コ-ヒ-が廻り世界史が廻る: 近代市民社会の黒い血液 (中公新書 1095)

著者 :
  • 中央公論新社
3.61
  • (38)
  • (62)
  • (86)
  • (11)
  • (3)
本棚登録 : 938
感想 : 80
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121010957

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 初めて読んだのは大学の時。
    日常的に何となく飲んでいるものを入り口として世界史が学べる、という驚きと感動を感じた本だった。

    その後も近代について考えを巡らせるときには何となく読み返すようになっている。

  • だいたい、コーヒーというのは奇体な飲み物である。そもそも体に悪い。飲むと興奮する。眠れない。食欲がなくなる。痩せる。しかしそのコーヒーのネガティブな特性を丸ごとポジティヴに受け入れて、世界への伝播に力を貸したのがスーフィーたちであった。
    (p.14)

    海外活動は危険が伴う。保険が必要だ。しかしこれもない。どこかで始めなければならない。コーヒー・ハウス。正確かつ迅速な情報と遠隔地交易にまつわる事故の補償とは時代の要請であった。
    (p.62)

    プロイセンは男らしい国であった 。その昔、マールブルクのエリーザベト教会のステンド・グラスに変描いたアダムとイヴの絵で、アダムを誘惑するイヴが女であったという事実に耐えられず、イヴまで男として描いたドイツ騎士団以来の強引な男っぽさが魅力であった。その中でもひときわ男らしく、大王の名に値する傑物がフリードリッヒ大王である。男の中の男といっても並ではない。女人統治時代の男の中の男である。
    (p.146)

    しかし、たまに密輸品のコーヒーが市場に現れたとしても、フリードリッヒ大王の昔と同じようにふたたび庶民には手の出ない高値をつけていた。庶民の手元に残ったのはふたたび、あの「君たちがいなくても、健康に、豊かに」とまるで負け惜しみの権化が国家ピューリタニズムを着飾ったような「ドイツのコーヒー」だったのである。なんでもいい。一つとして持続的に飲まれない以上、次から次へ発明と開発の手が加えられた。キク芋、ダリヤの球根、タンポポの根、ゴボウ、菊の種、アーモンド、エンドウ豆、ヒヨコ豆、カラスノエンドウ、イナゴ豆、トチの実、アスパラガスの種と茎、シダ、小判草の根、飼料用カブラ、トショウの実、アシの根、レンズ豆、ヨシの穂軸、野生のスモモ、ナナカマドの実。まだまだある。ヘビノボラズ、サンザシの実、クワの実、西洋ヒイラギの実、焼いてみて多少、褐色の焦げ目がつけば何でもいい。文字通り焼け糞である。カボチャの種、きゅうりの本体、ひまわりの種。これですべてではない。しかしもういいであろう。いかにもドイツらしいのを一つだけ付け加えておけば、ビールのホップからコーヒーを作る試みもある 。大地の糧が、というよりは、大地そのものがコーヒーを名乗りかねないような勢いである。 ドイツ語ではこうした代用コーヒーを「 ムッケフック(Muckefuck)」といい、おおよその語源的意味は「朽ち果てた褐色の大地」である。赤面したくなる。しかし赤面してはいけない。この程度で赤面していては、この国と付き合ってはいけないのだ。
    (p.151-152)

    作者がノリノリで書いた本は、多少筆が滑っていたとしても総じて読み物として面白い。
    第一章では比較的抑揚をおさえた文章も、頁を重ねるにつれてどんどん饒舌になっていく。
    ドライブ感のある講義を聞かされているようで、最後まで持っていかれました。

  • 欧州中心の歴史に加え、コーヒー誕生のストーリーが著者の粋な文章で、楽しく読めた。たださすがに歴史を理解するのは難しいので、欧州の歴史についてもっと知りたい。

  • ウィットに富んだ小気味いい文章を書く方だなと思った。著者の他の本も読んでみたい。
    東アフリカからアラビア、ヨーロッパをめぐり、植民地支配やファシズムを経て自由資本主義時代の現代にいたるまで黒い血液として世界を巡ってきたコーヒー。世界史の中でその歴史や性質をひもといていくと、コーヒーがどれだけこの世界に直接的にも間接的にも影響を与えてきたのかがうかがえる。今自分がコーヒーを飲む時も、そのアロマの中に歴史の重み、人類の儚さや愚かさを感じずにはいられない。

  • 生徒にコーヒーを教えようと単純に読んだ本。
    非常に勉強になった。
    近代市民社会の中に大きく入っていくコーヒーという嗜好品が戦争にまで関与するとは…
    一度は読んで欲しい著作。

  • コーヒーと世界史の組み合わせに、興味を引き付けられて購入。
    アラビアで生まれたコーヒーは宗教と溶け込み、ヨーロッパでは、喫茶店の様なコーヒーハウスが政治的、社会的な議論の場となる。イギリスで、コーヒーではなく、紅茶が流行ったのは、女性に受け入れられなかったからとか。
    嗜好品としてのコーヒーから日常のコーヒーへ。当たり前のようにコーヒが飲める世の中は、平和の象徴みたいなものなんですね。

  • 面白い。文体も鮮やか。コーヒー好き知プロ見習いとしては最高の読み物。世界史やり直したいな。

  • 日頃何気なく愉しむ「一杯の珈琲」には、“現在”の“普通”へ通じるまでに至った夥しい人達の営みが凝縮されている…凄く考えさせられる内容だった!!或いは「珈琲カップを手に語る世界史」とでも呼ぶべき内容でお勧めだ!!

  • イスラム教の禁欲主義、現世否定の一派が寝ずに祈るためにコーヒーを飲み始めたこと、
    コーヒー栽培が資本や労働力を必要とし、それゆえヨーロッパ諸国が生産に乗り出したとき、植民地主義の拡大の担い手となったことなど、興味深い世界史とコーヒーの関係が書かれていて面白かった。

    また、
    筆がすべるというか、筆が踊るような軽妙な文章が織り交ぜてあって、読みやすかった。

  • 物を中心にしてみた世界史というのをちゃんと読んだのがこれがはじめてで、本当に興味深かった。目からうろこ

著者プロフィール

1946年福島県生まれ。東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。新潟大学教養部助教授を経て、東京大学大学院総合文化研究科教授。現在、東京大学名誉教授。専門は、文化学、ドイツ・ヨーロッパ文化論、言語情報文化論。
著書に『コーヒーが廻り 世界史が廻る――近代市民社会の黒い血液』(中公新書、1992)、『パンとワインを巡り神話が巡る――古代地中海文化の血と肉』(中公新書、1995)、『乾いた樹の言の葉――『シュレーバー回想録』の言語態』(鳥影社、1998)、『榎本武揚から世界史が見える』(PHP新書、2005)、『『苦海浄土』論』(藤原書店、2014)、編書に『バッハオーフェン論集成』(世界書院、1992)、翻訳にイバン・イリイチ著/デイヴィッド・ケイリー編『生きる希望――イバン・イリイチの遺言』(藤原書店、2006)等。他にバッハオーフェン及び母権論思想に関するドイツ語論文多数。

「2016年 『アウシュヴィッツのコーヒー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

臼井隆一郎の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
レイチェル カー...
三島由紀夫
ドストエフスキー
ウィリアム・ゴー...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×