日本語に探る古代信仰: フェティシズムから神道まで (中公新書 969)
- 中央公論新社 (1990年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121009692
作品紹介・あらすじ
日本の古代信仰のもっとも中心的な課題は、霊魂(タマ)の観念であり、それも遊離魂よりはむしろ呪物崇拝に見られる霊力呪力(マナ)の観念である。呪力の信仰は言葉にも認められ、言霊信仰では、めでたい言葉はめでたい結果を、不吉な言葉は不吉な結果をもたらすとする。本書は、各種の儀礼、神話、歌を資料としながら、霊魂や呪物・呪術に関する言葉を、また神名の核となっている言葉を析出し、日本の古代信仰の実相を明らかにする。
感想・レビュー・書評
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地味ではあるが質実謙虚な学問を為した人、本邦古代歌謡研究の第一人者である。「あとがき」に本著の意図が簡潔明瞭に書かれてある。従来の記紀萬葉の学問への違和として挙げられることは、
①「霊魂(たま)といえば遊離魂とばかり理解していて、マナという語に代表される霊力・呪力の観念があることを知らない
②呪物や呪術についての認識が乏しく、それらを神の依代(よりしろ)であるとか、神に対する祈祷、神意をうかがう行為など、「神」に関係づけて説明するのが学会の常識になっていること(うけひ等)
③「神」も人格神に限られていて、タマフリに関係ある白鳥、鷺、蛾、幡、剣などが神社に祀られている事実も、ほとんど視野の中に入っていないこと
④神の性格は、その司祭氏族によって歴史的に形成されると共に、司祭氏族の勢力交替によって、「記紀」の氏族神話も時代とともに変化している、という神話と歴史のダイナミックな関係が明らかにされていない
という4点になる。①~④への統一的見解を探る、恣意的な解釈でなく淡々とそれを行うということ。発想がやや文学的である折口学の達成を、質実たる学問的土壌に成したというべきか。思えば、著者は白川静と無二の友人であったという。立命館と同志社、古都の私学で目立ちはせぬが、誠ある豊かな学問が育てられていた。 -
1215夜
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大麻の繊維は、昔から霊力をもつ呪術性があるものとして神社の鈴縄からお供えものの紐に至るまで使われています。ヘンプ読本で紹介した言霊から見た麻の呪術性についての元ネタの本です。