トルコのもう一つの顔 (中公新書 1009)

著者 :
  • 中央公論新社
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本棚登録 : 566
感想 : 75
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121010094

作品紹介・あらすじ

言語学者である著者はトルコ共和国を1970年に訪れて以来、その地の人々と諸言語の魅力にとりつかれ、十数年にわたり一年の半分をトルコでの野外調査に費す日日が続いた。調査中に見舞われた災難に、進んで救いの手をさしのべ、言葉や歌を教えてくれた村人たち。辺境にあって歳月を越えてひそやかに生き続ける「言葉」とその守り手への愛をこめて綴る、とかく情報不足になりがちなトルコという国での得がたい体験の記録である。

感想・レビュー・書評

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  • Amazonの本ランキングを見ていたら、こちらがベストセラーで目に留まった

    著者は言語学である小島剛一氏
    (最近はひろゆき絡みでネットを賑わしている)
    1970年にトルコを訪れて以来、その地の人々と諸言語の魅力にとりつかれ、調査を開始
    まさに言葉通り氏自身の足で歩き回って得られたリアルで得難い体験の記録だ

    個人的に「トルコ」という国が好きなのと、実際に一年の半分近くをトルコで過ごした著者の体験が読めるということで惹かれたのだが、いたって地味な感じの(すみません)本書がなぜベストセラーなのか(無知のため)気になった

    小島氏は1年の予定でフランス留学をするものの、永住を決意
    トルコの諸言語はヨーロッパの言語に比べ、ほぼ未開拓の分野であったため、言語研究の中心地をトルコに
    またトルコの少数民族の存在とトルコの自然と人に魅せられ、フランスに住み続けたまま毎年数回トルコを訪れる
    1970年代である
    当然ながら貧しかったようで、ヒッチハイクでの移動、テントさえ持たない野営(野宿)とのことでなかなかのサバイバルさがうかがえる

    しかしトルコである
    人々の半端ない親切心
    好奇心剥き出しの人たちに囲まれ、チャイが(場合によっては食事も)すぐ出てくる
    困ったことがあると、寄ってたかって皆に助けられる
    これはトルコに行き、実際に現地の人に触れたことのある方ならおわかりになるだろう
    (個人的な話であるが、トルコに行くとヒッチハイク的なことが日常茶飯事であり驚いた 私自身も空港従業員に真夜中、見知らぬ男性の車に乗せられそうになり(もちろん親切心から)何度も断ったが断り切れず恐々乗せていただいた経験がある 有難いがこのような親切を受けることになじみのない日本人にとっては、なかなか勇気が要ることなのだ!)
    そのため小島氏の身に起きた驚くほどのトルコ人の親切心は、なんとなく想像できてしまう

    さて言語学の方だが、あのオスマン帝国に意外にも公用語はなかった⁉︎ようで実に興味深い
    アラブ語、ギリシャ語、アルメニア語、アッシリア語など各言語で問題なかったようだ
    また第一次世界大戦後、敗れたオスマン・トルコ帝国は当時の版図の半ば以上失うことになりトルコ共和国へと変換を遂げるのだが、この際もともと多種多様な民族が混在していたところに、住民の言語とは無関係に、軍人や政治家が戦争の結果として引いた国境により民族が入り乱れる
    またトルコ共和国はギリシャ、ブルガリアとの間に住民交換を行う
    この辺りの背景からトルコには多数の少数民族が存在する
    しかしながら一部例外を除き「トルコ国民はすべてトルコ人であり、トルコ人の言語はトルコ語以外にない、トルコ語以外の言語はトルコ国内に存在しない」というのが建国以来の歴史のトルコ政府の公式見解である

    トルコ政府の「建前ではない部分」すなわち実はトルコ人ではない人たち(外国人という意味ではない!)の言語を著者は研究する
    氏のすごいところは、(おそらく)バックパッカーのような身なりで村々にスルっとはいり、チャイを飲みながら雑談し、実際に友情を深め、そしてあくまで自然な形で、結果研究できてしまう…という姿勢だ!お堅い「教授」っぽさの無い雰囲気、人柄が功を奏している
    そして実際にトルコ人ではない日本人の小島氏が、同国が多民族国家・多言語国家であることを証明し、トルコ政府の言論統制を打倒して国政を訂正させてしまうのだが…
    実際に歩いて、会って、話して…という体験に基づき打破した内容のため、非常に深くそしてリアルである

    ちなみに「国を持たない最大の民族」はクルド人である
    また、クルド人の人口が最も多いのがトルコだ
    しかしこの事実を理解しているトルコ人はこの当時皆無だったのではないだろうか
    (他にも初めて聞く民族、言語が多数登場する)

    もちろん氏の研究はトルコ政府には警戒される
    実際に身の危険も及ぶ
    しかし小島氏は非常に辛抱強く、トルコに対する愛情を持って、機転を欠かせ、知恵を駆使して一人で研究を続ける

    国籍と民族の違い、宗教、言語の違い…
    ほぼ単一民族に近い数少ない国の日本
    島国で守られている日本国民には理解しづらいことが多い

    そしてトルコ内において、トルコ人の他民族に対する過剰な反応に正直驚いた
    信じられないほどの差別と拷問…
    一般的な日本人が知るトルコはほとんどが観光地であり、どちらかというと西側に集中する
    親日家が多く、子供たちに「日本人」というだけで、一緒に写真撮って!とせがまれたことさえある
    先に記述した通り、人に対し親切で困っている人をほおっておけない体質だ
    しかし、この国には我々の知らない奥深く、悲しく、恐ろしい対民族の闇があった
    そうどこの国にも光と闇がある
    とはいえ、ここまでとは…全く知らなかった…(かなりショッキングな内容も多々あり)
    そう一般的なニュース等の情報ではうかがい知ることのできないトルコを良くも悪くも知ることになってしまった

    体験談と合わせ、トルコの文化・言語・民族など、堅苦しくなく知ることができる
    (特に前半は)海外の生活や体験談が好きな方には、言語学という堅い分野を意識せず読みやすく楽しめる内容である
    しかし小島氏の生き様と彼のトルコ、言語に対する真摯な姿勢は重厚さと堅強さがあり、ある意味凄まじささえ感じるほどである

    続編「漂流するトルコ」も読んでみたいが、呑気な日本人の自分にとってある意味覚悟のいる書であるのは間違いないであろう

    • ハイジさん
      アテナイエさん
      コメントありがとうございます!
      今回も…ですが、アテナイエさんにコメントしたい!と思っているうちにアテナイエさんからコメント...
      アテナイエさん
      コメントありがとうございます!
      今回も…ですが、アテナイエさんにコメントしたい!と思っているうちにアテナイエさんからコメントをいただきまして…
      またしても先を越されました(笑)
      アテナイエさんのトルコ絡みの2冊のレビューを興味深く何度も頷きながら楽しくそして少し複雑な気持ちで拝見致しました!

      アテナイエさんもトルコ経験者さんなのですね!
      あの親切心を受け止めるには日本人は慣れと訓練が必要ですよね(笑)
      私は世間知らずの若かりし頃にトルコ人の知り合いの家に泊めていただいたのですが、親切心の度合いの凄さに戸惑いまして(笑)
      そして印象に残ったことは、ケマルアタチュルクの肖像画が各家庭をはじめ多くの場所にあること、その後その知り合いのトルコ人と暫く文通が続いたのですが、突っ込んだ会話や話しはしない…という姿勢…です

      日本でニュースになりにくい国ですが、複雑な歴史と感情が渦巻いており、知れば知るほど奥深い闇を感じてしまう国ですね
      親切でお喋り好きな彼らはある一定の局面において貝のようにピッタリ口を閉じ、雨戸を閉め家に閉じこもってしまう…そんなイメージを受けます

      でもトルコはやっぱり良いですね!ご飯も美味しいですし(笑)
      また本書は今まで出会った本とはあらゆる面で異なるので新鮮で様々な角度から楽しめるのでオススメです!
      特にアテナイエさんのようにトルコの知識と経験をお持ちの方には是が非にも…(笑)
      2021/08/18
    • アテナイエさん
      ハイジさん、楽しいコメントありがとうございます♪

      レビューを拝見していると、とってもわかりやすくまとめられていて、しかもご自身の体験や...
      ハイジさん、楽しいコメントありがとうございます♪

      レビューを拝見していると、とってもわかりやすくまとめられていて、しかもご自身の体験や思いがたくさんあるので臨場感にあふれていますね。

      >日本でニュースになりにくい国ですが、複雑な歴史と感情が渦巻いており、知れば知るほど奥深い闇を感じてしまう国ですね
      親切でお喋り好きな彼らはある一定の局面において貝のようにピッタリ口を閉じ、雨戸を閉め家に閉じこもってしまう…そんなイメージを受けます

      いや~素晴らしいコメントですね。
      もう遠い記憶ですが、イスタンブールの街の中心広場は、なぜあんなに人がわんさかいるのか?(待ち合わせ?おしゃべり?)私が眺めた感じでは、老いも若きも男性だらけで、女性の姿はあまり見かけませんでしたね。モスクの鮮やかで細密な美しさ、チャイやご飯がとても美味しい。例によって鯖サンドをパクつきながら海峡の橋を渡る(まだこんなことはしているのでしょうか…笑?)おのぼりさんツアーでしたが、歴史の古さや宗教の存在感を感じさせます。情勢が安定したら東の方にも足を延ばしたいです。そのまえに、この本をながめて旅に出かけたつもりになってみようと思います♪
      2021/08/19
    • ハイジさん
      アテナイエさん
      再びありがとうございます!

      鯖サンド美味しいですよね♪
      海上の停泊した船で作っていたので、パフォーマンス的な食事だと思って...
      アテナイエさん
      再びありがとうございます!

      鯖サンド美味しいですよね♪
      海上の停泊した船で作っていたので、パフォーマンス的な食事だと思っていたのですが、美味しくてビックリしました(笑)
      今もあるのでしょうか?
      そしてどれだけ暑くても熱〜いチャイは最高でした(彼らほどたくさんのお砂糖は入れられませんでしたけど)
      アテナイエさんの仰るとおり確かに飲食店のお客は男性が圧倒的に多かったです…
      私もいわゆる西側観光地とアンカラしか行っておりませんのでいつか東側にも足をのばしてみたいです(なかなか気軽に行ける場所ではないですが…)。
      トルコの懐かしい思い出話にお付き合い下さいまして、また楽しいひとときをありがとうございます♪
      2021/08/19
  • 最近気になる中東の文化を紹介している本かと思ったら、言語学である著者によるトルコの旅の記録でした。めっちゃ面白い。言語学者による旅行記がこんなにもアドベンチャラスなものになるのか!観光ガイドブックのような表面的なものではなく、少数民族に焦点をあてながら自らの体験として紹介しているのです。それもそのはず。1970年当時トルコに魅せられた著者による少数民族調査旅行だったのです。強大なオスマン・トルコ帝国が西洋諸国によって分断されたのち単一民族国家という幻想で統一しようとしていた時期で、少数民族の虐殺・弾圧もある危険な時期。言語もばらばら、宗教もばらばらであることを認めない時期に少数民族の調査目的をひた隠して旅行を続けるのです。現地警察による逮捕だったり、政府からの妨害、人々とのあたたかい交流など物凄い体験がぎっしりつまった1冊です。すさまじい迫力の冒険記となっています。この告発本とも呼べる新書の出版が多言語民族国家を認めるきっかけになったとのこと。う〜ん、凄すぎる。言語=イデオロギーなのですね。単一民族国家とうそぶく日本にも黒歴史があるよね。心を一つにとか甘い言葉も行きすぎると危険な考えとなることに注意しなければならないと感じました。米国寄りにそまった日本の考え方が世界標準に沿っていて「正しい」なんて勘違いしない方がいいということも思い知らされます。
    異なる文化背景にともなう翻訳の限界で情報が正しく伝わらないという情報誤差の発生は必ず考慮しなけれなならない問題としてとりあげられています。これはカタカナ英語で表現してなくなるとかではなく概念の話だし、AIで翻訳しても解決しない問題。自分で直接異文化に接することって大事だなと実感。素晴らしい旅本です。旅にでたくなるぞ。
    なんと政治的配慮で削られた部分を補足する「補遺編」と続編「漂流するトルコ」もあるそうな。読みたい。

  • 新婚旅行のためトルコに向かう機内で読んだ。正直、読むタイミングはふさわしくなかったが(なにせ、本文中に「この国の本当の姿は夜中に警察に連行されて尋問されないと分からない」というくだりがあるのだ)、内容は素晴らしい。トルコは多民族国家であり、共和国成立の過程も複雑である(第一次世界大戦後に欧米列強に分割統治されかかったところを、独立戦争をおこし自国を勝ち取った)。トルコは基本的には軍事国家であり、そのかすかな雰囲気は短い滞在中にも感じられた。
    筆者のトルコに対する非難は抑制のとれたものであり、また少数民族に対する眼差しは抑えた筆致からも十分心に響く。トルコ人すら理解できない少数民族の言語を操る日本人がいたということが、また大変な驚き。

  • 本書はフランス在住でトルコの少数民族が話している言語を研究している日本人の手記ですが、一貫して本人の体験談をもとに記述されているため非常に生々しい本です。題名にもあるように、イスタンブールやトロイ、カッパドキアなどとは違う、一般の人の目にはまず入ることのないトルコの側面を紹介しています。日本には方言こそあるものの基本的に日本語を皆が話していますし、方言は個性的なものとしてむしろ近年は良いものという風潮が大きくなっている気がします。一方本書が描かれた1980年代のトルコでは言語、方言というものが政治に密接に関係し、自身の話す言語次第では逮捕されることがある、という事実は衝撃的でした。民族、言語、宗教という言葉はもちろん知っていますし、意味もわかっている気がしていたのですが、本書を読んで改めて「民族」とは何か「言語」とは何か、「宗教」とは何か、がつくづくわかっていない自分に気がつきました。現在のトルコではどうなっているのかわかりませんが、本書トルコ理解を促進するためには必須の本と思います。

  • フランス住み、トルコというよりトルコ国内の様々な少数言語に取り付かれた学者さん。
    どうやって生計を立ててるのだろう。
    78年ごろから毎年、年の半分はトルコに入り言語の収集、17年。クルドやアルメニアは今の日本でも聞いたことはあるが、実際には数百とか?
    トルコは民主主義国家だが、トルコ語以外は存在しせず他は「方言」ということになっている。オスマントルコ帝国の名残か、全ての言葉はトルコ語に通じるらしい。
    当然、官権に目を付けられる。トルコの外交官と親しくなり、研究結果を論文にする話しをすると、駐仏トルコ大使にトルコ移住を打診される、職や元気環境を用意すると、買収。数日後、大使は心臓麻痺で亡くなる。怖え~。
    トルコ国家の援助で研究調査できることに。監視付き。いくら件の外交官を信じられても良い度胸だ。
    結局、退去命令。

    クルドやアルメニアにまつわるトルコの歴史がさらっと語られ、ただの言語オタクの冒険譚ではない民族学的な価値もある。論文は発表されたのだろうか。

    ロシアのウクライナ侵攻で北欧がNATO加盟を希望するも、クルドやアルメニア問題を非難する北欧をトルコは拒否していたのだが、態度を変えた。民族問題に口を出さない条件で手打ちか。

  • 新書は評論文のようなものが殆どであるが、この本は読んでる途中、2回ほど本を閉じ、表紙を見て、「これ、本当に中公新書なのかな」とかやったほどだ。どう言うジャンルと言って良いのか分からないが、紀行文のような印象を受けた。新書にあるような内容ではない。

    著者の小島剛一は、フランス在住の言語学者で、特に偏執的とも言えるほどトルコに入れあげ、トルコの少数民族の言語研究を、十数年とフランスからトルコに通い詰めつつやってきた人だ。この本の出版は1991年とかなり古いが、著者が旅行していた1970年代から1980年代末期に至るまで、トルコ共和国はトルコ人の単一民族国家であり、言語もトルコ語以外は存在しないと言う姿勢を堅持していた。実際にはクルド人を筆頭に、トルコには多数の少数民族を抱えており、各々の言語も存在する。トルコ政府はこのような「諸語」を、「トルコ語の方言」としているが、現在の東トルキスタン周辺をルーツとするアルタイ語系のトルコ語と、現在のアナトリアを中心とした旧帝国領域内の印欧語系の諸語は、系譜からして異なっている。クルド語もイラン語群に含まれる印欧語の一つであり、だからトルコ語とは違う。

    このような小島剛一の活動は、本書によると開始から十数年は政府からマークされることもなく、かなり自由にやれていたようだった。バックパッカーのような身なりで、野宿や友達になった人々の家に寝泊まりしながら、トルコ全土を縦横無尽に渡り歩き、フィールドワークを続けてきたのが、「当局」の目にあまり付かなかったのかも知れない。トルコ語どころか少数民族諸語もかなり話せるようになっている。外国語の習得などは、センスも何も無いと思っているが、こういう風に十数・数十の言語を理解する人間は、センスが違うと思う。

    上記状況にあったが、トルコからフランスに陸路戻る際、リヨンに駐在するトルコの外交官の車に同乗するに及んで、今までの行動をこの外交官に話し、トルコ政府に知られるところとなったようだった。結果的に、小島剛一はトルコへ「出禁」となっている。

    トルコは、オスマン朝時代は諸民族に寛容で、トルコ語の押しつけも無かったのに、第一次大戦に負けてトルコとして独立してから、何度も偏狭な感じになったんだなと思ったりもしたが、私が個人的に強い印象を持ったのは、この著者である小島剛一の生き方である。

    小島剛一は、別にトルコを転覆せんがために、このような調査をしている訳では無い。抑圧されているトルコ国内の諸民族のためにやっている側面は、無いわけじゃ無いだろうが、根底に流れているのは、純粋な学術的興味から行動していると言う点だ。

    私が大学に入ってすぐ、語学クラスの担任と言う先生が諸々説明してくれた。担任と言っても、大学生活で会ったのはこの一度きりで、以後全く会っていない。理工学部なのにこの先生は確か違う学部の先生で、しかも専攻が、北欧における話者数が3,000人くらいしかいない、聞いたこともないような言語の研究だった。「こんな、世の中の役に立つかどうかも分からんことを研究して、メシを食っている学者がいるのか」と、全くの別世界に来たような印象を持った。

    小島剛一は、「好きなことをして生きている」んだな、と思いながら読み進めた。勉強なんてのは「苦行」以外の何ものでも無い、と言う風に思わせる人間を量産する、画一的な教育を受けて来た中でも、たまに「学問がたまらなく好き」と言う人が出てくる。トルコ東部の安宿に泊まっている午前2時、突如憲兵隊に踏み込まれ、平手打ちを食らうような酷い目に遭っても、政府に食い付くようにグリグリとフィールドワークを続けてしまう程、学問にハマってしまっているのである、小島剛一は。

    学生時代に読みたい本だった。私が学生時代には、既に出版されていたし、これを読んでいたら、学生時代にトルコに行っただろうなあ。

  • トルコが大変な親日国家だということはよく知られている。1890年(明治23年)に和歌山県沖で発生したエルトゥールル号の遭難事故以来、日本とトルコの間には現代の国際社会においては極めて稀有ともいえる心と心の交流が続いている。エルトゥールル号の事故から95年後の1985年(昭和60年)には、イラン・イラク戦争の渦中に巻き込まれてテヘランから身動きの取れなくなった日本人200数十名の救出に際し自国の航空機を飛ばして手を差し伸べてくれたのが他ならぬトルコであった。記憶に新しいところでは2011年3月に発生した東日本大震災の被災地・宮城県七ヶ浜町における支援・救助活動を3週間にわたる最も長い期間において行なってくれたのもトルコだった。日本、ひいては日本人にこれほどまでの情愛を示してくれる友邦に対し無条件に好意を持っても何の不思議もないのだろうが、やはりどんな人にも触れられたくない秘密や裏の顔のひとつもあろうというものである。トルコという国もまた然り。
    本書の著者はトルコに魅せられてトルコ各地を隈なく巡り現地に数多くの知己を得て、トルコ国内に存在する諸言語の現地調査並びに研究に没頭する日々を送っていた。しかし、トルコ国内にはトルコ語以外の言語もトルコ人以外の民族も存在しないという非現実的な立場を取るトルコ政府やその関係者によって、著者の現地調査並びに研究はよくも悪くも振り回されてしまう。しかし著者を待ち受ける数々の障壁をモノともせず、時にはトルコ国内の友人の助けや現地調査で出逢うクルド人、ザザ人などの少数民族との触れ合いを通してトルコ国内における様々な問題、現実が見えてくるたびに読者として言いようのない驚きや憤懣やるかたない気持ち、そして時には異文化と触れ合う際に感じる新鮮な興奮のようなものをすら覚えてしまう。読了して久々にエキサイティングな本と出逢えたという満足感と著者の研究対象に対する並々ならぬパッションを感じた。

  •  トルコで読んでいて少し怖くなった。見えていない部分というのはあるものだ。民族とか宗教というのは、これほど重要視されて縛られるものなんだなあと思った。日本人がのんきだと感じるのは、日本の中で大多数の側の強者の側にいるからか?
     それほどまでして、言葉を調べに行く著者の探究心というか研究者魂と人に対する想いに感心する。

  • ふむ

  • 学問に対してとことん誠実で、忖度も妥協もしないせいでトルコがフィールドなのにトルコに入国できなくなってしまう。かっこいい生き様です。

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