フィレンツェ: 初期ルネサンス美術の運命 (中公新書 118)

著者 :
  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (219ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121001184

作品紹介・あらすじ

参考文献: 208-214p

感想・レビュー・書評

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  •  美術の黄金時代であったクヮトロチェント(1400年代)のフィレンツェ。しかし、世紀後半にはフィレンツェは政治的危機の中にあり、またルネサンスの栄光もローマ等に移ることとなってしまった。本書は、初期ルネサンスを華やかに彩ったフィレンツェ芸術の栄光と挫折のドラマを描いたものである。

     本論に入るに先立って、当時のフィレンツェを事実上支配したメディチ家の様相、そしてフィレンツェを取り巻く諸状況が簡潔に描かれる。特記されるのは、「祖国の父」と呼ばれたコジモとその孫ロレンツォ(豪華王)の2人。ロレンツォの晩年の頃には繁栄も終末に近づいていた。その要因としては、オスマントルコの東方支配に伴う経済的利益の喪失、終末観的思想の流行、フランス軍の侵攻等であり、これらの混乱の中からメディチ家の追放、サヴォナローラによる神権政治が行われるなどフィレンツェは大変動に見舞われた。

     続いて本題に入るのだが、先ず取り上げられるのは、サン・ジョヴァンニ洗礼堂のブロンズの門扉製作の依頼者選定のコンクールについて。最後まで争ったのはブルネレスキとギベルティの作品。ブルネレスキの作品の方がより”近代的”の表現力を持っていたのであるが、ゴシック的表現を残すギベルティが選ばれたこと=フィレンツェ市民の好みに合っていたことを、フィレンツェ美術の特質を示すものとして、著者はこの後何度も指摘する。

     次いで新しい様式を生み出した人物たちが紹介される。建築におけるブルネレスキ、彫刻におけるドナテルロ、絵画におけるマサッチオ。彼らの表現の新しさについては、著者の文章と挿入される写真によりなるほどと首肯されるところだが、しかし、彼らの人間的表現は、繊細さを好む当時のフィレンツェ人には必ずしも好まれなかったとされる。
     新しすぎた彼らではあったものの、フィレンツェではボッティチェルリを始め多くの優れた芸術家を生みではいたのだが、天才と呼ばれるに値する人材は1480年代以降フィレンツェから続々と流出して、戻ってくることはなかった。レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロいずれもしかりである。なぜこのような事態になってしまったのか、著者なりの見解が示される。

     15世紀フィレンツェ美術に対する現在の捉え方がどのようなものなのかは分からないが、刊行から半世紀以上経っているにもかかわらずその明晰な解説には納得させられるところが多い。
     フィレンツェを訪れて、その取り上げられた建築や絵画、彫刻等を直に見たいという欲望を起こさせる優れた入門書だと思います。

  • フィレンツェを旅行するにあたって、事前知識を少し頭に詰めてから行こうと思って手にとったのが本書だった。本書はフィレンツェ芸術の勃興と没落の要因について、わかりやすく考察している。政治的、経済的要因、さらにはフィレンツェ市民の気風によって、フィレンツェが新様式芸術の誕生の地となったが、それを成熟させるには至らなかった理由が詳細に描かれている。
    本書では、フィレンツェの歴史だけでなく、もちろん芸術家の話も多く登場し、そこでの絵画、彫刻、建築などについても幅広く見識を深めることができた。中でも最も印象的だったのが、サン・ジョバンニ洗礼堂の門扉作成の依頼を決めるためのコンクールの話。コンクールではギベルティとブルネレスキが争い、ギベルティがフィレンツェ市民の感覚に応える作品を制作することで勝利する。ブルネレスキの表現はまだ早すぎた。コンクールは市民が積極的に意見を述べることができるが、一般市民の平均的趣味が反映されるという特色をもたらした。結果的に彫刻家としてのブルネレスキの誕生を妨げ、桁外れな天才の登場を許さなかった。しかし、市民が芸術に関心を抱くことは、芸術の繁栄にとっては好ましいことであり良い面もあった。優れた天才を育てる場としてはフィレンツェは良かったが、天才に十分な活動の場を与えるには不十分であったと言える。その天才たちの傑作の多くがフィレンツェ以外の場所で生み出されたというのは皮肉な話だ。
    この話の他、万能の天才が多く誕生した理由も知ることができたし、この時代の絵画や彫刻などの見方も、より多角的な視点を持つことができた。
    ボッティチェリが描いた「ミネルヴァとケンタウロス」は実際に見たことがあるが、当時はなんとなく滑稽な絵にしか見えなかった。この絵の詳解は省くが本書ではルネサンスのユマニスト達の視点で捉えた「人間の条件」としてわかりやすく解説されており、すっと絵が描かれた背景を理解できた気がした。
    フィレンツェを芸術鑑賞で訪れる際の必読書であると言える。

  • フィレンツェの芸術、栄光と挫折。
    塩野さんの著作と併せて読むと面白いかも、です。

  • ふむ

  • フィレンツェがルネサンスにおいてどう特異的だったかをよく知ることができた。ありがたい。

  • フィレンツェの芸術の盛衰を通覧できる。
    イタリア旅行でフィレンツェに行く前に読んでおいたらよかった。旅行を一層楽しめたと思う。

  • ブロローグ 黄金時代
    政治的危機
    新しい芸術の誕生
    フィレンツェ芸術の栄光
    芸術とユマニスム

  • (1974.06.30読了)(1974.02.06購入)
    副題「初期ルネサンス美術の運命」
    *解説目録より*
    「アテーナイとともに、あらゆる美と真実の母であるフィレンツェ、フィレンツェこそはアテーナイ以後、人間精神に最大の貢献をなした都市である」(ルナン)。ブルネルスキ、ドナテルロ、マサッチオ等々、相次ぐ巨匠の排出によって、十五世紀のフィレンツェは美術の黄金時代を迎えていた。しかし世紀の変わり目にいたって、レオナルド、ポライウォーロ、ベロッキオ等の優れた芸術家の芽を育てながら、ついにその成果を実らせることなく衰退に向かい、盛期ルネサンスの栄光をローマにゆずる。このフィレンツェ美術の実相を究明し、芸術の運命について考える。

  • メディチ家~
    社会的背景がかかれている
    絵画より建築などの記述が多い

  • フィレンツェの栄光時代、ルネッサンスの栄光と転落について書かれた本。

    この本に書かれているけど、ドナテロの進んだ芸術は、当時のフィレンツェ市民には受け入れられなかったらしい。当時は評価されたのは、現代においてドナテロより評価の低い芸術家であった。

    芸術って、発表した時に賞賛されなくても、後から評価される場合があるから、どう考えていいか分からなくなる。

    うーん。

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著者プロフィール

高階 秀爾(たかしな・しゅうじ):1932年、東京生まれ。東京大学教養学部卒業。1954ー59年、フランス政府招聘留学生として渡仏。国立西洋美術館館長、日本芸術院院長、大原美術館館長を歴任。現在、東京大学名誉教授、日本芸術院院長。専門はルネサンス以降の西洋美術史であるが、日本美術、西洋の文学・精神史についての造詣も深い。長年にわたり、広く日本のさまざまな美術史のシーンを牽引してきた。主著に『ルネッサンスの光と闇』(中公文庫、芸術選奨)、『名画を見る眼』(岩波新書)、『日本人にとって美しさとは何か』『ヨーロッパ近代芸術論』(以上、筑摩書房)、『近代絵画史』(中公新書)など。エドガー・ウィント『芸術の狂気』、ケネス・クラーク『ザ・ヌード』など翻訳も数多く手がける。

「2024年 『エラスムス 闘う人文主義者』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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