遠くまで歩く (単行本)

  • 中央公論新社 (2025年1月22日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (368ページ) / ISBN・EAN: 9784120058769

作品紹介・あらすじ

コロナウィルス感染拡大のなか、小説家のヤマネは、『実践講座・身近な場所を表現する/地図と映像を手がかりに』という講座を担当することになる。
PCを通して語られるそれぞれの記憶、忘れられない風景、そこから生まれる言葉……。
PC越しに誰かの記憶が、別の新たな記憶を呼び覚まし、積み重なってゆく。
人と人とのあらたなつながりを描く長篇小説。

読売新聞連載、待望の単行本化。

感想・レビュー・書評

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  • ステイホーム期の小説家の一日を淡々と綴ったもの。いくらでも読めてしまいそうだったが、ちゃんと終わりが来た。好みでした。

  • 「思い出深い場所」を作品にするという講座の物語。コロナ禍で、本当にあったような講座だなと思う。オンライン開催という設定のせいか、まるで自分も参加者の一人のような気分で読んだ。
    みんなの作品に出てくる場所がノスタルジックなものが多くて、過去の記憶を刺激されまくった。
    特に似ているというわけでもないのに、その時代特有の雰囲気で、昔に引っ張られるのかな。
    懐かしい場所に行ってみたくなる…いや、行っておかなくちゃという気持ちになった。

  • 人の記憶や時間感覚は、思った以上に不正確なものであることを再確認させられる話。
    「遠くまで歩く」というタイトルは、距離だけでなく記憶の中の遠く(=昔の記憶)まで遡って振り返ってみるということ。

    本作では登場人物たちが身近な風景の写真と地図を基にして、そこにまつわる記憶や派生して考えたことを共有する会が開かれている。 
    記憶は記録しないと永遠に忘れ去られてしまうものも多い一方で、関連する映像や香りをきっかけに蘇ってくるものもあり、上述の会の参加者たちは改めてそのことに気付く。
    それでも、その記憶が実は他の記憶と混ざっていたり、実は最初に思っていたより随分前の時代の出来事であったと気付くこともある。

    本作は何か劇的な出来事が起きるわけではなく、先に先に読み進めようと急いでしまうと、単調に感じてしまうかもしれません。
    そのため、時間的に余裕があるときにじっくりと味わいながら読みたい作品です。
    映画や小説のような「作品」になると、鑑賞者はどうしても盛り上がる部分や「良い話」を期待してしまい、制作者側もそれに合わせた作品作りをしてしまいがちに思います。
    しかし、作中にも出てくるような記憶にまつわる日常の景色をじっくりと観察し、その対象が積み重ねてきた年月に思いを馳せてみると、些細な事柄から浮かび上がってくる思考は無数にあるように思います。たとえそれが劇的なものではなくても、誰かの心を動かしたり、共感を呼んだりすることは、大いにあるのではないでしょうか。
    記憶の中の「遠く」まで歩き、思索を深めることも案外楽しいことかもしれません。

  • 知らない道を歩く 柴崎友香|好書好日(2021.06.06)
    https://book.asahi.com/article/14365291

    柴崎友香 shibasaki tomoka(@shibasaki_tomoka) • Instagram写真と動画
    https://www.instagram.com/shibasaki_tomoka

    柴崎友香|note
    https://note.com/shibashibashi

    終了した催し
    ピーター・ドイグ展 - 東京国立近代美術館(会期2020.2.26–10.11)
    https://www.momat.go.jp/exhibitions/537

    Peter Doig
    https://peterdoig.com/

    遠くまで歩く -柴崎友香 著|単行本|中央公論新社
    https://www.chuko.co.jp/tanko/2025/01/005876.html

  • 『いくつもの人の流れが交差する通路を歩き、ヤマネはようやく家に帰る路線に乗り換えた。ホームに入ってきた電車に乗り込むと、こちらもほどほどに混雑していた。ちょうど目の前の席が空いたので座り、一息つく。慌ただしくドアが閉まり、電車は走り始めた。スマホを取り出して、「普請中」がいつ書かれたのかを検索した。発表は明治四十三年。一九一〇年だから、百年以上前になる。百年以上、東京は普請中なのか、と思うと、長距離を移動してきた疲れも相まって頭の芯がふらっと揺れる感覚がした』―『話すことを思い出す/次の春から夏』

    柴崎友香の風景というか情景描写がとても好きなのだけれど、その理由を突き止めようとすると言葉に窮する。ただその場の光景を言葉に置き換えているのではない。その視線の持ち主の心情がその景色をそのように見せているのだということが伝わって来るような書きぶり。デビュー以来、その筆致は変わることがない。

    それなのに、この、普段なら数日もあれば読み終えてしまうだろう一冊の頁が中々進まないのを何故だろうと考えながら読んでいた。そして、読み進めなくなるのは、主人公が参加するオンラインでの創作講座の部分だと気付く。参加者が発表する画像や映像を描写する文章で躓いてしまうのだ。ああ、心情なしの描写だと柴崎友香の文章といえどもすっと言葉が入って来ないのだな、と。

    本書は作家である主人公がコロナ禍の生活を過ごす、言ってみればヴァーチャルな人々との会話の前半と、ある程度自由に外出でき人とも会うことのできる後半とのコントラストが際立つ構成となっている。後半は、断然いつものこの作家らしい筆致で情景描写や会話が進むので、読んでいて楽しい。それに比べると前半は意図的かと思える程に色の無い世界の中で話が進む。例えば、オンラインの創作講座で発表される作品にモノクロの作品が多いのもそれを強調する。落ち葉の押し花を使う作品からも何となく枯れた葉の色が連想される。この作品は新聞の連載なので最初からそのように設計していたかは定かではないけれど、2023年からの連載時にコロナ禍での作家の実生活の中での心象を振り返り、それが反映されているのだろうと想像する。そして連載中に起きてしまった事象もまた、小説には投影されている。もちろん主人公の作家が柴崎友香本人だなどと野暮なことは言わないけれど、随分と重なる部分はあるし、独り言のような心情の吐露は作家自身の心の内を聞いているようでもある。それもかなり率直に思うことを語っているように聞こえる。

    後半も最後の方になって、作家が担当編集者に対して、たくさん人が登場する作品が書きたい、という場面が出てくる。それが、この本のことを湾曲的に示唆しているようでもあるし、そうでないようでもあるのだけれど(しつこく言うけれど、この主人公を作家本人ではないと思いながら読むのは実は中々難しい)、自由に外出できるようになってからオフラインで講座の参加者たちと玉川上水を歩きにゆく場面は、同時並行に幾つもの会話が進行していて、こういう作品を意図していたのかなと勝手に理解する。それは柴崎友香の作家としての可能性をいち早く見抜いた保坂和志の「カンバセーションピース」の最終場面とよく似た構図でもある。最もこの小説は、そこへ向かって収束してゆく訳ではなくて、むしろ自由になった世界の中で改めて理解する不自由さや不条理のようなものの存在を静かに語り、自分の身に引き寄せることが主題となっているような気がする。作家の静かな主張が確かに響いている作品だと思う。

  • コロナ禍の真っ只中、「思い出深い場所」をテーマに作品を作るというオンライン講座で出会った人たちとその後のお話。
    講座の場面、作品の羅列が多すぎてしんどかった。作品ひとつひとつはどれも興味深い内容だったのに残念。

  • なんとなーくなお話だけど、アイテムから由来を話すくだりは面白かった
    一瞬の感覚を伝えようとするお話。

  • 講座のところがめっちゃリアル。ホンマにあったことなんかと思ってしまう。天才か。

  • 文章を書く、とりわけ物語を書くというのは、自分の経験してきた事や感じてきた事の反映であり、それを伝えんがために文字に起こす、という事なんだろう。
    前半はささっとと読み進め、最終章はじっくり、少し落ちてくるものがあったかな。

  • たくさんの人が登場する、コロナ禍の名残の頃の話。リモートでイベントして、いろんな人と繋がっていた記憶が蘇る。
    写真で小説を書いたり、参加者の個性が見えてくる展開に、なぜか読み進みづらく。記憶にない作品の捜索もこちらの読むテンポが上がらず。多くのエピソードが、引っ掛かりになっていたかも。
    「フィフティ・ピープル」は韓国の多くの登場人物の話で、それぞれに少しの関係があるだけなのにサクサク読めたのだが。
    ラスト近くの立川のオフ会のような展開は、一気に読めた。このシーンのための助走だったから、前半の映像的な展開もやむなし。映像向きかも。

  • コロナ禍時代が舞台の小説。主人公には幾分柴崎さんの思いが投影されているような気がした。

  • コロナウイルスが蔓延し不要不急の外出は控えて欲しいと盛に言い出した時にオンラインでの講座開催の話しが前半の話しだったが小生にはどうも苦手だ!6話7話になってやっとホッとした。著者は多分猫大好き人かな?なんて思ったが?

  • 読売新聞夕刊に連載された長篇小説。始まってすぐは読んでいたが、すぐに止めてしまった。まとまった形で読んでも、うーん……となった。
    作家の森木ヤマネが過ごしたコロナ禍の日々を綴った作品だ。彼女が思い出せないいくつかのこと、ゲストとして参加した「実践講座・身近な場所を表現する/地図と映像を手がかりに」と題するオンライン講座、感染状況が落ち着いた頃の「遠足」などが、日常風景と共に綴られていく。
    中でもオンライン講座が曲者で、参加者たちの“作品”がとにかく退屈。作家としては一番の読ませどころなんだろうし、それぞれの人生や背景までも創造するのはすごいとは思うが。

  • 「コロナ禍」を懐かしむ気持ちは少しもないけど、あの時期特有の人との繋がりや交歓は確かにあった。

    それによく歩いた。
    歩いたことぐらいしか記憶にないくらいよく歩いた。
    しかも遠くまで。

    そんな時代の記憶や感情を後に残す貴重な作品だと思った。

    『その街の今は』をまた読みたくなった。

  • コロナ時期が舞台。オンラインでのワークショップを軸に話が展開していく。場所と人の記憶というテーマが分かりやすく前面に出ていてたと思う。
    川に沿って歩く場面も講座との対比でとても良かった。

  • ふむ

  • コロナ禍で失ったものを懐かしく思い出した。
    人と会うこと、みんなで集まること
    歩きながらの感じたことを言うことを
    思いついてできることの貴重さは
    コロナ禍があったから。
    オンラインで会ってたあの時と
    遠くまで歩ける今にはやはり隔たりがあるのだと

  • コロナ禍の世界、私は変わらず出勤していた。オンラインの仕事はたくさんあったけど同僚と毎日顔を合わせていた。オンラインの飲み会には一度も参加しなかった。家族がいれば人恋しくはならなかったせいなのかも。オンライン会議は苦手だった。そもそもこういう講座そのものが苦手なのか、ちっとも話に入っていけない。あ〜もうあんな事態には二度と遭遇しなければいいなという物語とは無関係な感想だけが残って読了しました。

  • オンライン講座の部分が退屈。

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著者プロフィール

柴崎 友香(しばさき・ともか):1973年大阪生まれ。2000年に第一作『きょうのできごと』を上梓(2004年に映画化)。2007年に『その街の今は』で藝術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞、2010年に『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞(2018年に映画化)、2014年『春の庭』で芥川賞を受賞。他の小説作品に『続きと始まり』『待ち遠しい』『千の扉』『パノララ』『わたしがいなかった街で』『ビリジアン』『虹色と幸運』、エッセイに『大阪』(岸政彦との共著)『よう知らんけど日記』など著書多数。

「2024年 『百年と一日』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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