- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121007025
感想・レビュー・書評
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住まいとは何か、パーツごとに、機能面、精神面、歴史的側面から紐解いていく本。83年初版。でも今読んでも充分おもしろい。
古本屋で100円で出会ったけど、いいお買い物だったなー。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
少し古い時代に書かれた印象がありますが、住まいについて深く考えられ、興味深い内容です。住宅設計をされている方は、一読してみたら良いと思います。
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27年前の本ですが、家に住むことを根本的に考えさせられる1冊です。
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目次
序章 マイホームの擁護
第1章 玄関
第2章 居間
第3章 食堂
第4章 厨房
第5章 寝室
第6章 書斎
第7章 子ども部屋
第8章 和室
第9章 照明
第10章 冷房
第11章 暖房
第12章 収納
終章 マイホームとは何か -
住宅設計を生業としつつ、詩作や映画評論もこなす著者による「思想」書。
玄関、居間など、マイホームを構成する要素をひとつずつ分解していく。
一章一章が短いので、エッセイ感覚で読める。そのエッセイ的な部分こそが魅力だ。
「住宅における私性の実現とは、つまり住み手の一人一人が「ここが私の場所だ」と心の底から感じられるような空間をつくりだすことにつきる。しかしこれは実は設計、つまり住宅の形態の決定作業では覆いきれぬ領域でもある。「私の場所」という意識は、住宅の意匠や機能に深くかかわりながらも、住宅の中にある家具や道具などによって(中略)、それらに対する住み手の反応の仕方、つまり住まい方によって左右される。住宅における私性とはハードだけでなくソフトによっても支えられている。そしてこのソフトに関しては、設計者は暗示を与える以上のことは何もできないのだ。」p.5
⇒「暗示」という表現がいい。いまの新築マンションの広告はさながら「幻想」か。
「知的な虚栄心とは、立派なオーディオ装置が飾りものになり下がっていて、レコード・ケースには「北の宿から」と「およげたいやきくん」しかないような状況を言う。これは流行歌や童謡が知的でない、という意味では決してなく、聞かれたことのない交響曲全集があっても同じことである。それよりもむしろ都はるみが好きな人の居間に彼女のデビュー以来のレコードが全部そろっていれば、それをぼくは知的な要素と呼びたいのだ(ぼくの場合はそれが石原裕次郎のLPの山なのだが)。/つまりぼくの言いたいのは、文化のランキングに関りなく、その人の魂に本当に関り、時と共に深まっていく感受性の対象が、なんらかの形で居間にあることが望ましい、ということだ。」p.34
⇒居間で家具化するレコード。まさに嗜好のみがその人を語るのだなあ。
「眠れないときに羊を数えるといい、というのは有名な話だが、あれを本当にやってみた人はどれだけいるだろうか。(中略)バカボンのパパもはじめ羊を一匹思い描くのだが、ちっとも増えない。それなら大牧場を想像しろと言われて、その気になると心のワイドスクリーンに一面の羊の群れが現われてしまうので、どこから数え始めたか解らなくなり、これではとても眠れない。今度は一匹ずつ並べて柵を飛びこえさせようとすると、柵をこえるのをいやがる羊がいたり、何匹もの羊が一度に飛びこえたりして、やっぱり数えられなくなり、ますます目が冴えてしまう。この話はギャグとして実に秀抜だが、同時に眠ろうとして眠れない時の想像力の不随意筋的な脱線を活写していて、身につまされる。赤塚さんもきっと寝つきの悪い人に違いない。」pp.80-81
⇒寝つきの悪い人間が寝室について語るときの模範。
「夏は季節にふさわしく、空間も精神も解放されていたい。しかし、働かなければいけないとなるとやはり、冷房に頼らざるを得ない。こう考えてくると、必要悪なのは冷房ではなく、仕事、つまり労働そのものではないかと思えてくる。つまり、自然にさからっているのは、冷房ではなく、夏にもせっせと働こうとする人間たちなのだ。」p.172
⇒冷房はダメだが暖房はOK、という感受性に共感。