- Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121012807
作品紹介・あらすじ
蘆溝橋事件を引金に日中の戦いは軍部主導のかたちで、ついには泥沼の太平洋戦争に突入していった。しかし、すべての日本人が武力行使の拡大を望み戦火を座視していたわけではなかつた。戦争はあくまで和平工作の最終手段として考え、たえず平和的解決、そのための交渉の努力が模索されていた事実もあった。もし平和的、自主的解決が実現していたなら-歴史におけるイフのタブー視域から、日中の動き、戦争の経過を見据える。
感想・レビュー・書評
-
対中優越感、蔑視。傲慢な先入観。これらが日中戦争を避けることを困難にした。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「国民政府を対手とせず」の宣言を、当時の日中関係の破綻の「ポイント・オブ・ノー・リターン」として、そこまでの経緯、講じられてきた数々の和平の模索が潰えていった流れを追う。
この辺の経緯は、義務教育ではほとんどやらないので、経緯が追えたのが良かったのと、戦争に向けた流れがある一方で、和平への道もいくつもあったことも分かったのが良かった。
いくつもの分岐点があったのに、間違え続けた結果の破局の歴史から学ぶことは多い。 -
ようやく読み終わりました。著者は日本開発銀行勤務の在野の現代史家ですが、アジ・太平洋戦争に関する多くの著作を書かれている人です。
タイトルは十五年戦争ですが、実際に取り扱っているのは満州事変の前史から1938年の「国民政府を対手とせず」宣言までです。
丹念に資料をおさえながら、日中間に和平の道はなかったのか?ということを主眼に書かれています。
大体の要旨としては…
満州事変は一部の功名心にはやる軍人(要は石原莞爾)の下剋上であったこと
日本はリットン調査団を要請しながら、その結論が出る前に満洲国を承認してしまい、解決の道を自らとざしてしまったこと。
有力な和平案もあり、交渉も行われていたが、政府の優柔不断や軍部の独走で閉ざされてしまう事。特に幣原、広田、近衛への批判は手厳しいものがある。
戦争当初は、世論も戦争一辺倒ではなかったこと。
中国の反日感情をのっぴきならないものしたのは、華北い手を出したことによるもの(満州域内に留まっていれば和平の可能性があったこと)。
支那事変当初は参謀本部や満州事変時の軍中央のように、軍内部でも和平への動きがあったこと。
これらの原因として、巧妙心にはやる軍人をコントロールできない日本の国家の性格と、日清戦争後顕著となった中国に対する優越感、蔑視をあげています。
敢えてイフの視線を取り入れて、和平の可能性を探る論考は結構スリリング。
その是非はともかく、「あとがき」に著者の矜持が示されていて大変興味深いです。 -
日中戦争の推移を細かくまとめていて
日本政府の中にも米英協調主義者や
中国国民党側も協定違反を行ったということが記述してあり
まともな方の著書といえる。
しかし、ド左翼学者の一節を引用して鵜呑みにしたり
軍人を悪者にしたがる論調があるのが勿体無い。