サブリミナル・マインド―潜在的人間観のゆくえ (中公新書)

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  • 中央公論社
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レビュー : 74
  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121013248

作品紹介・あらすじ

人は自分で考えているほど、自分の心の動きをわかっていない。人はしばしば自覚がないままに意志決定をし、自分のとった行動の本当の理由には気づかないでいるのだ。人間科学の研究が進むにつれ、「認知過程の潜在性・自働性」というドグマはますます明確になり、人間の意志決定の自由と責任に関する社会の約束ごとさえくつがえしかねない。潜在的精神を探求する認知・行動・神経科学の進展からうかびあがった新しい人間観とは。

感想・レビュー・書評

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  • 読者の興味を引く実験を多数紹介しながら、無意識のうちに生じている認知過程についての研究を、分かりやすく解説している本です。また最終章では、著者の考える「潜在的人間観」が、現代の「自由」と「責任」の概念に投げかけている、哲学的な問いについても考察が展開されています。

    とにかくおもしろく読める本です。また、人間観のゆくえという、大きな問題にまで議論がつながっていることにも、興味を引かれます。

  • 無自覚的な心のはたらきをもとに、行動・認知・神経科学的な過程をさまざまな実験結果を引用し説明。わたしたちは自分の行動の理由を説明できるけれど、実は行動に現れる無自覚の認知過程と言語報告に現れる意識的な過程とは別物だそうだ。何度も見ることで好感が上がり、商品の購買につながること(サブリミナル・コマーシャル)や、右頭頂葉損傷の患者に絵を描かせると対象物の半分しか描けないが、それは識閾下で全体を認知しているからだという説、自分が話しているグループとは別のグループで自分の名前が呼ばれたらすぐに気づくことも無自覚的な情報処理なのだとか(カクテル・パーティ効果)。脳のはたらきはとても面白いのです。

    p4
    「人は自分で思っているほど、自分の心の動きをわかってはいない」

    …自分で意識化し、ことばにできる心のはたらき(メンタル・プロセス)よりもむしろ、自分でも気づかない無意識的な心のはたらきに強く依存しています。

    p7
    人間観のひとつの極には、人間の絶対的な自由意志を一〇〇パーセント認める立場があります。この立場に立てば、人はすべて自らの意志によって行為し、当然その責任もすべて当人にあることになります。近代民主主義の根幹には、これに近い考え方があると思います。
    他方、この人間観の反対側の極には、人の行為や意志はいくらあがいても環境の影響から逃れることはできず、所詮あらかじめ定められた法則にのっとってしかふるまえないのだ、とする考え方があります。人間機械論、ライプニッツの予定調和論、神の見えざる手、マクスウェルのデーモン……。

    p10
    私のイメージする「潜在的な認知過程」にもっとも近いのは「暗黙知」という概念です。伝統的な技能・芸能や武道などの鍛錬でしばしばいわれるように、熟達者がある種の技能をしっさにおこなって見せることはできても、その技能をことばで客観的に表現しがたいということがよくあります。また、ある事柄を知っているという自覚しに知っているという場合もあります。このような潜在的で無意識的な技能や知能(知恵)をまとめて「暗黙知」といいます。

    p13
    …見える限界=識閾よりも下という意味で「サブリミナル(閾下)」といいます…

    …本人の自覚がないにもかかわらず、刺激が知覚や行動に明確な影響を与えている点です。そうした無自覚的な心のはたらきをまとめて、「潜在的な認知過程」と名づけておきたいと思います。

    p23
    個人の心の中に互いに矛盾するようなふたつの「認知」があるとき、認知的不協和と呼ばれる不快な緊張状態が起こる。そこで当然、それを解消または低減しようとする動機づけが生じる。しかし多くの場合、外的な要因による「認知」のほうは変えようがないので、結果として内的な「認知」のほうが変わる。つまり態度の変容が起こる(具体的には、たとえばものや作業に対する好嫌の感情が変化する)

    p40
    有名なチャールズ・ダーウィンの著書『人間と動物における情動の表出』(一八七二年)は、このうちの第二番目、つまり情動の表出に関するものですし、また情動の経験や表出と、第三番目、つまり他人の情動の認知とは、実は互いに密接な関係があることも知られています。その神経生理学的な根拠として、たとえば顔や表情を認知する神経機構が、脳内で情動に関連する領野のすぐ近くにあることが知られています。

    p44
    まず常識的に考えられている通り、情動経験は感覚刺激に依存します。しかしまた顔筋の変化=表情と情動経験の間には連合ー相関関係があり、この関係は表情の変化が教示や演技による場合にも変わりません。つまり感覚刺激なしに教示や演技によって表情を作った場合ですら、このような強い連合関係のために、情動の経験が想い起こされてしまいます。

    ジェームズ主義では、表情を作ることがむしろ先立ち、それによって逆に主観的経験としての情動が形作られるという筋道だからです。

    p45
    つまりこれらの説では、身体の生理的変化が先で、次にこれが原因で情動が生じるというのです。しかし、私たちの日常的経験は、これとは逆のように思える。

    時間的生起順序・因果関係を承認しにくいのはなぜかというと、これらの理論が、本人も自覚的にアクセスできない意識下の過程の存在を示唆しているからでしょう。単純化して図式的にいってしまうなら、「身体的過程→潜在的認知過程→自覚的情動経験」という関係が重要なのです。

    p46
    今回の講義全体を通じて私が提案しようとする「人間科学のセントラル・ドグマ」は、ある一側面からいうと次のようなことです。つまり、知覚から行動に至る無自覚的な経路がより基本的で、意識的な経験はこうした無自覚的プロセスに対する。いわば後づけの「解釈」にすぎません。

    「情動による生理的喚起=興奮状態は、情動の種類(喜び、怒り、悲しみなど)にかかわらず共通である」。これが、情動二要因理論の大前提です。

    p47
    ….情動二要因理論では、情動経験に、ついて次のような二段階のシナリオを考えます(シャクター、一九六四年)

    ⑴生理的な喚起(興奮)状態の認知(ただし原因は何でもよい。また後でふれるように生理的喚起そのものはなくてもいい、生理的喚起の認知があればよい)。
    ⑵情動ラベルづけ(喚起状態の推定、あるいは原因への帰属)

    p50
    …人は自分の主観的な情動の経験を「決定する」ために、⑴自分の内的状態と、⑵その状態が生じている環境とを評価する

    p51
    そしてTATテスト(絵画主題統覚検査)といわれる検査をおこないますが、これは挿し絵のような、具体的ですが曖昧な場面を描いた絵を見せ、その登場人物について挿話を求めるものです。被験者の深層心理を調べる「投影(映)法」といわれるものの中でも有力な方法です。この実験の場合には、特に被験者の性的興奮度を評価するために使われているのです。

    p57
    いうまでもなく、無意識的な過程は行動に、意識的な過程は言語行動に反映されると考えられます。

    p60
    怒りも喜びも悲しみも、極端な状態では生理的興奮としては類似性・一般性・曖昧性を持つものといえます。それだからこそ、この生理的興奮を異なる状況要因に「帰する」(つまり認知的に異なるラベルづけをする)過程が、情動の経験に重要な役割を果たすのです。

    …感情のように一見生理学的要因に直結しているように見えるものでさえ、案外無意識的な認知過程(たとえばラベルづけ)の結果である一面が大きいといえます。特に自己認知と原因帰属の過程が寄与するのです。また、罪の意識のような社会的起源を持つ感情についても、同様のメカニズムがはたらき得ます。

    …行動に顕れる無自覚の認知過程と、言語報告に現れる意識的な過程とは別物である可能性を指摘しておきましょう。別の言い方をすれば、私たちの知覚や態度や行動は、いずれも無自覚のメカニズムに支えられており、私たちが自覚的に体験し、ことばで報告できるのはその出力の部分だけ、それもほんの一部だけであるかもしれないのです。

    p67
    実際、時々刻々と移り変わる視野の中で、私たちがはっきりと意識している対象がごく少ないことを考えれば、このことは明らかでしょう。さらに末梢から中枢への感覚神経系の情報処理の流れ、中枢から末梢への運動神経系の流れを考えるなら、これらがすべて自覚的にモニターされ得ると考えるのは、ますます非現実的としなければなりません。
    結局、私たちの神経系のなしている仕事量と実際に意識に生じているイベントとを量的に比較すれば、潜在的なメンタル・プロセス(心的過程)の存在を認めるしかないのです。

    p72
    ところで、言語に関連する機能は、大多数(九〇パーセント以上)の人々では左半球に集中していることが知られています。

    p77
    結局、右半球の高度に知的なふるまいを左半球は直接知ることはできず、絶えず推測しつつ、しかし推測しているということには気づかずに、事実として認知し記述しているらしいのです。

    p89
    「人は、自分の認知過程について、自分の行動から無自覚的に推測する存在である」

    p118
    記憶にまつわるさまざまなミステリーやパラドクスは、潜在記憶、つまり「覚えている」という本人の自覚なしの記憶過程を認めることによって、はじめて解消します。

    p128
    宣言記憶というのがいってみれば事柄の知識で、意識的な想起が可能な記憶であり、内容について述べることができます。これは主に学習によって獲得された事実やデータに関する記憶で、健忘症では強い障害を示します。
    これに対して手続記憶は、やり方の知識のようなもので、特定の事実やデータ、特定の時間に特定の場所で生じた出来事とは関係がなく、学習された技能や認知的操作の変容に関わる記憶で、健忘症でも障害されずに残ります。

    p133
    宣言的記憶は系統発生的には比較的新しく、また個体発生的に見ても手続的記憶が先に発達するのだろうといわれています。その証拠に生後一、二年目までのことは、誰も覚えていないでしょう。不思議だと思いませんか。これを乳児性健忘とか乳幼児期健忘などといいます、自覚できない潜在的記憶だけが先にあり、自覚でき報告できる顕在記憶が未熟ですから、後で意識的には思い出せないのだと考えられているのです。けれども思い出せない乳児期の記憶が後の人格形成に決定的な影響を与え得ることは、フロイトらの精神分析学派だけではなく、多くの論者によって指摘されています。

    p169
    「視知覚情報処理の大部分は、われわれの意識にとってアクセス不能でありわれわれはたかだかその処理の結果(=出力)を知覚現象として経験するにすぎない」

    p171
    …知覚とは複数の過程の集合体であり、知覚の測定可能な出力は複数ある

    p173
    まず、「見えない」プライム刺激が、後の知覚情報処理に影響を与えていること。それが何通りかの「間接的な」方法で示されたこと。また知覚過程の測定可能な出力は複数あって、それぞれ異なる神経経路やメカニズムによる。したがって、それらの出力が食い違うことも珍しくないこと。さらに、そうした出力は意識レベルで「気づき」自覚できるものであったとしても、そこに至るまでの過程は自覚できない場合が多いということ。

    p219
    マスメディアによる、あるいはマスメディアを通したサブリミナルな操作、という問題が、きわめて微妙で重要な問題をはらんでいると思うのは、ふたつの異なるケースがあり得るからです。その第一は、発言者あるいは製作者が意図的にあるメッセージを潜在化し、巧妙に流した場合です。第二は、当事者自身も潜在的に特定のコトバやシーン、アイテム、ストーリーなどを選択していて、それが結果として、サブリミナルな世論操作や流行操作を成功させている場合です。
    ベテランの政治家やマスコミ関係者は、別に心理学の専門家ではありません。また心理学の専門家であっても、サブリミナルなマインド・コントロールが本当に効果を挙げたか否かを、正確に測ることは、不可能に近いのです。しかしそれでも、政治家やマスコミ・広告関係者たちは経験的に、どうやればうまくいくかを知っているように、思われます。したがって現象には、このふたつのケースのうち第二のほう、つまり情報の送り手も受け手も始終無自覚であるケースが、より頻繁に起こっているのかもしれません。

    p241
    ひとつの極端な立場では、外見的に心があるのと同様とふるまいをしさえすれば、心を「実現」したといえます。後は見る側の認知様式の問題であり、心を持つということは、これ以上でも以下でもないと考えるのです。この考え方を、今かりに「心の外見主義」とでも呼んでおきましょうか。この立場をとればラディカルな行動主義(哲学的行動主義)の立場となり、潜在的過程の一元論となります。けれども、それでは「見る側の認知様式」というのは何なのか、いったいどのようにして成立したのか、依然として謎は積み残されているように感じられます。
    もうひとつの似て非なる考え方によれば、自覚的思考や顕在的知性は、単純な感覚ー運動連鎖の階層化・メタ化の果てに出現する(ニューラルネット理論家なら「創発」すると表現する)特殊な性質にほかなりません。つまり自覚的なメンタル・プロセスは、ただ単に見る側の認知様式の問題ではなくこうした意味でシステムの側に属する機能であり、性質であるという点で、第一の解釈とは違うのです、それでもなお、自覚的過程がつねに無自覚的過程から派生し、それに基づくものであると考える点は同じです。この立場を「創発主義」と呼んでおきましょう。
    この後のほうの立場をとれば、潜在的過程/顕在的過程の二元論となります。あるいはこの両者の関係が連続的であるとすれば、その関係を考えなくてはなりません。どちらからどちらに、どのように発達するのか。あるいは加齢や脳の損傷によって損なわれるときには、どちらからどのように損なわれてゆくのか。また、いったん顕在的に処理された情報が、潜在化するということはあり得るのか。あるいはその逆に、潜在的だった内容があるとき突然顕在化し、自覚されるなどということが起こり得るのか。

    p255
    ある行為が「目的にかなっている」ことは、しばしば自発性・意図性あるいは随意性の指標とされます。いうまでもなくその逆は、盲目性・機械性とされるわけです。けれどもこれまでの紹介からもわかるように、合目的性と機械性は、実は矛盾しません。機械的に反応しているはずの断頭カエルでさえ、目的にかなう柔軟性を示すからです。そこで端的にいうなら、自発的でなくすなわち随意的でない運動も、場面に応じた柔軟な合目的性を持つということが、十分にあり得るようです。

    p276
    「私たちの感情の実際の起源と、私たちが起源だと思うことは違っている」「実際に私たちの経験をもたらした認知過程と、それに対して働く自覚的で言語的な解釈システムとはちがう」

  • この本でいうところの「第二の視覚系」と「閾下知覚」についての論文サーベイのために読んだ。そのため、とりあえず第4講と第6講だけ。
    (4講)いわゆる視覚野を順に昇っていく経路だけでは説明できない「盲視」という現象は、この本の出版から20年以上の間に解剖学・生理学的に調べられてきていて、この本では仮説の域を出ないとしている「第二の視覚系」はほとんど確信できるところまできたと私は思う。盲視に関する観察や実験結果は、はじめ知ったときは摩訶不思議に思えた(今もだけど)。
    (6講)この部分を読めただけでも自分にとって大きな価値があった。自覚できないレベル(閾下)の刺激が知覚に干渉する、さらには見えないのに特徴を答えられるという報告は、刺激の検出→特徴の解析→意味の認知という、まあ妥当でわかりやすい情報処理の流れを仮定したうえでは何だそりゃとなるだろう。ならば検出と特徴の解析はパラレルになのかと考えることができる。そこで上に述べた「第二の視覚系」の存在が当てはまる。前述のとおり、この20年で解剖学・生理学的な知見も集まってきている今では、これを否定する人もまずいないと思う。
    この本では他にも、有名な「サブリミナル効果」のように、無自覚の感覚入力によって意志すら操られうるということについて述べているようだ。この部分については、視覚心理物理や神経科学に興味がない、難しくてわからないという方でも驚きと発見を得られるのではないだろうか。

  • 105円購入2012-02-12

  • 人間の意思決定の自由というものは、近年の心理学、脳科学等の研究により、だんだんと怪しくなってきているようである。潜在的に、自動的に外界の情報を処理しており、自分が決断したということも、無意識が決断した結果を追認しているだけのような場合があるようだ。閾値下の自分(無意識)と閾値上の自分(意識)。この比率は閾値下の自分の方が大きいようだ。

  • 「人は自分で思っているほど、自分の心の動きをわかってはいない」というテーマ通り、まだ人間の心と行動についてはわかってないことが多いんだなというのが正直な感想。「〜と言われている」など断定しない表現が多かったのが印象的。

    最近からくりサーカスを読んだばかりだったので、人間の意思決定が環境や遺伝子によって決定される場合そこに自由意思はあるのか?って哲学的な議論になる最後の章が好きだった。

    ・記憶は深い浅いだけではなく多元的な構成要素に分かれている
    ・カクテルパーティとかサブリミナルに表れるように自覚する前に周囲の情報について前処理が行われているのでは
    ・無意識化で五感が働いていてもそれに自覚的じゃないから印象の原因を見誤ることがある
    ・消費とは商品によってシンボライズされた欲望の代償行為、だから隠喩的な広告は効果を発揮する
    ・潜在化での繰り返し訴求は顕在よりも効果を発揮することすらあるんだとか
    ・故意と過失と偶然の線引きの難しさ。潜在的に考えてたことを過失と言いきれるのか?自分の意志か環境のせいかなんて線引きできないもんな
    ・からくりサーカスみたいだな、過去の遺伝子の影響を否定できるのかとか。そう考えると自由ってなんなんだ?

  • 心理学で有名な先生らしい。
    読んで行くとわかるが、大学での講義をまとめたような構成になっている。
    「ヒトは自分で思っているほど、自分の意志で行動しているわけではない」という最近の経済心理学とも関わる話が多彩な方向から検討・証明されて行く。

    様々な過去の実験や検証が詳細に述べられているので、きっとすごく面白いのだろうが、残念ながらこちらの基礎知識が足りず今一つ話にのめれなかった。

    きっと心理学を専攻している学生とかだったら知識も十分にあって楽しめたのかもしれない。

    この下条先生の広範囲な知識、博学ぶりは伝わってくる。

  • 人は意識していない部分で何を感じ、何を判断しているのか-読んだ後は自由意志の存在を疑ってしまうくらい、強烈。生物学的、心理学的な知見を惜しみなく紹介した後、筆者の社会論に発展する。ちょっと人という生物が怖くなるかも?でも、そういうところを含めて、愛おしく面白く感じること請け合い。

  • 無意識とか不随意運動とか、生物機械論にどんどん寄って行く感じが不気味で面白い。
    最後の方の刑法持ち出したりの問題提起はちょっと期待してないかな

  • 一行一行に込められた重いパンチが痛い。
    ちょっと読みにくいところがあったが、読んで良かった。

    43p
    情動と主観的要因についての記述が良かった。

    情動をあからさまに表情に出す人は内面では情動は弱く、
    抑制する人は内面の情動は強い。
    で、本人的には表情に出れば出るほど情動が強く、
    その逆はその逆。

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著者プロフィール

カリフォルニア工科大学生物・生物工学学部教授

「2017年 『発達心理学の新しいパラダイム』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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