- Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121012173
作品紹介・あらすじ
現代の日本人がイメージする高潔で忠義を重んじる武士像は、近世に概念化され、明治以降、国家主義的教育の中で作られたものであり、本来、武士とは、「政治史的にはこの上もなく」暴力的性格の社会集団で、「職業的な殺し屋」的存在だった。この集団を束ねた「棟梁」とはなにか。その条件は。なぜ武家政権がかくも長期にわたって存続し得たのか。武士の本質と肖像を社会史的職能論により捉え、そこに浮かび上がる日本の中世を考える。
感想・レビュー・書評
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武士論というと葉隠れだの忠臣だの何となく格好いいイメージではあるが、職能集団としての武士で考えるならば殺しを家業としたごろつき集団いわばやくざである。
中世以前の日本史認識には近世・近代のフィルターがかかっていると言うのが著者の主張でたとえば夫婦別姓とか男尊女卑というのも北条政子、日野富子といった具合に中世ではありえない事である。
武家の棟梁というのも近世・近代のフィルターを通すと長子相続のイメージになるのだが源家の鎌倉将軍就任が三代で終わっているので判るよう血統の上に立脚しつつも武家としての才能がないと統領とはなれないのである。
源頼朝など昨年の歴史ドラマではずいぶん優男に描かれていたが、実際は武芸故実に秀でていたようである。何となく家元制度を思い浮かべてしまう。いくら家元の息子でも芸に秀でていないと家元はづけないのである。
中世武士の実像を描いて新たな視点を得ることができる書であるが、いかんせん論調が堅くどちらかというと興味の中心が古代史である私にしてみると少々読むのに骨が折れる本ではありました。 -
平将門の乱から鎌倉幕府成立に至る「武家の棟梁」成立史。血脈と系譜、武芸故実の継承、「武都」としての鎌倉の歴史的変遷、東国の最有力軍事貴族の称号としての鎮守府将軍の位置づけ等々の分析を通して、「東国武士団史」ともいうべき内容となっている。著者は東国武士の暴力的で事大主義的な価値意識や行動原理を「ヤクザ」「暴力団」そのものと断じて全面的に否定しており、そうした蛮風が近代日本社会に直結しているとみなしているが、こうした見方に対しては一面的・恣意的に感じる向きもあるだろう。
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タイトル通り。
武家の棟梁とはいかなるものぞ、について。
と、言っても江戸や戦国時代の武家とは違う武家 -
弓馬の道が家業であった頃の暮らしぶりが分かる