刑吏の社会史: 中世ヨ-ロッパの庶民生活 (中公新書 518)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121005182

感想・レビュー・書評

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  • 膨大な文献を元に中世欧州での"処刑"概念、刑吏の蔑視と賎視をさまざまな実例を元に、あっさりと描いた。1978年刊行、著者初期の代表作。感情を変にこめず、淡々と記述してゆくがゆえに、個々のエピソードが興味深く現れる。「罪は個人や状況が問題でなく、共同体秩序を乱した結果が問題である。よって情状酌量の発想なし」という部族法の概念。14世紀前に欧州で一般的だったという。不勉強で知らなかった。

  • 中世ヨーロッパにおいて賤民の立場に置かれた刑吏に焦点を当て、彼らがなぜ賤民として扱われたのかを、当時の時代背景と刑法の変化から解き明かそうとした本。最終的に刑吏がなぜ人々に恐れられ、賤民扱いされたのかという点については、周辺状況からの妥当性を感じさせる推測として解答が提示されている。しかし、それよりもむすびの部分で指摘されている犯罪は社会的なものであるという一連の内容が非常に鋭く、現代にも通じる問題提起であると思われた。

  • 社会の変化とともに犯罪や刑罰の意味合いも変わっていく中、かつて神聖な存在とされた刑吏は賤しい職業へと貶められていったという。彼らへの忌避は凄まじいものだが、そのようになった過程と差別の背後にあった人々の中にあった相反する感情にも考察が及び、現代にも相通ずる問題を提起する。犯罪が共同体全体の問題ではなく個人の行為となったことの負の側面は、著者がいうように社会の歪みによって生じた犯罪を一人の人間の責任にのみ帰し、周囲が一方的に批判するというありふれた光景にも結びついている。

  • かつて社会にとって最も神聖な儀式であった「処刑」は、十二、三世紀を境にして、〝名誉をもたない〟刑吏の仕事に変っていった。職業としての刑吏が出現し、彼らは民衆から蔑視され、日常生活においても厳しい差別をうけた。都市の成立とツンフトの結成、それにともなう新しい人間関係の展開、その中で刑罰観はどう変化していったか。刑罰観の変遷と刑吏差別の根源を追究する中で、庶民生活の実態を明らかにし、民衆意識の深層に迫る。

    中世ヨーロッパというよりは、フランク王国、ドイツの諸都市の社会についてがメインで述べられている。もちろんフランスやイギリスの処刑人についても書かれているが、ツンフトだとかギルド、ラント平和令などのタームはしばらく世界史から離れていた人間には最初ちょっと理解に時間がかかった。

    刑吏というのは、刑罰がなければ存在しない。刑罰は、犯罪がなければ存在しない。犯罪は、犯罪者が起こすもの。したがって、法制史的な面も述べられていて、大変興味深かった。

    12,3世紀にキリスト教が入り込み、都市が形成されるまで、殺人や強盗など明確な加害者と被害者があり、血族による復讐が認められていた時、処刑人は不要だった。被害者自身が復讐するから。その他の犯罪については、「地域社会の安全を脅かすもの」「平和・秩序を乱すもの」として、「罪を祭祀によって洗い流し」「秩序を取り戻す」ための儀式的としての性格として処罰が行われており、犯人を殺す、死刑にするというよりは、死ぬも死なぬもその時の運、偶然刑としての性格が強い処罰が行われていた。これは日本史でも古代には行われていたようなもので、人類の歴史として自然な流れだったのかなと思った。
    社会が発展し、支配階級がよりはっきりと現れてくる中で、支配者がより支配を強くするために法を整備し、犯罪を定義し、刑罰を作るというのは本当に興味深いなと思う。

    穢れを浄化するための刑罰だったはずが、気づけば「自分たちの仲間のうちの罪人」を殺すものに変化していったことに対し、一般民衆、いわゆる名誉ある市民がその刑罰を実行する刑吏を避けるようになるのは、感覚として理解できない事ではない。
    その蔑視されていた刑吏を、軍隊の強化が急務となった時代に「賤民」から「名誉ある市民」に掬い上げ、そのまま軍隊へ入れてしまったという時代の流れもまた、現代社会においてよく見る構図であり、社会史から学ぶことは多いと感じた。
     
    罪が社会のものから個人のものとなり、社会問題上の事情から起きた犯罪についても、その問題については目をつむり、個人の問題として断罪するのもまた現在の問題であると思った。
    「罪を憎んで人を憎まず」とはいうけれど、その罪に至る状況へ目を向け、解決を図る社会になっていきたいものだと思う。

  • 14世紀頃〜近世までまで、ヨーロッパ(ドイツ?)において刑吏が賤民であった、ということに惹かれて読んだ。刑吏の差別の歴史みならず、罪の概念や刑罰の概念の変化(祭儀から見せしめへ)なども論じてあってとても面白かった。農村から街、市民社会への社会の変化が刑罰の変化を促し、公権力に利用された裁判の仕組みの変化(自供の重要性)が刑吏の没落につながったというのも面白かったけど、刑吏がしばしば教養のある思慮深い人間だったという指摘も面白かった。刑吏の残した日記を読んでみたい。
    それにしても、刑罰の章を読んでいると、人間というものは自分以外の者に対しては何と残酷になれるんだろうと、阿部先生ではないけれど絶望しそうになった。私たちの歴史が後退しないことを祈る。

  • ネタバレ 1978年刊行。◆ドイツ中世期において、刑の執行(特に、磔刑等の執行)に従事した刑吏職は、その前期と後期では、彼等への社会的目線、すなわち賤民性の度合いが全く異なった。◇この刑吏職の実態と賤民性拡大に関し、刑罰(特に死刑)の種類、その社会的意味や目的、キリスト教の社会的普及と呪術性減退との関係性、ドイツの社会構成体の史的変遷、刑事法の目的の変容と絡めて解説する。◆その内実分析は、ドイツの学説を駆使しつつ明瞭に説明する。◆しかし、著者の結論には些かの疑問もないではない。◇刑執行という権力行使への民衆の怨嗟。
    これが刑吏への卑賤観を亢進させたと著者は看做している。◇しかし、権力行使の源泉にない末端権力への非難にすぎず、直ちにそれが首肯できるか。◆ただの駒に過ぎない彼らに対する怨嗟というであれば、もう少し、刑吏の権力行使の恣意性、かつ上層機構とは無関係な独断性の説明にもっと紙数を費やすべきではないか、との感。◇むしろ「死」との直接的な関わりを持つ者に対する忌避感、恐怖感が卑賤観の淵源にあると正面から認めた方が、座りが良い印象がある。◆ところで、本書意外には、西欧・賤民のキーワードでなかなか類書が見つからない。
    したがって、確かに古い本だが、新書サイズとして貴重な一書かもしれない。◆なお、本筋ではないかもしれないが、科罰法(科刑法ではない)の史的変遷はその目的論を含め興味を引く。罪刑法定主義の誕生経緯とも絡み、勉強したくなった領域。◆著者は一橋大学教授。

  • 17世紀、神聖ローマ帝国を舞台にした小説『聖餐城』を楽しむために。主人公の恋する少女が刑吏の娘という設定なので。
    かつて神聖な儀式であった処刑が、12〜13世紀頃から「名誉をもたない」賎民の仕事に変わっていく、職業としての刑吏が出現し、彼らは蔑視され激しい差別を受けるようになる。その蔑視、差別の根元は何かを探る、スリリングな研究書。
    いつも思うけれど、阿部氏の文章は読みやすく飽きさせない。資料のつもりで斜め読みするつもりが、しっかり読み込んでしまう。

  • ◆単なる「刑吏の歴史」ではなく、社会のなかでの刑吏・処刑の位置づけ、つまり人びとにとっての刑吏・処刑観の変遷を描き出す、ダイナミックな一冊。

    ◆刑吏という職業は、13世紀ごろに登場してから、ながらく市民としての権利をもたない差別の対象だった。しかしそれは、彼らが人の死に触れていたからではない。「刑吏」が登場するまでは、「処刑」をおこなうのは原告(被害者)であったし、復讐のために殺人を行った人は卑賤の対象にはならなかった。なぜならそれは、共同体の必要上から誰かしらが担ってきたからだ。
    ◆ところが、やがて職業としての刑吏や制度としての刑罰が誕生する(このあたり理解がいまいち)。著者によれば、中小都市の初期では、刑吏は土着の神の使者であり、市民権が認められていたという。しかし、キリスト教の終末思想的平和観(勝手な造語!)によって現れた「処刑」に対する恐れや、ツンフトの組合員が自らの名誉(純粋性)を示すための相対的な穢れた対象として、刑吏が位置づけられていった。刑吏が市民としての名誉を回復するためには、19世紀近代を待たなければならなかった。

    * 感想 *
    ◆人びとにとって必要だったもの(共同体の修復のためにみんなで行っていた儀式)が制度(官吏としての刑吏)として独立し、忌避の対象となる。社会のなかで刑吏の位置づけが二転三転してゆく様子は、ともすれば話の迷路に迷い込みかねないのだけど、この本はすっきりまとまっていると思った。けれど、図書館で借りた本書はボロボロすぎて、破かないか怯えながら読んだ。

    ◆穢れた存在ではあるけれど、人体を知り尽くした刑吏は医者としても有能だったから、人びとは夜にこっそり刑吏のもとを訪れる。そんな歪んだ社会の在り方も興味深い。サンソン家を題材にしたマンガ(http://booklog.jp/item/1/4088795652)が最近あるので、そちらも読むといっそう本書が面白く読めると思う(逆もしかり)。

  • 書名のインパクトで手に取った一冊。不勉強で著者の功績もよく知らない。
    中世、処刑は共同体の傷を治す儀式・供犠・祭祀であり、都市の擡頭とともに刑吏という職業が生まれたという内容。
    市民から賤視・蔑視されるも給料は良く裕福であったという。

    本書後半に次のようにある。
    刑吏が蔑視されたのは倫理観や同時の人はヒューマニズムに欠けていたと回答するのは簡単だが、共同体が崩壊したという点を見逃してはならない。
    犯罪とは社会的な規範の元で定義される。時代が変われば罪ではない犯罪もある。犯罪は社会のほころびから生まれるもので、罪を個人の責任に全て科しそれでほころびを無視するのは個人主義の陥穽に陥っている。
    現代までこの流れは繋がっているという。

  • 死刑について考えられる作品。一般的に言うと死刑は
    威嚇/予防の為の刑であると考えられていた。
    だが12~13世紀、つまり都市が発展するまでは、死刑は
    儀式(神への生け贄)という側面を持っていた。

    刑吏が蔑視されるようになったのも都市の成立〜発展に
    かけてであり、宗教的側面を忘れつつも死に対する恐怖心が
    残ったためであると筆者は述べている。
    おもしろいのは刑吏が蔑視されながらも高収入を得つつしかも、医術に関しては最高レベルの知識をもっていたというのは何とも
    皮肉な結果である。

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著者プロフィール

1935年生まれ。共立女子大学学長。専攻は西洋中世史。著書に『阿部謹也著作集』(筑摩書房)、『学問と「世間」』『ヨーロッパを見る視角』(ともに岩波書店)、『「世間」とは何か』『「教養」とは何か』(講談社)。

「2002年 『世間学への招待』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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