法的権力の特徴 96
        法的権力と統治理性 99

    第四章 自由とは何を意味するのか 102
        「他者を自由な存在として扱うとはどのようなことか?」 102
        積極的自由と消極的自由 105
        決定論的世界における自由意志 108
        言葉の典型的な用いられ方 110
        「自由な選択」とは 112
        自由とリベラリズム 114

    第五章 市場と参加者のアイデンティティ 117
        「政治」の内実 117
        経済活動を含む「政治」イメージの創出 119
        古典古代人のビジネス 121
        刑事訴訟と民事訴訟 123
        公共性――公私の区別を前提とした特殊な共同性 125
        四つの象限 128
        「政治」=「統治」の忘却 131
        ハーバーマス理論の限界 132
        小文字の「政治」の捉え方 134
        ハーバーマスの「市民的公共性」の意義 136
        リベラルな社会ヴィジョンの陳腐化 140
        閉じられた家政と完全競争経済   143
        市民的公共性と古典的公共性との対比 145
        市場における公共性の弱体化 147

    第六章 信用取引に潜在する破壊性 149
        債権債務関係 149
        債務者への権力行使 151
        格差、不平等の先行 153
        担保制度という抜け道 154
        倒産処理 156
        無産者への与信 157

    第七章 「市民」の普遍化 160
    7.1 「リベラル」な「共和主義」
        フローとストック 160
        「市場の失敗」再考 163
        万民の中産階級=市民化 165
        「政治」理解の組み替え 168
        社会主義の解体 171
        雇主と雇人との関係 174
    7.2 「市民」の拡張――概念と実態
        身分関係 178
        賤民とは 181
        複層構造の社会 184
        身分を割り当てる最後の力 186
        近代国家 188
        無産者の公共性理解 190
        「持たざる市民」 193
        近代的労働者階級 195
    7.3 有産者と無産者
        有産者と無産者の非対称性 197
        家的・身分的権威の論理 201
        商品ではない労働 203
        「人的資本」概念 205
        雇用における不定型な領域 207
        効率賃金仮説 209
        すべての市民を「政治」的な主体に 211
        産業民主主義の必要性と労働組合 212
        リベラルな共和主義の要求 214
        「社会問題」は「政治」の領分ではない? 217
        水平的再分配 218
        「政治」の「始まり」 221

    第八章 リベラルな共和主義と宗教 224
        共和主義の困難 224
        スミスの重商主義批判と、「市民社会」、「組合」、「国家」 227
        教育という介入 229
        公教育 231
        宗教の問題 233
        公共性の担い手としての宗教と、その問題性 235
        「政教分離」、「信教の自由」の本義 237
        世俗宗教としての政治イデオロギー 240

    第九章 リベラルな共和主義の可能性 242
    9.1 万人に機会が開かれた自己選抜
        リベラリズムが克服すべきもの 242
        リベラリズム、共和主義、デモクラシーの関係 244
        リベラル・デモクラシーの二つのタイプ 247
        実現可能性、持続可能性 250
    9.2 経済学的観点から 
        実証的政治理論としての政治経済学 243
        リベラル・デモクラシーの正当化論 257
        「制度と成長の政治経済学」 258
        民主政と統制経済の組み合わせは持続可能か? 261
        民主化の必要条件 264
        経済発展の最重要ファクターはガバナンス 266
    9.3 リベラルな共和主義は可能か 
        国家の枠組みを前提とした思考 269
        ナショナリズムが果たした役割 272
        公共財の「最適規模」 273
        雑多で多元的な世界像 276
        歴史的に例外的な現象 279
        政治についての自由な議論という歴史的奇跡 281

    第十章 政治の場 284
        共和主義の大前提 284
        「公的」、「私的」の指標 286
        至るところに 289

    あとがき(二〇一六年一〇月 稲葉振一郎) [291-299]
    詳細目次 [300-303]
    参考文献 [304-309]
    索引 [310-318]

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著者プロフィール

1963年、東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業。東京大学大学院経済研究科博士課程単位取得退学。岡山大学経済学部助教授を経て、現在、明治学院大学社会学部教授。 専門は、社会哲学。 著書に、『経済学という教養』(東洋経済新報社、増補版/ちくま文庫)、『「資本」論』(ちくま新書)、『「公共性」論』(NTT出版)、『社会学入門』(NHKブックス)『不平等との闘い』(文春新書)、『宇宙倫理学入門』(ナカニシヤ出版)、『政治の理論』(中公叢書)など多数。

「2018年 『「新自由主義」の妖怪』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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