死にがいを求めて生きているの

著者 :
  • 中央公論新社
3.76
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本棚登録 : 1778
レビュー : 164
  • Amazon.co.jp ・本 (473ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120051715

作品紹介・あらすじ

誰とも比べなくていい。
そう囁かれたはずの世界は
こんなにも苦しい――

「お前は、価値のある人間なの?」

朝井リョウが放つ、〝平成〟を生きる若者たちが背負った自滅と祈りの物語


植物状態のまま病院で眠る智也と、献身的に見守る雄介。
二人の間に横たわる〝歪な真実〟とは?
毎日の繰り返しに倦んだ看護士、クラスで浮かないよう立ち回る転校生、注目を浴びようともがく大学生、時代に取り残された中年ディレクター。
交わるはずのない点と点が、智也と雄介をなぞる線になるとき、目隠しをされた〝平成〟という時代の闇が露わになる。

今を生きる人すべてが向き合わざるを得ない、自滅と祈りの物語。

感想・レビュー・書評

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  • まだまだ頭の中をぐるぐるして、結局、わたしは最後まで読んでも「生きがい」と「死にがい」の違いがよくわからなかった。弓削後編のラストを読んだ日、なんだかいろいろなことを考えて、眠れなくなった。朝井リョウの作品に触れるのは、「桐島~」を読んで以来、映画で「何者」を見て以来です。
    雄介を中心として描かれる連作短編。最初と最後で、雄介の印象がガラっと変わります。

    ずっと苦手意識のあった作家さんでした。「桐島~」で最後まで物語の中心となる桐島が出てこなかったように、今回の作品でも、中心となる雄介が主人公となることはない。なんというか、朝井リョウは、こういう、雄介のような人物を描くのが、巧い。わたしが苦手意識をもっていたのは、これだ。常に、雄介のような目線でいる感じ。朝井リョウの作品はどこか、他を受け入れないような、そんな空気を感じてた。たとえば、学校で言うと、一人の先生(つまりは作者である朝井リョウ)がクラスの大部分のメンバーを引っ張っている感じで、そこにはついてゆけないメンバーが置いてかれてる、そんな感覚。けれどそれは、朝井リョウが描く、雄介的存在によって構成された、彼の描き方なわけであって、決して朝井リョウが雄介ではないのだけれど、どうしても雄介的存在が強すぎて、物語全体に空気として漂ってしまって、錯覚を起こす。

    亜矢奈の章あたりから、読んでいたら動悸が止まらなくなって、かといって読むことも止められず、むしろペースは上がる一方だった。この動悸はどこからくるのかな、て。それは、雄介の存在によって、どこか自分の大学時代、いや、学生時代そのものをせせら笑われているような、そんな気分にさせられたからだ。心の中を無遠慮に覗かれてるような、過去をほじくって、ぐじゅぐじゅにされているような感覚。帯で梶さんが「裸」と表現しているのはまさにこういう感覚だろう。

    生きるとは、なんだ。その答えのない問いを、みんな生きながら必死に考えてる。目的がないと生きられない人。自分の行動一つ一つに意味がないと生きられない人。人のために生きているようでいて、実は自分のために生きている人。そう、生きることに「原動力」がないと生きられないということ。この作品の時代「平成」という時代は、戦争がない、その点においては平和な時代だった。だから、無駄に考える時間が多くなった。ただ「生きている」ということに疑問を持つようになった。
    どこかで思う。自分にやりたいことがあってよかった、と。さらに言えばそれが社会貢献的であることに、安心した。これでわたしも生きてていいんだ、そう思えた。挫折を味わった時の、自分にはもう何もない、目標がなくなった、じゃあなんのために生きればいい、生きていることに何の意味もない、という焦り。生きていたいのに、生きている意味がない、というこの絶望。それをなんとか抜け出しても、その先にはまた別の辛さが待っていて、そしたら最近は、なるようになるかな、とか、楽しく生きようかな、とか、そんな風に考えられるようになって。とはいえ、それもきっと「生きる意味」とやらに向き合ったからこそたどり着いた自分の答えなのかもしれない。それはまさしく雄介の言う「それ言うの、生きる意味見つけてる奴らばっかなんだよな」に該当するのであって、自分が社会貢献的なことを仕事にしているからこそたどり着けた答えのような気もしてる。挫折を味わったとはいえ、やりたいことは変わらなかった。結局、誰かに、社会に、必要とされてないと、生きていてはいけない気がしてる。もし、自分に、この「やりたいこと」がなかったら。「やりたいこと」が、誰かのためになっていなかったら。この時代を、この人生を、わたしはどう生きているだろう。雄介のように、次々とターゲットを変えて、生きる意味を求めて、生きているのではないか。朝井リョウの作品は、こうして、苦手な雄介的存在と、同類と思わされるから、怖いんだ。動悸が止まらないんだ。

    それと。男だとか女だとか、社会的な性の役割に縛られている人たちは結構な数いて。作品の中にも出てくるけれど、女性は仕事をしなくても専業主婦って言えるのに、男性はヒモって言われてしまう。これまで、女性がジェンダーを訴える作品にはたくさん触れてきたけれど、男性作家が、男性の登場人物を通して描いているのは、すごく新鮮だ。「平成」という時代がクローズアップされた本作品は、社会の価値観が大きく変わっていく中を、必死にもがいて生きる姿が描かれている。けれど、結局いくら学校が競うことをやめさせたって、お遊戯会に主人公がたくさんいたって、人は人と比べる。
    この作品は、そのしんどさを認めた上で、それでも自分で自分を認めながら、人の数だけ存在する価値観を受け容れる、そんな時代であれ、と、祈っている。過渡期だった平成から、令和へ。

    もののけ姫が、観たくなりました。

  • 初、朝井リョウ。物心ついた頃からゲームやSNSがあって、ゆとり教育やら同調圧力があるのを当たり前の社会だと思って生きてきた世代の、それでも対立と和解をどう解決して行くのか、探って行く物語。のように思えた。納得できなかった。以下、なぜかを述べる。

    「俺は、死ぬまでの時間に役割が欲しいだけなんだよ。死ぬまでの時間を、生きていい時間にしたいだけなんだ。自分のためにも誰かのためにもやりたいことなんてないんだから、その時々で立ち向かう相手を捏造し続けるしかない」(398p)

    「自分のためにも誰かのためにもやりたいことなんてない」なんて、平成生まれのこの子は、どうしてそんな風に自分のことを思ってしまうんだろう。どうして、いつも誰かにどう見られるかが、何かの基準になるのだろう?こんなに若いのに、何を焦っているんだろう?丁寧にその心理を幼少の頃から辿っているはずなのに、やはり私にはピンとこない。

    組み体操のピラミッド存続問題やRAVERSや大学寮存続問題、無人島仙人問題など、現実にあった問題からモチーフを「強引に」自分のテーマに引き入れる書き方は、感心しなかった。揶揄はしていないが、あの事柄をある程度知っている人にとっては、揶揄されていると怒るかもしれないような書き方もあった。安藤くんじゃないけど、この作者に対しても「こうやって喋って満足するだけのおままごとはもう、終わり」にしよう、と言いたくなる書き方もあった。朝井リョウは何を焦っているんだろう? 自分に求められている「役割」を過剰に意識し過ぎているんじゃないか?こんな風にホントにあったことをなぞるならば、表層だけを見るんじゃなくて、「核」の部分を描いて欲しい。その表現、作者は、その部分で1番もがいているのかもしれない。そこは伝わってくる。でも、まだ足りない。決定的に何かが足りない。人気作家だけど、こんな感じならば、認めるわけにはいかない。

    • adagietteさん
      イイネ ありがとうございます。
      そうかぁ 厳しいですね〜 
      でも こちらの評もとても面白く読みました。なるほどなぁ ...
      私から見る...
      イイネ ありがとうございます。
      そうかぁ 厳しいですね〜 
      でも こちらの評もとても面白く読みました。なるほどなぁ ...
      私から見ると "息子” 年代の朝井リョウ。
      自分の外にあるものは綴れても 女子に比べて言葉でもって自分をさらけ出すことがあまりうまくないのが男性。
      まさに ”その部分で1番もがいている”点を 私は評価しました (^^) 
      2019/08/28
    • kuma0504さん
      本ぶらさんへ。
      ご返事遅れてすみません。
      そんな全ての世代にもある焦りもあったのかもしれませんが、この世代特有の焦り⁉︎それとも朝井リョウ特...
      本ぶらさんへ。
      ご返事遅れてすみません。
      そんな全ての世代にもある焦りもあったのかもしれませんが、この世代特有の焦り⁉︎それとも朝井リョウ特有の焦りも、あるように感じました。
      文学は細部が大事なので、やはり一読しないとわからないかもしれません。
      2019/08/29
    • kuma0504さん
      adagietteさんへ。
      コメントありがとうございます。
      男の子は、どうしても社会と向き合おうとします。
      私は基本的に、権力のあるものにつ...
      adagietteさんへ。
      コメントありがとうございます。
      男の子は、どうしても社会と向き合おうとします。
      私は基本的に、権力のあるものについては、風刺的に描いてもオーケーだと思っていますが、自分より弱い人たちを風刺的に描く、或いは表層的に描くことは慎重であるべきだと思っています。もちろん弱い人たちを批判的に描いてもいい。けれども、こんな小説では、少なくとも真摯に向き合うべきです。私は居酒屋の場面は現実にあったようにリアルに感じました。けれども、RAVERSや大学寮問題、無人島生活など現実にあった話を取り上げる時には、ネット情報からのみから判断したように感じました。ネットには情報が溢れていて、それなりに取捨選択する技術も持っている人はいます。作者も慎重に取捨選択したように見受けられます。けれども、それでも私は「浅い」と思いました。私が当事者ならばいくつかの点で「揶揄された」と感じたと思う。朝井さんは人気作家なので、力は朝井さんの方が上です。そういう描き方をするべきでなかった。そもそも現実あった問題から、小説に取り込む必要はさらさらないのです。
      朝井さんは、平成の子供の立場から平成の問題を描こうとしている。けれども、絶対上から目線になってはいけない。下から見た世界を描くべきです。でも既に朝井さんの立ち位置が、上にあるのならば仕方ない。一作で朝井さんを判断するつもりはありませんが、この本を読んだ段階で、私はそう判断しました。よっぽどのことがない限り、朝井さんの本を読むことはないと思います。

      長々とすみません。adagietteさんの意見ももっともだと思います。
      2019/08/29
  • 螺旋プロジェクト、平成時代の部。幼馴染の智也と雄介。アクティブな雄介とそれにしがたう智也。接する人たちはどうして二人が友達でいるか不思議に思う。競争しない学校生活、雄介は生きがいを求め様々なことに没頭する。智也が植物状態になったとき雄介は毎日お見舞いにくる。耳は聞こえる智也は雄介とのすれ違い、自分自身を振り返り、海と山の対立を振り返る。
    海と山の戦いの物語でもありながらも、心を注ぐものを熱く求める姿を描く物語であった。ゆとり世代とか席次の張り出し等競争をなくした世界の心の渦巻きを描き切っており読ませました、生きているという実感、無価値ではないんだと思う自分、その苦しみです。生きがいでもなく死にがいとまで言うくらいのもがき。大抵のものは揃い、競争相手を隠され、自分自身に向き合い、そして外に求め、平成の時代の息苦しさを描いた一冊でもあり印象に残る。結局、周りと自分を比べてしまう、他人を否定や攻撃をせずうまくどう折り合いをつけてゆくか。螺旋でもあるし一粒で二度美味しい(螺旋でなくても読み応えあり、螺旋でなくという感も)。

  • いやあ面白かった。伊坂幸太郎のシーソーモンスターを読んだ後だったので、尚更面白かった。平成の若者を描かせたらこの作者に敵うヒトはいないのでは。読んでいて感情移入してしまい本当に辛くなる描写も、螺旋プロジェクトに絡めたラストの畳み掛ける独白も素晴らしかった。

  • うまく言えないなぁ、何なのだろうかこの感覚は。
    自分たちが望む望まないに関わらず競争しない教育をうけてきた
    平成の若者の「生きにくさ」がこれでもか!と投げられてくる。
    もうちょっと楽にしていいよと言いたくなる私。

    両手に溢れる情報のどれを捨てるか、
    という取捨選択に
    どれも捨てられなくて迫られている感じもする。
    望む望まないに関わらず彼らは「生きがい」も「死にがい」も
    すでに持っているのかもしれない。

    しんどいなぁ、つらいなぁと思いながらグイグイ読まされた。

    「小説BOC」創刊を記念して始まった「螺旋プロジェクト」の作品のひとつらしい。
    そういえば、読友さんたちが
    創刊したときにこぞって読んでいたのを思い出した。
    そうか、これかぁ。
    1 歴史を超えて、「海」族と「 山」族の対立が繰り返される
    2 各作品に共通するキャラクターが登場する
    3 年代を超えた仕掛けがある
    4 最終的に、8作品が世界観を共有して壮大な歴史絵巻を織り上げる
    という壮大なものらしい。
    多分、全部は読まないけれど。

    「海」族と「 山」族という縛りのもと、うまく書くなぁと思った。
    でも、できればそんな縛りなしで読みたかったかも。

  • 螺旋プロジェクト
    なんていうのか、朝井りょうの小説はやっとできたかさぶたを、カリカリとはがす時の気持ちに似ている。また血が出てくるのに、痛くなるのはわかっているのに、それでもはがさずにいられない時の気持ちに似ている。
    自虐というのか、自罰というのか、自分を痛めつけずにはいられない気持ちを刺激してくる。
    そして、読み始めたときに感じていた風景と、読んでいる途中と、読み終わった後と、自分の見ているものの変質を意識させられる。
    「がらりと一転」ではなく「一気に世界が反転」でもなく、だけど世界は変わっているのである。いや、世界は変わっていない、それを見ている自分の目が変わっているのである。
    若者が「いきがい」を渇望する。よくあることだ。何かのために、誰かのために、一生懸命になる。すばらしいじゃないか。
    すばらしい?本当に?
    あたりまえのようにある若者の特権だと思っていた「生きがい」が、若者の首をしめ、生きることへの苦痛となり、あるいみ狂気じみてくる、その「生きがい」の正体に、私たち大人はそろそろ気付くべきなのかも。あぁ、これは若者だけの特権じゃない。大人も同じ道を強迫的に歩かされているのかも。誰に?そう、自分に。

  • 食べることに精一杯だった時代、誰が生きがい探しなどしただろう。
    自分の生きる意味なんて考えてクヨクヨと悩むのは、平和で贅沢な時代の副作用だ。
    ・・・そんなことはわかっている、わかっているけれど
    特に不平不満もない世の中で、生きていく意味を見つけるのは実はとてつもなくシンドイ。
    自ら不平不満を作り出し、わかりやすく
    戦う相手、競う舞台、賞賛をあびる活動で
    生きがいを得ようとする登場人物たちの心と行動が
    痛くて痛くて
    心がヒリヒリしてしまうのだ。

    今まで徹底して人と争うことを避けて生きてきたのになぁ、、、(きっと海族)
    見たくもない自分の心の中を見せつけられたような気がするのはなぜなんだろう。。。

  •  朝井リョウの最新作(2019年3月)。
     本に挟まれていたチラシを見てビックリ。この本は,「螺旋プロジェクト」というものの一環(一巻)らしい。こんなことされると,他の人の作品も呼んでみたくなっちゃうじゃないか…。
     さて,本書は,堀北雄介と南水智也の不思議な友達関係を通して「生きがいとは何か」「自分らしさとは何か」などということについて考えてしまう内容となっている。二人のまわりに登場する人たちも,その「生きがい」に振り舞わされている用に見える。そして,ついに「読者のあなたはどうなのだ」と突きつけられる気分になってしまった。最後の最後まで「生きがい」を求めざるを得ない人間の性を感じた。
     当然,朝井リョウらしく,さまざまな登場人物が,いつの間にかつながっていく。時間軸も交錯するし…いやー,おもしろいおもしろい。 

  • ・朝井リョウさんて、何か頑張っているように見えて実は中身が空っぽな人間を書くのうまいよね。んでめっちゃえぐられる。

    ・自分と重なるところがあると悪い意味であー!!ってなる。大学生のとことくに。

    ・平成!って感じ。あーそんなんあったなって思うネタ多かった。

    ・お前はじめと全然印象変わるやん。あのセリフ感動したのになんやねん。

    ・海山伝説のほかの作品も読みたい気もする。

  • 人がどこにどんな生きがいを持つのかは、自由でそれぞれ違うはず。SNSで他人の生活が可視化され、承認欲求がより強固になった人も多くいるだろう。
    生き方の選択肢が広がって、分かりやすい生きがいは古い時代のものになった。それで苦しむ人もいるが、一方で楽に自由になった人も多い。

    本作はただの小説じゃない。一緒に悩んだり考えたりできる物語。鋭い言葉も投げつけられる。まっすぐに受け止めて咀嚼することで、良い体験が出来る本です。

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著者プロフィール

朝井 リョウ(あさい りょう)
1989年、岐阜県生まれの小説家。本名は佐々井遼。早稲田大学文化構想学部卒業。
大学在学中の2009年、『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー、後年映画化された。
大学では堀江敏幸のゼミに所属し、卒論で『星やどりの声』を執筆。2013年『何者』で第148回直木賞を受賞。直木賞史上初の平成生まれの受賞者であり、男性受賞者としては最年少。『世界地図の下書き』で、第29回坪田譲治文学賞受賞。
その他代表作に『少女は卒業しない』、映画化された『何者』がある。

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