- Amazon.co.jp ・本 (267ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120053276
作品紹介・あらすじ
母は、わたしの恥部だった――
申し分のない夫・聖司と結婚し、〈ふつう〉の幸せになじもうとするも、にわかに体と心は夫を拒み、性の繋がりも歪になっていく――密かに声を殺して生きた子ども時代の〈傷〉に気づくとき、台湾の祖母、叔母、そして異国に渡った母の一生が心を揺らす。
夫と妻、親と子それぞれの〈過ち〉を見つめる心温まる長編小説
感想・レビュー・書評
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日本人の父と台湾人の母の一人娘である桃嘉は、思うようにいかない就活から逃れるように結婚する。
周りからは、理想的な夫で羨ましいと言われていたが…。
魯肉飯を一口食べたところで、こういうの日本人の口には合わないよ、ふつうの料理のほうが俺は好きなんだよね、という夫。
なんでも喋りあうのが理想的な夫婦とは言え、片方だけが一方的だと感じることが多め、こうなるともう無理なのかもと…
台湾人の母・雪穂は、異国の地で日本語も上手く喋れず心細い思いをしながらも頑張って子育てをしてきたが、娘の変化にどう声をかけてやればいいのかわからない。
悩みはあるのだろうが、上手く聞けないでいた。
遠い昔に雪穂の母が言ったことをたったひとりの娘に教えるのを忘れたいたことに気づいた。
「どんなに立派そうにしていても、あなたのことを大きな声で脅したり、叩いたり殴ったりすることで従わせようとする男のひとを好きになったらだめよ。
守ることと、力でねじ伏せることは全然ちがうことなのだから。」
日本人だからとか台湾人だからとかではなくて、信頼できるか素直になれるか優しくできるかだろうと思った。
娘を思う気持ちは親なら当然なのだが、苦しんで辛い思いをしているのを見るのは身を削るような思いだろうと感じた。
父と母がお互いを思いやり幸せなことに気づいたのは、父が日本人であっても魯肉飯をおいしそうに食べ三杯もおかわりをして祖母や伯母たちにこの人なら安心できると思わせたことだろうか。
要するに人柄なのだ。
思いやる気持ちなのだ。
最後は、桃嘉の笑顔が見れて良かった…
とても可愛らしいく静かな感じが漂う小説だった。
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愛する夫だけを頼りに台湾から遠い日本へとやってきた雪穂。
言葉も通じぬ異国での子育て。幼かった娘も成長するに連れ、他者と自身の〝ふつう〟の違いに戸惑い、日本人ではない母親(雪穂)を疎ましく思うようになり、冷たく当たってしまう。
母としての我が子に冷たくされたときの喪失感、哀しみといったらもうこれは親にしか分からないと思うのだけど、それが「日本人じゃない」からなんて、自分にはどうしようもないことが理由だと本当に辛い。
そんな娘の桃嘉に戸惑いながらも、自分のことは二の次に彼女に寄り添い支えようとする母としての姿がいじましい。
桃嘉もやがて大人になり、ままならない人生に悩み傷付くなかで、母の想いに素直に寄り添えるようになっていく。
夫とその周りの女の子たちというのが無神経なことに無自覚な、人を見下したいわゆるスクールカーストの1軍で構成されていて、桃嘉の居心地の悪さは容易に想像できた。
でもね桃嘉…母はもっと辛かったと思うよ。
我慢しすぎて良いことなんかひとつもない。
自分を大切にして初めて周りの人を大切にできるし、大切にされていることにも気がつく。
桃嘉が自分に正直になって、両親の想いに母への想いに辿り着いたとき、本当の意味で自分を大切にしてくれる人とも出会うんだと思う。
今年の22冊目 -
温又柔さんのお顔の写真はビッグイシューで拝見したことがある(No.379(2020/3/15号))。本の表紙のイラストをよく見れば、目や鼻のあたりが著者そっくりに見えるのは偶然だろうか?
著者は“台湾生まれ・日本語育ち”と書くように両親が台湾人で、台湾生まれだけど3歳のころ一家で東京に移住している。でもこの本の主人公「桃嘉(ももか)」の場合、父は日本人で母が台湾人。そして日本で生まれ育っているから著者とは少し違う。
しかし日本の日常に囲まれて生活を送る者として、母が話す母国語や手作りの台湾料理に何らかの距離感がついて回っていたのは共通しているのかな、と私は想像している。
一方で、親が台湾人であっても日本人であっても、自分にとって家族とともに過ごすうちにいろいろな思い出が溶け込んだ「心に残る家庭料理」っていうのは誰でも思い当たるのでは?この作品では台湾料理の「魯肉飯(ロバプン)」=ルーローハンがそれに当たる。
でも思春期のときの桃嘉は、母が作る魯肉飯を素直に受け入れられなかった。母が作る魯肉飯を日本料理らしくないといって敬遠するくらいに。
最近では“友達家族”も多いと聞くが、この物語はその点ではオーソドックスな母娘関係の微妙な距離感が描かれている。さらに母と娘との世代間の考え方のずれに加え、日本語を話せない母と日本語しか話せない娘とのずれという、この母娘の固有事情がブレンドされている。
母と娘の世代間ギャップと書いてしまうと「ありきたりの作品」だと思われる懸念が生じるが、20代で既婚者になった桃嘉と夫との関係の描写だけは、同世代からの共感も得ると思われるような現代的な男女関係として描かれる。でもこの2人の関係は魯肉飯の好き嫌いを発端に大きく変化していくのだけど…
ほかにも桃嘉を軸に、父や友人や、台湾に住む母方の祖母や伯母たちとの出会いや会話が、これまた魯肉飯を間にはさんでそれぞれの物語として展開していく。魯肉飯に対する思いは各人によって違うけど、台湾料理独特の八角などを使って作られる魯肉飯への思いが、そのまま台湾にルーツがつながる桃嘉に対する感情と巧妙に重ね合わせられているのが読むにつれてわかってきた。(だから魯肉飯を好みでないような言い方をした夫と桃嘉との関係は変化していく。)
最後に、いろいろあったけど、これも魯肉飯を間にはさんで桃嘉ともう1人の登場人物との関係が描かれるが、ハッピーエンドへの余韻を含んだ終わり方が好印象だった。
そして、読後、あえて台湾を直接的にイメージさせないかのような表紙の装丁を改めて見ると、私が冒頭で著者似?と書いたイラストの女性が、台湾女性であり日本女性でもある両方の美しさを表しているかのように見えてきたから不思議だ。
それにしても、私にも誰か魯肉飯をおいしく作ってくれないかな…自分で作ろっか… -
桃嘉と台湾人の母・雪穂、二人の視点が入れ替わりながら進む物語。
女性の心情を掬い上げるように丁寧に描いてある。上手い作家さんだと思った。
母の実家を一人訪れた桃嘉の章が良い。
淡水河の水面に輝く夕日。鳥のさえずりのような台湾語。美味しそうな魯肉飯・・光と音、色や匂いまでもが感じられて台湾に行ってみたくなる。
「ことばがつうじるからって、なにもかもわかりあえるわけじゃない。」
「だれといても、どこにいても、自分のいちばん近くにいるのは自分自身なの。だれよりもあなたがあなた自身のことをいちばん思いやってあげなくては。自分自身をないがしろにしながらひとさまのことを大事にしようだなんて、そんなのできっこないのよ」 娘を思う母親の気持ちが痛いほど伝わってくる。
自分らしくあるがままに生きていこうと決めた桃嘉が無性に愛おしくなった。
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なるほど。
学生時代から四半世紀、殆ど小説を読まずにいた。
かなりのブランクを経て、私小説を立て続けに読むと、時代が変わっていることに気づく。それでも、変わらないもの。ライフイベントと横文字で書くと軽薄になるが、生まれたり、死んだり、番ったり、離れたりということは、人それぞれでありながら、生きていればそれなりに訪れる。
彼女の書き振りが面白いのは、自身のルーツと親の話す言語を文字でありながら、音声化しているところ。微妙な響きが文字なのに伝わってくるところ。リズムとか韻とか言葉の上げ下げとか、語気とか。言葉の息遣いが聞こえる文学という点では、日本語は抑揚に乏しいずんべらぼんな言葉なんだと、改めて感じさせられた。 -
台湾が好きなので台湾メシや雪穂さんの実家が出てくるシーンが楽しめました。
ご飯食べたい!
就活に疲弊していたとはいえ、結婚に飛びついてしまった桃嘉はちょっと甘かったかなって思いました。
流されての現在があるのに、私の気持ちを分かって欲しいとはなかなかの察してちゃんだな〜そりゃあ良い様に扱われるだろうな…と。
まぁそれを加味しても聖治さんは微妙なパートナーだな。それが彼なりの夫としての愛情表現なんだろうけれど。
そして親にとっては子供っていつまでも小さいままなんだなってちょっと面映い気持ちになりました。家族に恥をかかせない様にって頑張ろうとする雪穂さんがいじらしい。 -
台湾出身の母と日本人の父をもち、日本で育ち、結婚した主人公と、その母を軸に展開する物語。
日本語がなかなか上達せず、想いがうまく伝えられないもどかしさを感じる母。
そんな母を恥ずかしく感じてしまう娘。
夫から何げなく振るわれる暴力や言葉に傷つきながら、
ゆっくりと自分を見つめていく。
家族の記憶、魯肉飯の香り。
自分目線になりがちな「ふつう」という価値観。
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台湾人の母、日本人の父親をもつ桃か。大学卒業後そのままエリートサラリーマンの聖司と結婚。でも浮気がちでタイプが異なり、桃かの体を大切に扱わない彼に対し、違和感を抱えて生活している。
そして母の雪穂。台湾から夫とともに来日し、娘の中学受験ではたどたどしい日本語で面接に臨む。
日本語が母語の娘とうまく意思疎通できず悩む。
文化や歴史、個人の葛藤がからみあい、大変読み応えのある本。近くてもよく知らない台湾という国が、より複雑さをもって感じられる。 -
個人の、家庭の、そして違う国の、それぞれの価値観が擦れ合っていく苦しさと、向かい合える幸せとを感じました。
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魯肉飯、ルーロー飯て、漢字を見ただけで美味しそう。台湾式にロバプンとルビがふってある。
台湾人の母をもつ桃嘉にとって特別な料理。でも新婚の夫、聖司のために張り切って作っても「こういうものよりもふつうの料理の方が俺は好きなんだよね」と喜んでもらえない。
物語は桃嘉と母雪穂の視点から交互に描かれる。
桃嘉は美術系の大学を卒業するも就職できず、逃げるように聖司と結婚して専業主婦になるが、しっくりいかない毎日。
最初の章は、桃嘉と聖司のぎくしゃくした結婚生活の描写が続き、正直読むのがしんどくて投げ出しそうになった。
こういうカップルは特に珍しくはないと思う。相性が悪かったのだと思うが、桃嘉の視点では、聖司と彼の家族、友人、同僚すべてが配慮の足らない思いやりのない日本人と決めつけているように見えて、確かに浮気するしひどい夫だが、彼女の被害者意識にもへきえきした。
母の雪穂も言葉の通じない日本で苦労しながら桃嘉に愛情をかけて育ててきた。夫で桃嘉の父、茂吉は優しく、妻子を大切にする人物で、唯一この父の存在に救われる思いがした。
最後は、聖司と別れ、新たな出会いもあり、希望の持てるラストで良かった。
やっぱり最後までヒロインに共感することはできなかったが、外国にルーツをもつ人が日本で生活するのは心細いこと。彼らの背後にある文化を尊重したいと思ったし、周囲のどういう言動が彼らを傷つけてしまうのか、想像力を持たないといけないなと思った。