無意識の構造 (中公新書 481)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121004819

感想・レビュー・書評

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  • ユング心理学。学校お薦め図書だったので読んでみた。

    きっと最新の心理学ではないのだろうけど、基礎的なものを分かりやすく説明してあって理解しやすかった。

    夢の例も沢山出てきて面白い。夢は一々具体的すぎて、普遍的な夢説きにはならないかもしれないけど。

    人間が100%客観的に生きる事が出来ない以上、精神世界は馬鹿にできないのです。
    【印象に残った言葉】
    メサイア・コンプレックス
    シンボル崇拝
    自我と自己
    アニムス

  • 日本のユング心理学の第一人者・河合隼雄氏(1928~2007年)が、1974年にNHKテレビの大学講座で放映された「無意識の構造」(24回)をもとに書き下ろし、1977年に出版したもの。
    本書では、人間の心を層構造的に捉え、無意識の存在を重要と考える「深層心理学」のエッセンスがまとめられているが(深層心理学には、大きく、フロイトが創始した精神分析学派、ユングが創始した分析心理学派、アドラーが発展させた個人心理学派がある)、主にユング派の理論に沿って以下のような考え方が述べられている。
    ◆人間の心の構造は、「意識」、「個人的無意識」、「普遍的無意識」に分けられる。
    ◆夢は意識と無意識の相互作用によって生じるものであり、夢は意識に対する補償機能を有していることが多い。よって、夢は無意識の状態を知るための強力な武器と言え、ユング派の心理療法においては「夢分析」を極めて重視する。
    ◆個人的無意識の主なものには、フロイトが重視した「エディプス・コンプレックス」、初期のアドラーが強調した「劣等感コンプレックス」などのコンプレックスがある。
    ◆普遍的無意識内には「元型」と呼ばれる人類に共通なもの(地域・時代的な文化の差によって影響は受ける)が存在し、これの意識内における働きを自我がイメージとして把握したものが「原始心像」と呼ばれる。元型には「グレートマザー(母なるもの)」、「影(自分の生きられなかった反面)」、「アニマ/アニムス」、「自己」などがある。
    ◆人間は外的環境からいろいろな期待や要請をされ、社会を円滑に動かすために、それに応じて行動しなければならないが、人間が外界に向けて見せるべき自分の“仮面”を「ペルソナ」という。男性が、男性としてのペルソナを持つために、無意識界に隠れた女性的な面を「アニマ」と呼び、女性が無意識界に隠した男性的な面を「アニムス」と呼ぶ。男性/女性はそれぞれのアニマ/アニムスを特定の異性に投影することがある。アニマはムードを好み、アニムスは意見を好む。
    ◆人間の「意識」は、「自我」を中心として、ある程度の統合性と安定性をもっているが、人間の心には、「無意識」も含めた一層高次の心の統合性を志向する傾向があり、そのような心全体の統合の中心を「自己」という。
    ◆人間の自己実現のためには、自我によってコントロールできない内界に目を向けねばならないが、ユングの最大のテーマは、西洋において確立された自我をいかにして自己へと結びつけるかであった。
    40年前の著作で少々読みにくい部分はあるものの、ユング派心理学の大枠を把握するには適当な一冊であろう。
    (2016年4月了)

  • 全体としては、ユング心理学の基礎編という感じで分かりやすかったが、中盤以降「普遍的無意識」「夢分析」などが主題になると、なんだか科学性が薄く感じられ、オカルトのようにさえ感じられた。ユング自身もオカルトに興味を抱いていたという。


    心理学ってもっと科学的な学問だと思っていたのだけれど、自分の求めているものが違ったのか、これを読んで素直に心理学を「科学」として受け容れられない気がした。

    平易な文章はとっつきやすく、万人に読みやすいと思うだけに残念。

  • 同著者のユング心理学入門の要約版みたいな感じ

    僕的には無意識が個人だけのものではなく人類に共有されているという考えより、個人に内面の宇宙が広がっていてそこに共通領域が幅広く見つけられると考える方が受け入れやすく感じる。

    心的エネルギーが保存されると仮定すると、色々都合がいいと思う。閉鎖空間において、という条件は1人の人間が持つ心的エネルギーがいかなる要素に影響されずに一定であるということに変換されるのかな?
    フロイトって対象への心的エネルギーが戻ってくることでどうたらって言ってた気がするから、そもそもユングとフロイトで心的エネルギーの解釈がかなり違うのかなと疑問に思った。

    アニムスに触れるために影の道を通る必要があるというのはなぜなんだ??

    読んでいると、定立するものと反定立するものを統合するためには、多くの苦難を伴うが、それは受け取るべき苦難であり、それを回避しては、創造的な道を開くことはできないってことがヒシヒシと感じました。

  • 無意識という分野を勉強する上で、ユングの普遍的無意識を説明した本書は入門編としてとても勉強になったとおもう。

  • 臨床心理学やあるいは哲学などの思想関係の書を読めば、たいてい、「自我」「自己」「意識」「無意識」などといった言葉が用いられる。このあたりを意識している人もいれば、意識せずに散漫として使ってしまっている人もいる。また、これらの言葉に対する定義がその人その人で異なっていたりもするので、やはりその言葉を単純な字面だけで捉えるのではなくてコンテクストも意識しなければならない。同一人物によって用いられた言葉でも、場合場合で意味が異なって用いられることは自分を顧みればすぐにわかることだろうとは思う。しかし、やはり、自分の中でこれら四つの概念の関係がごちゃごちゃになってきて、ややこしいかったのでこの一冊はかなりその分類に役立ってくれたように思う。無論、これはフロイト―ユングを源流とした河合隼雄版分類ではある。

    著者としては、まず西洋系と東洋系とでこの仕組み自体をわけてしまっている。このあたりは大胆であるが、現在の日本人はどちらに含まれるかと言うと、人によるばらつきがあるとは言わざるを得ない。一般的には西洋的になりつつあるが、ある意味、東洋系の昔ながらの日本人観にしがみついて離れられない人もいるのだから。西洋的な人からすると、東洋的な人は時代遅れであったり偏執的であったりし、西洋的になれという押し付けに反発を覚える人は、西洋的な人は合理的過ぎるとして批判する。とはいえ、合理的という単語も、この頃その意味するところに違和を抱きつつもある。つまり、ユングが言うところの外向と内向で考えてみればいいのだろうが、内向的合理的と外向的合理的があるので、世間一般で言う際の合理的は外向的な気がして、内向的合理的は世間一般では直観として言い表わされているように思われる。話自体はずれたこれで自分なりの曖昧さがいくらか解消されたのでよしとする。さて、著者は西洋系と東洋系とでわけた際に、西洋系は自我を基軸としていると考えている。確固たる自我があり、自我によって意識されている意識がある。実はその向こうに無意識がありそこに無意識を包含した自己があるのだけれど、自我うまく捉えられないので意識的な自我と無意識的な自己とを結ぶために西洋人は苦労すると言うのである。それに対して東洋系は自我がうすくその概念すらややもすればないのかもしれない。彼らにあるのは自己であり、自己は意識も無意識をも包みこむ大らかななものとして捉えられる、といった区分である。しかしこれはだいぶ甘いとは思う。東洋が例えば、イスラームであるならばこの区分けは当てはまるかもしれないが、中国は歴史的に見ればあてはめられるかもしれないが生きた中国人を見ればやっぱり難しいといわざるを得ないだろう。偏見も含まれるかもしれないが、偏見だと言い切ることもできまいし、これが現代的中国人だけが持ちうる特性だとも言い切れまい。とはいえ、著者の場合これら四つの概念が非情に明瞭に整理されており参考になる。加えて自己を閉じられた自己と開かれた自己とで著者は二分しており、閉じられた自己の際は個人としての自己であり、開かれた自己の場合は集合的無意識を共有しているのでこの場合の自己とは普遍的な同一点に定められると著者は言うのである。個人的に違和を感じるのは、著者が言うとおりなら全ての可能性を人は包含しうると言えてしまうあたりだろうか?そのあたりがしっくりこない。また、他者との関係においてあれこれ物差しをつくろうとしている人は現象学なんかでもいるけれど、基本的にそういうことを述べている人はいつだって大衆ではなくて大衆を見下している側の人間だというところが一つの問題な気がする。そのあたり著者はすごく潔いのかもしれない。「一般的な人は無意識的な世界にすら気付かないで終わるだろう」みたいなことを述べておられるので。著者はある意味で大衆を見下している感が否めないのである。見下しているというとも違うのだけれど、ある種の差別みたいなのを肯定しているのだろうな。そのあたりはいけないというひともいるようだけれど、差別や見下すまでいくとあれだけれど、境界や差を設けなければむしろ大衆を保護するための学問や大衆に気を遣って為される学問となりえてしまうのではないかなとも思われる。ちなみに個人的な大衆にならないための方法は大衆になりたくないと思うことや自分は大衆ではないと思うことではなくて、「自分は大衆かもしれない」という危機感を抱き続けることだと思う。

  • だいぶ昔に読んだので、読み直してから感想書きます。

  • 2022/07/14 図書館

  • 陰陽
    受動的な性質、能動的な性質に分類する。具体的には、闇・暗・柔・水・冬・夜・植物・女、光・明・剛・火・夏・昼・動物・男などに分けられる。これらは相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ない。森羅万象、宇宙のありとあらゆる物は、相反する陰と陽の二気によって消長盛衰し、陰と陽の二気が調和して初めて自然の秩序が保たれる。(ウィキ)

  • 夢に現れるものたちはどこからくるのか

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