イスラエルとパレスチナ: 和平への接点をさぐる (中公新書 941)
- 中央公論新社 (1989年9月25日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121009418
感想・レビュー・書評
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本書は1989年に初版が出ており、30年以上が経過しているが、パレスチナ問題は基本的には解決していない点では今も変わらない。寧ろ今年はイスラエルがパレスチナからのミサイル攻撃に対する反撃を徹底的に実施し、大規模な地上軍まで展開するなど、大きな動きが起こっている点で、改めて問題の根の深さをまざまざと見せつけられている。毎回パレスチナ問題に関する書籍を読むたびに、何とも言えない脱力感に襲われる。頭痛はいつも以上に酷くなり、最悪吐き気をもよおす。それを読んだ自分、知った自分が何も出来ないことへのもどかしさ、宗教や歴史に結びつけては互いに正当性を主張する人々の姿、仲介という綺麗事に仕立て上げて、結局は自分たちの利益優先で画策する第三者。
ニュースで悲惨な映像だけを流し見るだけで何も感じなくなってきた自分が、きっと恐らく私1人が考えたところで何も変わらないから、何も変えられないし、この先何十年も何も変わらないだろうという諦めの気持ちを抱いてしまっていることに気付く。だがそれも受け入れ難いから、頭痛は当面続くのだろう。
本書にはイスラエルとパレスチナの今に至る問題の経緯、それぞれの主張と第三国の関わり合いかた、2つの国と地域に存在する政党の立ち位置など解りやすく記載されている。こうした書籍は沢山あるが、改めて何度も読み返す中の一冊として、比較的平易な言葉で描かれているので理解が進む。特にどちらの主張に一方的に肩入れする様な感情論的な内容も無いので、読んだ後に自分自身で考えてくれ、という問い掛けになっている様に感じる。そうなのだ。この問題については読者自身が考えなければならない。最近はYouTubeやテレビから入ってくる映像など表面的な出来事を「悲惨な可哀想なシーン」としてだけ捉えて、一方向からの情報のみで感情に流されて片付けてしまうことが多過ぎる。どちらが一方的に悪で、どちらかを救わなければならない。国際情勢はそんなに簡単なものではなく、根深い歴史の畝りと宗教観と人間が持つ欲望と、全てを掛け合わせた結果として捉えなければ、この状況を解決や良い方向に結びつける事はできない。
こうしている間にも恐らく支援物資も届かず飢えている子供たちがいるし、公園のベンチに置き忘れられた荷物にさえ怯える大人達がいる。安心平穏な暮らしができている自分とは違う日常。中々自分ごととして捉えるのは難しいのは仕方ないが、自分にも何かできるのではないか、そう考えてみる気持ちが少しでもあるなら、先ずはこうした書籍から学び始めると良い。知らなければただやり過ごしてしまう生活の中に、知識と問題解決に自分から参加するという意識を芽生えさせてくれるかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1989年に初版と古い本であるが、パレスチナ側、イスラエル側いずれかに偏ることなく、淡々と歴史的な背景が列挙されており、その問題点が分かりやすい。
この地区の問題の根深さを理解するとともに、解決することの難しさを痛感する。 -
このテーマは色々と本が出てますが、最近出版されたやつになればなるほど長い歴史を包括的に扱う必要があるためか、中東戦争の具体的な背景や、裏で手を引いた欧米諸国の思惑なんかがおおざっぱになるので、これぐらいの古さの本の方が面白かったりします。
この本が出版された時点で当事者であった人々の多くは既に死んでいるか現役を引退してるかしてますが、イスラエルとパレスチナが抱えてきた問題を整理するには好い本だと思います。
しかし、この地域の歴史を読むにつれ、やっぱり悪いのはイギリスじゃねぇかあのヤロウ、と思うのは自分だけでしょうかね。欧米諸国、自分が蒔いた種でどれだけの人が苦しみ、死んでいったのかを、もうちょい学ぶべきではないかと思うのですが。 -
1989年の発行なので現在のイスラエル・パレスチナを知ることは出来ないが、両民族の対立の構図がバランスよく描かれている。流浪の民だったユダヤ人が、パレスチナ人という新たな流浪の民を生み出したのは歴史の皮肉か。