死にがいを求めて生きているの

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 1654
レビュー : 140
  • Amazon.co.jp ・本 (473ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120051715

感想・レビュー・書評

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  • まだまだ頭の中をぐるぐるして、結局、わたしは最後まで読んでも「生きがい」と「死にがい」の違いがよくわからなかった。弓削後編のラストを読んだ日、なんだかいろいろなことを考えて、眠れなくなった。朝井リョウの作品に触れるのは、「桐島~」を読んで以来、映画で「何者」を見て以来です。
    雄介を中心として描かれる連作短編。最初と最後で、雄介の印象がガラっと変わります。

    ずっと苦手意識のあった作家さんでした。「桐島~」で最後まで物語の中心となる桐島が出てこなかったように、今回の作品でも、中心となる雄介が主人公となることはない。なんというか、朝井リョウは、こういう、雄介のような人物を描くのが、巧い。わたしが苦手意識をもっていたのは、これだ。常に、雄介のような目線でいる感じ。朝井リョウの作品はどこか、他を受け入れないような、そんな空気を感じてた。たとえば、学校で言うと、一人の先生(つまりは作者である朝井リョウ)がクラスの大部分のメンバーを引っ張っている感じで、そこにはついてゆけないメンバーが置いてかれてる、そんな感覚。けれどそれは、朝井リョウが描く、雄介的存在によって構成された、彼の描き方なわけであって、決して朝井リョウが雄介ではないのだけれど、どうしても雄介的存在が強すぎて、物語全体に空気として漂ってしまって、錯覚を起こす。

    亜矢奈の章あたりから、読んでいたら動悸が止まらなくなって、かといって読むことも止められず、むしろペースは上がる一方だった。この動悸はどこからくるのかな、て。それは、雄介の存在によって、どこか自分の大学時代、いや、学生時代そのものをせせら笑われているような、そんな気分にさせられたからだ。心の中を無遠慮に覗かれてるような、過去をほじくって、ぐじゅぐじゅにされているような感覚。帯で梶さんが「裸」と表現しているのはまさにこういう感覚だろう。

    生きるとは、なんだ。その答えのない問いを、みんな生きながら必死に考えてる。目的がないと生きられない人。自分の行動一つ一つに意味がないと生きられない人。人のために生きているようでいて、実は自分のために生きている人。そう、生きることに「原動力」がないと生きられないということ。この作品の時代「平成」という時代は、戦争がない、その点においては平和な時代だった。だから、無駄に考える時間が多くなった。ただ「生きている」ということに疑問を持つようになった。
    どこかで思う。自分にやりたいことがあってよかった、と。さらに言えばそれが社会貢献的であることに、安心した。これでわたしも生きてていいんだ、そう思えた。挫折を味わった時の、自分にはもう何もない、目標がなくなった、じゃあなんのために生きればいい、生きていることに何の意味もない、という焦り。生きていたいのに、生きている意味がない、というこの絶望。それをなんとか抜け出しても、その先にはまた別の辛さが待っていて、そしたら最近は、なるようになるかな、とか、楽しく生きようかな、とか、そんな風に考えられるようになって。とはいえ、それもきっと「生きる意味」とやらに向き合ったからこそたどり着いた自分の答えなのかもしれない。それはまさしく雄介の言う「それ言うの、生きる意味見つけてる奴らばっかなんだよな」に該当するのであって、自分が社会貢献的なことを仕事にしているからこそたどり着けた答えのような気もしてる。挫折を味わったとはいえ、やりたいことは変わらなかった。結局、誰かに、社会に、必要とされてないと、生きていてはいけない気がしてる。もし、自分に、この「やりたいこと」がなかったら。「やりたいこと」が、誰かのためになっていなかったら。この時代を、この人生を、わたしはどう生きているだろう。雄介のように、次々とターゲットを変えて、生きる意味を求めて、生きているのではないか。朝井リョウの作品は、こうして、苦手な雄介的存在と、同類と思わされるから、怖いんだ。動悸が止まらないんだ。

    それと。男だとか女だとか、社会的な性の役割に縛られている人たちは結構な数いて。作品の中にも出てくるけれど、女性は仕事をしなくても専業主婦って言えるのに、男性はヒモって言われてしまう。これまで、女性がジェンダーを訴える作品にはたくさん触れてきたけれど、男性作家が、男性の登場人物を通して描いているのは、すごく新鮮だ。「平成」という時代がクローズアップされた本作品は、社会の価値観が大きく変わっていく中を、必死にもがいて生きる姿が描かれている。けれど、結局いくら学校が競うことをやめさせたって、お遊戯会に主人公がたくさんいたって、人は人と比べる。
    この作品は、そのしんどさを認めた上で、それでも自分で自分を認めながら、人の数だけ存在する価値観を受け容れる、そんな時代であれ、と、祈っている。過渡期だった平成から、令和へ。

    もののけ姫が、観たくなりました。

  • いやあ面白かった。伊坂幸太郎のシーソーモンスターを読んだ後だったので、尚更面白かった。平成の若者を描かせたらこの作者に敵うヒトはいないのでは。読んでいて感情移入してしまい本当に辛くなる描写も、螺旋プロジェクトに絡めたラストの畳み掛ける独白も素晴らしかった。

  • 人がどこにどんな生きがいを持つのかは、自由でそれぞれ違うはず。SNSで他人の生活が可視化され、承認欲求がより強固になった人も多くいるだろう。
    生き方の選択肢が広がって、分かりやすい生きがいは古い時代のものになった。それで苦しむ人もいるが、一方で楽に自由になった人も多い。

    本作はただの小説じゃない。一緒に悩んだり考えたりできる物語。鋭い言葉も投げつけられる。まっすぐに受け止めて咀嚼することで、良い体験が出来る本です。

  • 何者が好きな人は絶対この作品も好きなはずです。
    自身が心のどこかに秘めていて言葉にできなかったもやもやや厭な感情をいとも簡単に言葉にしてくれた。や、しちゃったって感じかな。意地が悪い。
    様々な人からの視点で堀北雄介と植物人間となった南水智也を追う。誰もがこの2人が仲がいいことに疑問を持つのに、堀北雄介は毎日のように親友の看病にきている。
    ほんと気持ち悪さと怖さしかなくて、ゾクゾクした。

    以下ネタバレあり

    雄介みたいな人いるし、雄介みたいな考え、自分の中でもどこかにある。生きがいをあんな風に探したりはしないけど、承認欲求の強さというか、ね…
    最後分かってはいたけども親友の看病を生きがいにした雄介が怖すぎて。また最初の章読み返しちゃったよ。やばいな。これを一冊の本にした朝井リョウ、普段なに考えてんだろとも思った。すごく好きでした。
    螺旋シリーズ気になるけど全部は読めなさそうだなー。。

  • 平成後半の時代感、空気感。
    承認欲求と生きがい(=死にがい)。

    構成と表現力に引き込まれました。

    『平成くんさようなら』は、本も書く人が書いたもので、こっちは本を書く人が書いたものという感じでした!

  • 生きがいがあって、それが他者や社会に向いている人。
    生きがいはあるけど、それが他者に向いてない人。
    生きがいがない人。
    私の生きがいってなんだろう。価値観の違いや他者との対立からは逃れられない世界の中なのに、オンリーワンは多様性を求められる今。どう生きるのが幸せなんだろう。

    考えさせれられました。
    平成最後に読んでよかった。

    ナンバーワンではなくオンリーワンを求められる平成の生き方って、楽しいようで大変なこともすごく多いのだなと。

  • 死にがい=居場所を求めて、わざわざ対立を”発見”しアジテートするという痛さ、そして割とすぐその底の浅さを見破られる若者(と一部中年)のヒリヒリする描写が凄いし、少年は勿論、少女の内面の描き方にさらに円熟味を感じる。螺旋プロジェクト(海族と山族が対立しているというバースもの)の1つだとは知らずに読んだけれども、他の本も読んでみようと思う引力があった。

  • 植物状態のまま眠る南水智也と、献身的に見守る堀北雄介という2人を軸に、その周辺の様々な人物に焦点を当て、過去から振り返っていくように物語が進んでいく。
    「生きがい」をテーマに、ふだんあまり向き合いたくないようなことに切り込んでいて、まさに朝井リョウの真骨頂ともいうべき小説。「安藤与志樹編」「弓削晃久編」を中心に、心にグサッとくるところが多かった。特に、本書の登場人物の一人である前田一洋が発する「自分の中にもいるんですよ、堀北雄介が。」というセリフが言い得て妙だと思った。
    一方、本書で出てくる「死にがい」という概念は、自分としては従来からそういう考えを持っていたこともあり、どちらかというと否定的というより、肯定的に感じるところがあった。

  • 久しぶりに寝るのも忘れて読んでしまったなぁ。
    自分なりに平成という時代を生きて思っていることがあって。たまたま朝井リョウさんのこの作品に関するインタビューを読んで、あぁ同じように感じてくれている人がいたんだ。と。そういう期待があったから久しぶりにハードカバーで書籍を買ってしまった。
    平成を育った感覚として、歴史教育、特に終戦に関する教育で、僕らはイデオロギー対立を骨抜きにされた。バブルの崩壊、その後の不景気を感じることで、僕らは競争と発展に限界があることを悟ってしまった。度重なる震災を経て、僕らは安定した生活もいつか消え失せる可能性に気づいてしまった。
    そうやって誰もが盲目的に信じることができる「大きな物語」が失われていくことをゆっくりと自覚していった世代だと思っていて。そういうことをインタビューでは違った表現で語っていると僕は思ったのだけど。それを踏まえてその世代の対立を描くと。正直かなりの期待で読んだ。
    読み終えての感想は、あぁどうもありがとうと。自分の感じるある種の閉塞感を、しっかり描いてくれたことに対する感謝を。前々から好きな作者ではあったけど、この作品でファンになったように思う。
    筆の技術もレベルアップしているように思う。最終章のひとつ前の章での試みも面白いし、描くキャラクターが少しだけ小賢しいのも好き
    大筋に関してもそうだし、キャラクターやエピソードについて誰かとこの作品について語りたくなってくる。そうしてその違いを確認したい。
    物語で描かれた虚無の化身のような人物は、これからどうなっていくのだろう。

  • このかたの名前はよく目にするが、
    初めて読んだ。いやー面白かった!!!
    各登場人物によって章が分かれており、
    皆がそれぞれ絶妙に関わりながら物語が紐解かれていく。
    この小説の感覚は、平和で飢えを経験していない
    所謂、恵まれた時代で生きるゆとり・さとり世代に
    刺さっているんでないだろうか?
    乾いていないし不足もないけど生まれたからには
    なにか他人に与えたい、影響したいと言う感覚。
    生きてていいんだよ、と他人によって肯定されたい、
    その中で自分自身でも肯定したい。
    各々に置かれた立場で結局自分の生を
    全うするしかないんだろうが、
    結局こんな感覚を抱くのはどうしてだろうか?
    時代だ、と片付けるには少し短絡的な気もする。
    と、珍しく小説で考えてしまった。

著者プロフィール

朝井 リョウ(あさい りょう)
1989年、岐阜県生まれの小説家。本名は佐々井遼。早稲田大学文化構想学部卒業。
大学在学中の2009年、『桐島、部活やめるってよ』で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー、後年映画化された。
大学では堀江敏幸のゼミに所属し、卒論で『星やどりの声』を執筆。2013年『何者』で第148回直木賞を受賞。直木賞史上初の平成生まれの受賞者であり、男性受賞者としては最年少。『世界地図の下書き』で、第29回坪田譲治文学賞受賞。
その他代表作に『少女は卒業しない』、映画化された『何者』がある。

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